こう(ドイツ)にったら、右手みぎてげたらダメです。なに発言はつげんしたいときは、ペンかゆびててアピールするように」

海外かいがい研修けんしゅう参加さんかするため事前じぜん勉強べんきょうかい一幕ひとまくで、こんな言葉ことばがあった。

当時とうじわたし中学ちゅうがく2年生ねんせい
その言葉ことばいたとき「何故なぜだろう?」と純粋じゅんすいおもった。わたしたち日本人にっぽんじん普段ふだんなにかをアピールしたかったら躊躇ちゅうちょなく右手みぎてげるのに。

◎          ◎

そのとき1にん学生がくせいげた。

なんでなんですか?普通ふつうのことにおもえるけど」

「それはね、ホロコーストっていうおおきな事件じけんがあったからなの。その歴史れきしがあってから、ドイツでは右手みぎてげてはいけないことになっています」

そのうちどこかで、まなぶかもしれないね。
そんなこと先生せんせいった。

先生せんせいはそんなことをったけど、本当ほんとうだろうか?
ホロなんとか?事件じけん?そんなにすごいことなの?

普段ふだんたりまえっている動作どうさも、くにへんるとわる意味いみことがある。よくからないけど、その印象いんしょうだけがつよのこっている。

しかも、それは戦争せんそう紛争ふんそう安全あんぜんな、学校がっこうでちょっとまえならった「センシンコク」とやらで。

それがわたしとホロコースト、ひいては世界せかいとのはじめての出会であいだった。

◎          ◎

上記じょうき研修けんしゅう実際じっさいにドイツで2週間しゅうかんごし、日本にっぽんとはまったちがった世界せかいきることのたのしさをった。

べつ記事きじ紹介しょうかいしたとおり、いまでもなが友人ゆうじんにも出会であえた。自分じぶん本当ほんとうひとめぐまれていたとおもう。

このときことはとてもおもである。
でもこのときたのしいおもがあったからこそ、事前じぜん研修けんしゅういた先生せんせい言葉ことばからいた違和感いわかんをすっかりとわすれてしまっていた。

このときわたしは、べつくにることのたのしさしからなかった。でも、この平和へいわ世界せかいつくるまでのみちのりが、とても大変たいへんだったこと事実じじつだ。

世界せかいけっしてあかるいだけの場所ばしょじゃない。
げんいまでも戦争せんそうくなっていない。

そんな現実げんじつともに、わたし中学生ちゅうがくせいころいた違和感いわかんをまたおもすのは、大学生だいがくせいになってからだ。

◎          ◎

ドイツ滞在たいざいはら体験たいけんわたし大学だいがくでは留学りゅうがくするとめていた。それは、異国いこく文化ぶんかなか自分じぶんちからをもっとためしてみたくなったから。大学だいがく合格ごうかく交換こうかん留学りゅうがく目指めざして勉強べんきょうし、無事ぶじにスウェーデンへ留学りゅうがくした。

この留学りゅうがくわたしはまたホロコーストに出会であうこととなる。

それは現地げんち大学だいがくけるための授業じゅぎょうさがしていたあるのこと。
シラバスをていたら、ある言葉ことばっかかった。
それが「Holocaust (ホロコースト)」だった。
なんだかんだことがある言葉ことばともに、そのときはじめて中学生ちゅうがくせいとき記憶きおくよみがえった。

そうだ、これをやってみたかった。
わたしがあのときいた、「世界せかい後世こうせいひと行動こうどうにまでおおきな影響えいきょうあたえるまけ歴史れきしとはなんなのか」という純粋じゅんすい興味きょうみ追求ついきゅうするときだ。
なんとなくそうおもった。

そこからはわたし留学りゅうがく期間きかんちゅうずっと、さらには留学りゅうがく卒業そつぎょう論文ろんぶんまでホロコーストの研究けんきゅうつづけた。

◎          ◎

ホロコーストは、ごぞんじのとおだい世界せかい大戦たいせんおこなわれたユダヤじん様々さまざまなカテゴライズにてはめられた方々かたがた大量たいりょう虐殺ぎゃくさつされた事件じけん総称そうしょうしてす。

ヨーロッパの様々さまざま国々くにぐにおこなわれていたことから、ヨーロッパではまけ歴史れきしとしてられている。そして、その国際こくさい社会しゃかいでもおおきな影響えいきょうあたえている。

そういう意味いみでは、いわゆるグローバルスタンダードとわれるものかもしれない。またいまのイスラエルとガザの戦争せんそうにもつうずる歴史れきしである。

それを本場ほんばのヨーロッパでまなことができたことは、個人こじんてきにはとても幸運こううんだった。

◎          ◎

わたしはホロコーストをまななかで、づいたことがたくさんあった。

そのなかひとつが自分じぶんなか偏見へんけん存在そんざいづいたこと。

歴史れきしてきると長年ながねんヨーロッパのなかかさねられてきたユダヤじんたいする過度かど偏見へんけんも、ホロコーストをこす原因げんいんひとつになっていた。

でも、この偏見へんけん自体じたいわたしたちいちにん一人ひとりなかにもかならずある感情かんじょうなのだ。

たとえば外国がいこくじん観光かんこうきゃくは「みんな」〇〇だとか、男性だんせいは「みんな」〇〇なんだみたいなものって、だれしもがしんなかっている。

でもその感情かんじょうなんとなくおもっている、あるいは個人こじん根底こんていにあって普段ふだんからない。
でもだれかと対話たいわし、ちが視点してんとき各々おのおの自分じぶん自身じしんにこんないかけをすることはできる。

あるカテゴリーのひとたいする自分じぶんのイメージがぎていないだろうか?

おおくのひとおもっている偏見へんけん歴史れきしてき文脈ぶんみゃくふくめてだれかが利用りようしたら?(いまなかはそうなりそうなのか、どうなのか?)

ホロコーストの悲惨ひさんさをっているからこそ、自分じぶんにそういかけることえた。

日本にっぽんではない世界せかいきた事件じけんだけど、自分じぶん身近みぢかなものにえてもかることがある。ホロコーストはその視点してんわたしあたえてくれた。

◎          ◎

歴史れきしまななか重要じゅうようなことのひとつに、過去かこまなこと現在げんざいこっている事象じしょうとの共通きょうつうてんつけ、現在げんざい未来みらいかすことがげられる。

わたしたちはこの歴史れきしからなにまなべるのか、かえ必要ひつようがある。世界中せかいじゅうでまた戦争せんそうきているいまだからこそ、そうおもう。

いつかこの世界せかい平和へいわになりますように。
わたし世界せかい興味きょうみったように、歴史れきしってなに未来みらいかせるにんがもっとえますように。
ありきたりな言葉ことばだけど、そうねがわずにはいられない。