理想に燃えていた政治家の行き着く先は……“韓国版ジョーカー”とも評された映画「対外秘」が11月15日に全国で公開される。マ・ドンソク主演の「悪人伝」で一躍注目を集めた監督イ・ウォンテが新たに送り出すのは、生と死を分ける極秘文書をめぐって、苛烈な権力闘争が幕を開ける予測不能のサスペンス。本特集では、装画や映画のポスターなど多数の分野でアートワークを手がけるイラストレーター・丹地陽子が映画のイラストを描き下ろし。ヤクザ専門のジャーナリストである鈴木智彦に、<政治とヤクザ>の関わりから「対外秘」の魅力に迫るレビューを寄稿してもらった。
イラスト / 丹地陽子レビュー / 鈴木智彦
映画「対外秘」予告編公開中
STORY
1992年、再開発が迫る韓国・釜山。党の公認候補を約束されたヘウンは、地元のために働く政治家としての理想に燃えていた。しかし、国会議員選挙への出馬を控える中、釜山で絶大な権力を握るスンテが公認候補を自分の意のままに操れる男に変えてしまう。激怒したヘウンは、釜山の土地開発をめぐる極秘文書を手に入れ、金貸しのヤクザ・ピルドから選挙資金を得て、無所属で出馬する。地元で人気を誇るヘウンは圧倒的有利に見えたが、対するスンテは民主主義の根幹を揺るがすさらなる計画を企てていた。
丹地陽子×「対外秘」
主人公のヘウン(チョ・ジヌン)と彼に手を貸すヤクザのピルド(キム・ムヨル)、そして黒幕のスンテ(イ・ソンミン)。アジアの映画やドラマに造詣が深いイラストレーターの丹地陽子が、激しい演技対決を見せた豪胆な男たちを描き下ろす。
鈴木智彦×「対外秘」
幅広く暴力団やアウトロー関連の記事を執筆し、著書に「サカナとヤクザ」「ヤクザときどきピアノ」などがある鈴木智彦。裏社会を知り尽くした鈴木が仕事を忘れて見入ったという映画の魅力とは。「対外秘」に“むき出しの人間”を見る。
寄稿 / 鈴木智彦
「対外秘」は、裏から見た表のドラマである。
社会の裏側で繰り広げられる支配者と持たざる者の暗闘を描きながらも、イ・ウォンテ監督が観客に見せたいのは、おそらく表社会なのだ。
表社会の我々は社会の枠からはみ出さずに生きるため、日々、無数の嘘をつきながら感覚を麻痺させ、自らの欺瞞を感じずに生きている。ところが裏と表が逆転した途端、違和感に苛まれ、世間の常識がひどく怪しい事実に気付きはじめる。ただ視点を入れ替えるだけで、誰もが表社会のインチキ、つまり自分自身を騙しているトリックを劇的に見破れるようになるのだ。実際、最初は登場人物の非常識と無軌道に憤っていたはずのあなたも、映画を観ているうちに少しずつ変わっていくだろう。いつの間にか彼らに対する怒りを忘れ、共感し、心の中で拍手喝采するかもしれない。
チョ・ジヌン演じる主人公ヘウン
裏から表を俯瞰するための立ち位置となるのは、政治家という特殊な商売である。
場面は選挙戦……表社会に存在する躁状態の極北であり、最高にドラマチックな局面だ。チョ・ジヌンが演じる主人公・ヘウンは大韓民主党の公認候補の内諾を取り付け、国会議員のバッチを手にする寸前だった。が、大統領選挙の資金集めのため、釜山の再開発に目を付けた中央の実力者たちが、地元の顔役スンテに全権委託し、公認候補は意のままに動く傀儡に変えられてしまう。
このスンテ役となったイ・ソンミンの演技は他を圧倒する。これだけで映画代の元が取れると断言できる。暴力団の専門家という立場上、私は数多くのヤクザ映画を鑑賞したが、あそこまで感情を抑えた演技に、究極の怖さを滲ませる俳優をみたことがない。
「対外秘」には他に数々の見所があるが、掛け合いシーンの鋭い舌戦はそのひとつである。暴力を使わず、鋭利な言葉で深く、相手の心を刺し合う。その表現が粋で、意味深で、洒落ている。言葉選びの巧みさにはひどく感動させられた。鑑賞しながら何度もメモをとってしまった。
イ・ソンミン演じるスンテ
映画の舞台となるのは1992年の釜山だ。
この設定は裏と表を見比べるためのさらなる手助けとして作用する。それまでの韓国では各地で民主化運動が激化し、国家が大きくうねりながら変貌していた。無所属として選挙に立候補することに決めたヘウンが、パク・セジン演じるソン記者に対し、自身のスローガンを「民主化の闘志」がいいと熱弁し馬鹿にされる背景には、1987年6月、民主国家に脱皮したばかりだった韓国の未熟さがあるのだ。
