私 わたし と音楽 おんがく 第 だい 40回 かい
[バックナンバー]
園田 そのだ 賢 けん が語 かた るKAN
歌 うた に登場 とうじょう する主人公 しゅじんこう が“カッコ悪 わる い”──そこが園田 そのだ 少年 しょうねん と重 かさ なる
2024年 ねん 7月 がつ 26日 にち 17:00
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各界 かくかい の著名 ちょめい 人 じん に愛 あい してやまないアーティストについて話 はなし を聞 き く本 ほん 連載 れんさい 。第 だい 40回 かい は赤坂 あかさか ドリブンズの選手 せんしゅ として麻雀 まーじゃん プロリーグ戦 せん 「Mリーグ」でも活躍 かつやく し、“麻雀 まーじゃん 賢者 けんじゃ ”などの異名 いみょう を持 も つプロ雀 すずめ 士 し ・園田 そのだ 賢 けん に登場 とうじょう してもらった。
2023年 ねん 11月にKAN がメッケル憩 いこい 室 しつ がんにより亡 な くなったことを受 う け、X(Twitter)に「今 いま も一番 いちばん 好 す きなアーティストです」 とポストし、自身 じしん の考 かんが えるKANのバラードランキングを発表 はっぴょう した園田 そのだ 。実 じつ は高校 こうこう 時代 じだい にストリートミュージシャンとして活動 かつどう し、本気 ほんき でミュージシャンになることも考 かんが えたという園田 そのだ に、KANの魅力 みりょく をたっぷりと語 かた ってもらった。
取材 しゅざい ・文 ぶん / 中山 なかやま 洋平 ようへい 撮影 さつえい / 大槻 おおつき 志穂 しほ
目次 もくじ
「愛 あい は勝 か つ」との出会 であ い 僕 ぼく が熱心 ねっしん に音楽 おんがく を聴 き き始 はじ めたのは、小学校 しょうがっこう 高学年 こうがくねん の頃 ころ です。それまでは両親 りょうしん が車 くるま の中 なか で流 なが していた谷村 たにむら 新司 しんじ さん、中島 なかじま みゆきさん、来生 きすぎ たかおさん、佐野 さの 元春 もとはる さんの楽曲 がっきょく を聴 き いていた程度 ていど でしたが、小学校 しょうがっこう の学芸 がくげい 会 かい で仲 なか のいい友達 ともだち が3つのグループに分 わ かれて歌 うた を披露 ひろう する機会 きかい があって、そのときにみんなで歌 うた ったのがMi-Ke「想 おも い出 で の九十九里浜 くじゅうくりはま 」、CHAGE and ASKA「SAY YES」、そしてKANさんの「愛 あい は勝 か つ」でした。そこで「歌謡 かよう 曲 まが っていいな!」と思 おも ってレンタルCDショップに通 かよ い始 はじ め、音楽 おんがく がどんどん好 す きになっていきました。
灘 なだ 中学 ちゅうがく という男子校 だんしこう に進学 しんがく した僕 ぼく は、当時 とうじ 、絶望 ぜつぼう 的 てき なまでに女子 じょし との接点 せってん がありませんでした。それこそ、KANさんの楽曲 がっきょく を聴 き いて「女 おんな の子 こ との恋愛 れんあい ってこんな感 かん じなのかな」と妄想 もうそう するような日々 ひび でしたね。そして15歳 さい になり、「高校 こうこう デビューしなきゃ」という思 おも いでマクドナルドでアルバイトを始 はじ めます。大学 だいがく 1年生 ねんせい の女性 じょせい を好 す きになってアタックしましたが、見事 みごと に玉砕 ぎょくさい ……そんな折 おり に、15歳 さい ほど年上 としうえ のバイトの先輩 せんぱい がストリートミュージシャンとして活動 かつどう していることを知 し り、そこでいろんな女 おんな の子 こ と接点 せってん を持 も っていたことが発覚 はっかく しました。「これや……!」と思 おも いましたね。そうして高校 こうこう 1年生 ねんせい の夏 なつ 頃 ごろ から、僕 ぼく も地元 じもと 神戸 こうべ の三宮 さんのみや でストリートミュージシャンとして活動 かつどう を始 はじ めました。目的 もくてき は「歌 うた うことで自分 じぶん を表現 ひょうげん したい」という高尚 こうしょう なものではなく、「女 おんな の子 こ にモテたい」というよこしまなものです。