「姫君の行方がわからなくなっただと!?」
簡易宿舎に設えられた執務室で、思わず俺は大きな声を張り上げた。
俺の怒声なんかには慣れてるはずの部下が身を竦め、慌てて「お前に怒っているわけではない」と手を振りながら示す。
ただでさえとんでもない報告を持ってきてしまったと窮屈な騎士鎧の中で身を縮こまらせてるのだ、責任のない彼をこれ以上怯えさせるも理不尽というものだろう。
そうでなくても戦争後の国境にある城塞都市なんてきな臭い場所なんだ、これ以上雰囲気を悪くしてストレス溜めてもお互いのためにならんし。
俺は気持ちを落ち着かせるために大きく息を吐き出してから、出来るだけ普段に近い声音で部下に問いかけた。
「で、一体どういうことだ、詳しく説明してくれ」
「はっ、申し上げます! 先日、閣下のご指示に従い相手側国境都市までお迎えに上がったのですが……」
閣下、なんぞと呼ばれるとどうにもむず痒い。
俺、アーク・マクガインはこの戦争における戦功により、二十五の若さで子爵位を賜った。
返り血で鎧が黒く染まる程の勢いで暴れ回ったせいで、『黒狼』なんて二つ名がいつの間にか付けられ、叙勲の際には黒い鎧を贈られる程。
そんな叩き上げの俺だからか、部下達も俺に対して一目置いてくれている。というか置きすぎてて一部の人間はびびってたりするのだが。
だからか、今も俺より少し年上くらいな目の前の騎士はキビキビと報告してくれている。
それは、それだけで言えば、良いことなのだが。
「街の太守から話を聞くに、どうやら姫君はまだご到着なさっておられず」
「まずそれがどういうことだって話だが……いや、続けてくれ」
停戦の条約が結ばれ、両国の友好のために隣国から末の姫、第四王女ソニア殿下が我が国の第三王子アルフォンス殿下へと輿入れすることになった。
友好のためと言えば聞こえはいいが、実際は敗戦国から戦勝国への人質みたいなもんである。
で、その大事な人質姫を安全にお連れするため、ついでに示威行動がてら、隣国では悪名高い『黒狼』、つまり俺がこの国境都市までやってきたわけなんだが……姫君は、予定の日になっても到着しなかった。
天候や体調の関係で遅れることもあろうと待つことにしたのだが、三日経っても音沙汰なし。
流石にこれだけ遅れて使者もなし、ってのはおかしいだろうってことで騎士を数人派遣したんだが……。
「何かトラブルがあって途中で動けなくなっているのかと思い、街道を利用していた商人達にき込むも、この辺りで王家の馬車を見かけたという者もおらず。
これはもっと王都寄りのどこかで何かがあったのかとゲイル隊長達は更に進まれ、私が現状報告のために帰還した次第です」
「そういう状況か……流石ゲイル、良い判断だ」
騎士の報告に、俺は一つ頷いて返す。
単に到着していないことの確認で終わらず、情報を集めた上で中間報告、というのが気が利いている。
いわゆる、ガキの使いで終わらないってやつだ。
おかげで、余計にのっぴきならない状況だってこともわかっちまったが。
「となると、だ……ああ、報告ご苦労、今日の所は下がって休んでおけ。
それからっと、速い馬を二頭用意、上手い乗り手を二人呼んでくれ!」
急いで戻って来たであろう彼を労い休息を指示すると、俺は手近にいる武官に声を掛けた。
呼ばせている間に急いで手紙を用意、こちらの王都へと早馬を走らせる。
状況の報告と、もう一つ。
「留守を任せる、俺が直接向こうに乗り込んで出迎えに行く!」
副官にそう告げると、精鋭を数人見繕って出立の準備をする。
先行しているゲイルは腕も立つし判断力もいいが、身分が少々物足りない。
現場で色々動く必要が出た場合、子爵でありお出迎えの責任者として色々と権限を与えられている俺が出張った方が話が早いことが多い。
なので、俺が出ることの事後報告も書きした。
何せ状況が状況だ、一刻を争う可能性が高いから、一々王都までお伺いを立てている時間はない。
後まあ、子爵位をもらったばっかで、連座で首くくられる身内もいない俺なら、万が一の時の落とし前も付けやすいってもんだろう。
