「シャロン様! 金輪際オニキス殿下に近づかないでくださいませ!」
「まあ」
教室でお友達と談笑しているところを呼び出されて、校舎裏に来てみたら――取り巻きを侍らせた一人のご令嬢が目を怒らせて妙なことを言い始めました。
たしか、このお方は……
ああ、そうです。ジュリアンナ・ローレンス様ですね。
最近急成長している商家のご出身だったかしら。
ローレンス家は男爵位を買えるほどの財を成して、貴族の間でも注目されておりますわ。最近、ローレンス商会の名を聞かない日はないほどです。
貴族学園にも通い始め、ご友人もたくさんできて楽しく過ごされているようですけれど……最近、第一王子のオニキス殿下とよく一緒に過ごしているところを目にします。
それはもう、わたくしとの時間を取れないほどに。ベッタリと。
まあ、近づくなと言われましても、わたくしはオニキス殿下の婚約者なのですけれど。
まさかこうして直接喧嘩を売られるとは思いもしませんでしたわ。その行動力には思わず感心してしまいます。
さてさて、どうしましょう。
頬に手を当てて首を傾けていると、何も反論しないことをどう解釈されたのか……ジュリアンナ様はフンッと鼻を鳴らして腕組みをなさいました。勝気な性格のご様子です。
「あら? もしかして、オニキス殿下に嫌われているとご存知ないのですか? オニキス殿下ったら、『氷の貴公子』と言われるだけあって、なかなか表情を変えられませんものね。そんなクールなところも素敵なのですけれど……」
「殿下がクール……?」
キョトンとするわたくしを見て、ますます口角を釣り上げるシャロン様。その意地悪なお顔を是非殿下に見せて差し上げたいです。
「殿下ったら、毎日おっしゃっていますのよ? 愛想のかけらもないシャロン様より、愛くるしい君と過ごす時間はかけがえのないものだって」
「あら」
「私の話はとても興味深いのだとか。どこかの誰かさんと違って。プフーッ」
ジュリアンナ様に同調するように周りを囲むご令嬢方もプスススと品のない笑みを浮かべていらっしゃいます。
この学園に通う生徒の顔は全員覚えておりますので、心のメモに取り巻きの方々のお名前を記録しておきます。あとで殿下にお伝えしておきましょう。
わたくしは、ふうっと息をひとつ吐き、ジュリアンナ様に視線を戻します。
「そうですか。氷のような無表情で? そのような甘い台詞をおっしゃいましたの? オニキス殿下が? あなたに?」
それはまた随分とおかしな話ですこと。
だって、わたくしの知っている殿下は――
「ええ、そうよ! 認めたくないのは分かるけど……いい加減殿下を解放してくださいませ!」
わたくしの思考を遮り、ジュリアンナ様はビシッと指を突きつけてきました。少しビックリしてしまいます。
ジュリアンナ様の中では、わたくしはどこまでも邪魔者でしかないのでしょうね。
何はともあれ、最後に大切なことを確認しておかねばなりませんね。
「あなたは殿下の笑顔を見たことがございますの?」
頬に手を添えたまま尋ねると、何をおかしなことを言うのかというように、ジュリアンナ様は眉を顰められます。
「はあ? 殿下は笑わないお方よ。だから、そんなクールなところがまた素敵なんじゃない。話聞いてた? 長年形だけとはいえ婚約者だったのに、そんなことも分からないなんて」
大仰にため息をつくジュリアンナ様。
けれど、分かっていないのはそちらですわ。
まあ、あえて教えて差し上げるほど、わたくしは優しくありませんので。
そろそろこのお話もおしまいにいたしましょう。
ジュリアンナ様は事実を歪曲させ、ご自身に都合のいいように誇張する悪癖があるようですし。
散々好き勝手に言われましたし、少しの意地悪は見過ごしていただけるでしょう。
「――ならば、わたくしとの婚約を解消し、あなたと婚約し直すように殿下に進言されてはいかがでしょうか? 本当に殿下があなたを愛しているのなら、快諾なさるでしょう。わたくしも殿下が婚約解消を望むのであれば、受け入れる所存ですわ。もちろん、殿下が望むのであれば――ですけれども」
わたくしの言葉を聞いたジュリアンナ様は、周囲のご友人方に「聞いたわね! あなたたちが証人よ!」と嬉々としていらっしゃいます。
「言質は取ったわよ! あとから吠え面かいても知らないんだから! アハハッ! 行くわよ!」
そう言ってジュリアンナ様はスキップをしながら去ってしまわれました。きっと、その足で殿下の元に向かわれるのでしょう。
そう、わざわざ、殿下の怒りを買いに――
◇◇◇
数日後、わたくしの予想通り、オニキス殿下にお茶会の誘いを受けました。
「婚約解消のお話ですか?」
我が公爵家自慢のサロンで、最近お気に入りの紅茶を勧めながらそういうと、オニキス殿下はとても嫌そうな顔をされました。
「はあ……シャロン、笑えない冗談はよしてくれ」
「あら、失礼いたしました」
クスクス笑って答えると、殿下はため息を吐きながらカップを口に運ばれました。
「だって、ジュリアンナ様ったら、随分とおかしなことをおっしゃいますのよ?」
「ほう、例えば?」
カップを置いた殿下が、興味深そうにわたくしを見つめてきます。
「殿下が笑わないとか、無表情でクールなところが素敵だとか……誰のお話をされているのかと思いましたわ」
「ぷっ、あはは! 違いない。君からするとそう思うだろうね」
殿下は、わたくしの話に肩を揺らしながら耳を傾けてくださいます。
「そうですわね。確かに仕方がないことかもしれません」
オニキス殿下は学園で一切笑わず、『氷の貴公子』と言われています。美しい銀髪に、透き通った碧眼からも冷たい印象を与えてしまうのかもしれません。
その美貌と、何事にも感情を動かさずに冷静に行動されるご様子に、生徒の皆さんは熱を上げていらっしゃるようですが、わたくしからしますとオニキス殿下の魅力は少年のような笑顔そのものなのです。
笑うと頬にえくぼができて、とてもかわいらしいのですよ?