以降 いこう 、その先輩 せんぱい を師 し と仰 あお ぎ、中島 なかじま みゆきさん、尾崎 おざき 豊 ゆたか さん、長渕 ながぶち 剛 つよし さんという3アーティストを軸 じく に、さまざまな人気 にんき アーティストの楽曲 がっきょく を弾 ひ き語 がた りしていました。立 た ち止 ど まってくれた方々 かたがた のリクエストに応 こた えながら、酔 よ っ払 ぱら いが多 おお かったら長渕 ながぶち 剛 つよし 、若者 わかもの が多 おお かったらL'Arc~en~Cielといった具合 ぐあい に、お客 きゃく さんの層 そう に合 あ わせて、演奏 えんそう する曲 きょく を変 か えていました。
ほかにもギターケースに1000円 えん 札 さつ や小 しょう 銭 ぜに をちりばめたり、別 べつ のナワバリで歌 うた っている仲間 なかま とサクラを演 えん じ合 あ ったりするなど、戦略 せんりゃく を立 た てながら活動 かつどう していました。その甲斐 かい あって、当時 とうじ マクドナルドの時給 じきゅう は700円 えん 弱 じゃく でしたが、バイト並 な みの稼 かせ ぎを得 え ることができていました。麻雀 まーじゃん の成績 せいせき 表 ひょう のように収支 しゅうし 表 ひょう をつけながら、ストリートで活動 かつどう する毎日 まいにち でしたね。
大学 だいがく に行 い かず、ミュージシャンになりたいそんな日々 ひび は非常 ひじょう に楽 たの しく刺激 しげき 的 てき で、狭 せま いコミュニティの中 なか で勉強 べんきょう し続 つづ けている高校 こうこう の同級生 どうきゅうせい に対 たい して優越 ゆうえつ 感 かん を抱 いだ くようになりました。いつしか「ミュージシャンになろう」と真剣 しんけん に考 かんが えるようになり、両親 りょうしん に「大学 だいがく に行 い かず、ミュージシャンになりたい」と言 い ったところ、「ふざけるな、ばかやろう」と怒 おこ られましたが。それでも簡単 かんたん には夢 ゆめ をあきらめることができず、“夢 ゆめ への第一歩 だいいっぽ ”ということでデモテープを作 つく ることにしました。MTRやシンセサイザーを買 か ってオリジナル曲 きょく を録音 ろくおん しましたが、完成 かんせい した作品 さくひん は……聴 き くに耐 た えない代物 しろもの でしたね。でも、ストリートに出 で ればそこそこお金 かね は稼 かせ げていたし、「これは機材 きざい が悪 わる いせいだ」と自分 じぶん にい訳 いわけ をして、現実 げんじつ から目 め を背 そむ けていました。
そんな中 なか でいつも通 とお りストリートで歌 うた っていると、ある日 ひ 、某 ぼう ラジオ局 きょく で働 はたら いている方 ほう が通 とお りかかり、「オリジナル曲 きょく をラジオで紹介 しょうかい させてほしい」と言 い ってきたんですよ。ワクワクしながらオンエア日 び を迎 むか えると、そこから流 なが れてきたのは本当 ほんとう に聴 き くに耐 た えない歌声 うたごえ ……。「めちゃくちゃ下手 へた だな!」と顔 かお から火 ひ が出 で る思 おも いで、ようやく現実 げんじつ と向 む き合 あ いました。その頃 ころ には雀 すずめ 荘 そう で働 はたら き、麻雀 まーじゃん という夢中 むちゅう になれるものも新 あら たに見 み つけていましたし、心 しん を入 い れ替 か えて大学 だいがく にも進学 しんがく 。音楽 おんがく の道 みち はすっぱりあきらめました。
「野球 やきゅう 選手 せんしゅ が夢 ゆめ だった。」で心底 しんそこ 夢中 むちゅう に 先 さき ほど言 い った通 とお り、初 はじ めて知 し ったKANさんの楽曲 がっきょく は「愛 あい は勝 か つ」です。あの頃 ころ はレンタルCDショップでさまざまな作品 さくひん を借 か りていましたが、収録 しゅうろく 曲 きょく 数 すう を考 かんが えるとシングルよりアルバムをレンタルしたほうが圧倒的 あっとうてき にコスパがいい。「シングル、もったいなくね……?」と気付 きづ いて以降 いこう は、すべてアルバム作品 さくひん を借 か りるようになっていました。そんな中 なか でKANさんのアルバム「野球 やきゅう 選手 せんしゅ が夢 ゆめ だった。」を聴 き いて、心底 しんそこ 夢中 むちゅう になりました。捨 す て曲 きょく のなさに驚 おどろ きましたね。続 つづ けて「めずらしい人生 じんせい ・KAN 1987~1992」というベスト盤 ばん を借 か り、これもめちゃくちゃよくて、そこからKANさんの過去 かこ 作品 さくひん をすべて借 か りてき込 きこ むようになりました。