私は80年代後半……映画の設定とさほどタイムラグがない期間に、カメラマンとしてソウル・釜山の撮影旅行に出かけた。国中が不安定だった。旅行代理店が指定した有名なプルコギ店の写真を撮るために、警察と学生が向き合う現場を乗り越え、催涙弾の下をくぐり抜けねばならなかった。映画では当時、韓国で見た景色や音楽や車が見事に再現されていて懐かしい。当時の情景をリアルに再現したこだわりも「対外秘」の見所だ。
誕生したばかりの民主主義はまだヨチヨチ歩きでおぼつかない。その頼りなさは、大都会のソウルより地方都市である釜山で、より顕著だったろう。時代背景が分かると、「対外秘」の設定がこれ以上ないほど絶妙だと分かる。過去を引きずり、いまだ表と裏が未分化だった場所と時代を盤面にして、ヘウンとスンテの生存競争が幕を開ける。
「対外秘」場面写真
政治家同様、極端に社会脳が発達した人種はもうひとつある。社会の隙間に棲むヤクザだ。なんの生産性も持たない彼らは、人間関係の狭間にしか寄生できない。政治家もヤクザも、多くの人間が蠢くコミュニティにしか存在しない。
持たざる者であるヘウンが、ヤクザを頼ったのは必然だったろう。盤面を変えるには力がいる。金と権力という力を手にしているのは倒すべき顔役であるスンテだ。対抗するには別の武器が欠かせない。状況を変え得るほど実効的な力は、暴力以外にない。
私個人は、韓国のヤクザ事情を深く調べていない。だから「対外秘」のヤクザにどこまでのリアリティがあるかは判断できない。が、ヘウンとタッグを組むヤクザたちはひどくそれっぽい。それもヤクザ社会に生息する主要2タイプが登場して暴れ回るので、つい仕事を忘れて見入ってしまった。
寡黙な体育会系ヤクザ・ピルドを演じるのはキム・ムヨルだ。警察官にもなれそうなたたずまいがいかにもである。日本のヤクザとそれを取り締まる通称・マル暴の刑事も、ピルドのようなタイプが主流派だ。暴力団事務所にガサ入れをする刑事が、暴力団にしかみえないケースはざらにある。
対する饒舌なサイコパスヤクザ・ハンモ役に起用されたウォン・ヒョンジュンは、どの角度からみても狡猾で、残忍で、汚らしい。まさにザ・ヤクザともいうべき演技は、どうみても本物にしか思えない。2人のヤクザと組んだヘウンは、圧倒的な強者であるスンテとどう戦うのか。スクリーンに映し出されるのは、暴力を媒介に、むき出しになった人間そのものだ。
キム・ムヨル演じるピルド
ウォン・ヒョンジュン演じるハンモ
ヘウンが使ったもうひとつの力が、ペンの暴力だった。前出のソン記者とタッグを組み、盤面の情勢はめまぐるしく変わる。殺し合いのシーソーゲームを制したのは誰か。戦いの原動力はなんだったのか……虚飾をはぎ取った血の海の中の告白に、あなたは妙な爽快感を味わうだろう。
日本において、政治家と暴力団は双子のような関係だった。ジャーナリストの大宅壮一は、三大ヤクザ産業として「土建」「芸能」「政治」をあげている。私は現在、とある政治家の取材をしているが、国会議員であり、テレビタレントとしても有名だったこの政治家は、元広域暴力団の幹部だ。
今は暴力団との交際が一発アウトの大不祥事になってしまう。さすがに昔のように露骨な蜜月はない。それでも選挙戦で候補者が乱立して票が割れれば、暴力団の組織票が当落を左右するケースはあるだろう。流入人口の少ない地方のコミュニティでは、ヤクザも政治家も同じ地域の昔なじみであり、小・中学校の同級生だ。
日本では国家ぐるみの巨大開発プロジェクトに、つい最近まで暴力団関連企業が入り込んでいた。映画のような話はもはやあり得ず、遠い過去のものである……そう断言できないのがもどかしい。
「対外秘」場面写真
プロフィール
鈴木智彦(スズキトモヒコ)
1966年、北海道生まれ。雑誌・広告カメラマンを経て、ヤクザ専門誌「実話時代」編集部に入社。「実話時代BULL」編集長を務めたのち、フリーライターに転身した。幅広く暴力団やアウトロー関連の記事を執筆。著書には「ヤクザと原発 福島第一潜入記」(文藝春秋)、「サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源『密漁ビジネス』を追う」(小学館)、「ヤクザときどきピアノ」(CCCメディアハウス)などがある。
鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) | X