「殿下を笑顔にできるのはわたくしだけですものね」
そう言って微笑むと、殿下は愉快そうに笑みを深められました。
「はー、やっぱりシャロンには敵わないな」
目尻に浮かんだ涙を拭い、熱を帯びた瞳で見つめられます。殿下って、笑いの沸点が低いのですよね。わたくしの前でだけですけれども。
いくらジュリアンナ様が殿下の側に近づこうと、殿下が笑顔を見せないということは心を許していないということ。
だから、わたくしは殿下の愛を疑うことなく待ち続けることができたのです。
「うふふ、褒め言葉として受け取りますわ。それで、ジュリアンナ様の件はどうなりましたの?」
彼女の名前を口に出すと、殿下は途端に苦虫を噛み潰したような表情をなさいました。
「ああ。ローレンス家が急に力を持った背景になにかきな臭さを感じていたのでな。ベタベタと馴れ馴れしくて不快だったが、しばらく辛抱して放っておいたところ……こちらから聞いてもいない情報をたくさん語ってくれたぞ」
「まあ、それはそれは……」
「勝手に自滅してくれたので手間が省けた。今頃、家宅捜索が入っているはずだ。闇取引に人身売買、詐欺まがいの商売で築いた家財は全て押収する手筈となっている」
急速に力をつけたローレンス商会でしたが、やはりそのやり口は違法なものばかりだったようです。
「シャロンが教えてくれた取り巻き一同はみんな、ローレンス商会に金を借りていたり、商売の取引相手を斡旋してもらったりしていたようだな。こちらも尻尾は掴んでいる。じきに報告が入るだろう」
随分と大捕物になるようですね。ここのところ忙しくされていたので、殿下もようやく一息つけるというところでしょうか。
「はあ、それにしても、こうして二人きりで過ごすのはいつぶりだ? シャロン不足でそろそろ発狂しそうだったぞ」
「まあ、殿下ったら」
グシャリと髪をかきあげる殿下はどこかあどけなく見えます。
幼い頃の面影を見て、微笑ましく思っていると、殿下はぶすりと頬を膨らませてわたくしの隣に移動してきました。
「二人の時は名前で呼んでくれと言っているだろう? それに、俺はこんなにシャロンを求めてやまないのに、君はそうではないのかい? 冗談でも婚約解消の話を聞かされた俺の身にもなってくれ。我を失いそうだった」
わたくしの髪をひとふさ指で掬い、唇を落としながら上目遣いで見つめてくる殿下は確信犯です。
ジュリアンナ様がわたくしに宣戦布告をした後、わたくしの挑発通りに殿下に婚約解消の進言をして……恐ろしい目にあったらしいのですが、その時のことを殿下は詳しく教えてくださいません。
「いえ、わたくしも寂しく思っておりましたよ? 少し意地悪をしてしまったことは申し訳ございませんでした。こうして、久しぶりにオニキス様とお話ができて嬉しいです。あなたの笑顔を見ることができる幸せを噛み締めておりますわ」
ニコリと微笑むと、殿下も応えるように笑ってくださいます。そんな些細なことが本当に幸せで、愛されている実感を抱きます。
「ああ、君の隣にいると、俺は自然に笑うことができる」
殿下はスルリとわたくしの腰に腕を回し、肩に顔を埋められました。サラサラの髪が頬を掠めてくすぐったいです。
王子という肩書きから、いつも警戒心を強めて毅然とした態度を心がけている努力家な殿下。そんな殿下が唯一心安らげる場所。それがわたくしの隣というわけです。
わたくしは幼い頃から国母となるべく妃教育に励んでまいりました。マナーも教養もしっかり身につけておりますが、一番大切だと考えているのは、伴侶となる殿下の心の拠り所となり、その癒しとなることです。
だからこそ、殿下と過ごす時間を大切にし、こうして確固たる信頼関係を構築するに至ったのです。まあ、最近は過剰すぎる愛情を感じることもしばしばなのですが――
「フフッ、オニキス様は甘えん坊さんですのね」
「ん? いいだろう。君の前でだけだ」
「当たり前ですわ」
ほんのり昏い目で、絶対に逃さないとばかりに見つめられ、ぞくりと身が震えてしまいます。
彼が時折見せる恍惚とした表情を前にすると、なんとも形容し難い感情に襲われるのです。
「ああ、早く結婚して君を俺だけのものにしたい。君となら、笑顔の溢れる家庭が築けると確信しているよ」
「あら、わたくしもですわ」
執着心の強い殿下もまた可愛いと思ってしまうのだから、わたくしもとっくに彼に絡め取られているのでしょう。
わたくしたちは肩を寄せ合い、明るく笑顔に溢れるであろう未来に想いを馳せたのでした。