ストリート時代 じだい にKANさんの楽曲 がっきょく を演奏 えんそう しなかったのには理由 りゆう があって、まず「愛 あい は勝 か つ」が自分 じぶん の中 なか であまりピンとこなかったこと。僕 ぼく はKANさんの胸 むね が締 し め付 つ けられるような、センチメンタルなナンバーが好 す きだったんです。歌詞 かし を読 よ むと、だいたい主人公 しゅじんこう が失恋 しつれん しているんですが(笑)。そういうKANさんの名曲 めいきょく の数々 かずかず を僕 ぼく はストリートに出 で る前 まえ からたくさん知 し っていたんですけど、一方 いっぽう でそれらの曲 きょく を外 そと で歌 うた っても、あまり知 し られていないのが実情 じつじょう でした。尾崎 おざき 豊 ゆたか さんのような声 こえ を張 は り上 あ げる歌 うた のほうが街 まち の中 なか へ広 ひろ がっていきますし、やはりお客 きゃく さんの食 ぐ いつきもいい。KANさんの曲 きょく で街 まち 中 ちゅう で歌 うた ったことがあるのは「まゆみ」「君 きみ が好 す き胸 むね が痛 いた い」くらいですね。「愛 あい は勝 か つ」があまりにも有名 ゆうめい ですが、ほかにもたくさんのいい曲 きょく があって、それらが世間 せけん に知 し られていないのが当時 とうじ もどかしい気持 きも ちでした。
今 いま でもしんみりしたいときに聴 き きたくなるKANさんにガッツリとハマっていたのは高校 こうこう 時代 じだい までですが、今 いま でもKANさんはしんみりしたいときに聴 き きたくなります。僕 ぼく の中 なか で“しんみりしたいバロメーター”がレベル3までいくと中島 なかじま みゆきさんを聴 き きたくなりますが(笑)、レベル1くらいだとKANさんがちょうどいい。主 おも に初期 しょき 、中期 ちゅうき に発表 はっぴょう されたバラードが好 す きで、それらには30年 ねん 以上 いじょう 前 まえ の楽曲 がっきょく も含 ふく まれますが、今 いま でも一番 いちばん 好 す きな曲 きょく がコロコロと変 か わります。そういう意味 いみ でも、KANさんは僕 ぼく の胸 むね の中 なか にずっと生 い き続 つづ けているんでしょうね。
KANさんの曲 きょく はお酒 さけ を飲 の んでいるときに聴 き くのがピッタリなんですが、誰 だれ かと一緒 いっしょ に飲 の んでいるときではなく、1人 ひとり でいるとき限定 げんてい です。KANさんのバラードを聴 き いて一緒 いっしょ に「いいよね」と言 い ってくれる友達 ともだち がいなかったためか、前 まえ から“人 ひと と一緒 いっしょ にいるときに聴 き く音楽 おんがく ではないな”というのが自分 じぶん の中 なか にあって。そして、KANさんの楽曲 がっきょく には優 やさ しい人柄 ひとがら があふれていて、心 しん に寄 よ り添 そ ってくれる。そういう部分 ぶぶん も1人 ひとり で聴 き きたくなるポイントなのかもしれないです。
唯一 ゆいいつ 、KANさんの楽曲 がっきょく を人 ひと に強 つよ くレコメンドした思 おも い出 で は、マクドナルドのアルバイトで大学 だいがく 1年生 ねんせい の女性 じょせい に恋 こい をしたときです。当時 とうじ は「MAN」というアルバムが発売 はつばい された頃 ころ で、1曲 きょく 目 め に収録 しゅうろく されていたのが「涙 なみだ の夕焼 ゆうや け」でした。これがすごくいい曲 きょく で、その女性 じょせい にめちゃくちゃ勧 すす めていましたね。向 む こうからしたら、高 こう 1のガキンチョがしつこく言 い ってくるから「いい曲 きょく だね」と渋々 しぶしぶ リアクションしてくれていたんだと思 おも いますが、そんな思 おも い出 で もあって「涙 なみだ の夕焼 ゆうや け」は失恋 しつれん の曲 きょく として脳裏 のうり に刻 きざ まれています。