部下達は、俺が強権を発動したということにすれば守ってやれるだろうし。
「うっし、そんじゃ行くか!」
気合を入れて、俺は愛馬に跨がる。
戦で叩き上げた実戦部隊だ、スクランブル出動はお手の物。
俺に遅れることなく揃った数人の騎士とともに、俺は相手側国境都市へと向かって馬を走らせた。
あちらの都市で太守に面会、状況を再度確認した後、俺が出迎えを兼ねて捜索に当たることの許可をもぎとる。
なんせこちらは外交特使の権限までもらってる上に今回のこの騒動だからな、向こうも強くは言えない。
更には、街道沿いにある宿場町や大きな都市へと先触れも出してもらった。
王女様が行方不明、その結果条約不履行になりかねないという緊急事態、万が一停戦破棄にでもなれば国境を守る太守が一番危険な状況になるわけだから、彼も必死である。
……まして、乗り込んできたのが『黒狼』なのだから、ってのもあるかも知れないが。
外交特使権限持ちな三桁斬りの死神なんて、疫病神以外の何者でもないだろう。
流石に俺達だけで行動するのはってことであちらの騎士数人とで街道を辿っていくことになったのだが、その道中で目にした光景はどうにも気がかりなものだった。
「どうにも殺風景っつーか、治安が悪いっつーか」
「戦争の影響がまだまだ残っていまして……主戦場はもう少し離れたところでしたが、そこから流れて来た者も少なくないようで」
「なるほど、それに関しちゃこちらもあまり大きな顔で物を言えませんが」
道中、野盗にでも襲われたらしい荷馬車が転がっていたりなどしているのは、食い詰めた元兵士だとかがやらかした可能性もあるという。
こんな環境でトラブルに巻き込まれていたりしたら……そう思った俺達の進行速度が速くなったのは仕方ないところだろう。
急ぎながらも途中の宿場町でゲイルが連絡要員として置いていった騎士と合流、更に辿って、また拾ってと繰り返す内に、数日でゲイルともある宿場町で合流が出来た。
……出来てしまった、というべきか。
つまり、これだけ進む間に王家の馬車が見つけられなかった、目撃情報もなかった、ということなのだから。
「申し訳ございません、閣下」
「いや、お前が調べて見つからなかったのなら仕方がない。しかし……どういうことなんだこれは」
殊勝な顔で頭を下げるゲイルを労いながら、俺は首を傾げる。
他国へ王女が輿入れするという一行だ、それなりの規模で人目に付くはず。
だというのにここまで目撃情報がないのは、あまりにもおかしい。
他の街道を使った可能性もなくはないが、この街道以外は全て大回りになるか道が悪いため、使うとは思えない。
となると、残る可能性は……。
「……ゲイル、街の住人達は、王女殿下の輿入れのことを知ってたか?」
「はい? それはもちろん……いえ、お待ちください、そういえば面食らった顔をしていたような……?」
「おいおい、これはまさか、そういうことなのか?」
俺達のやりとりを横で聞いていたこの国の騎士達の顔色が悪くなっていく。
何しろもう到着予定日から一週間以上経っている上に、ここは王都から国境までの道中の半ばほど。
いくらなんでもここにすら辿り着いていないということはありえないし、ろくに話題になっていないのもおかしい。
そもそも、普通王女が輿入れするならば、その一行をスムーズに通すため様々なお触れが途中の街には出されているはずだ。
それがない、ということは。
「そもそも出立してすらいないってことか、こりゃ」
「い、いえ、そのようなことは! 王女殿下が出立されたという先触れは来ておりますし!」
真っ青な顔で、この国の騎士が否定する。
そりゃまあ、もし本当に王女を出立させていなかったとしたら、条約を守るつもりがなかったってことになるわけで。
こっちからすりゃ喧嘩売ってんのかってことになるし、そうなりゃ停戦合意は破棄、もう一度剣と槍と弓でお話しましょうってことになりかねない。
正直俺個人としても避けたい事態だが、国がどう判断するかはまた別問題。やれと言われたらやるのが騎士である。
……とはいえ、ここまで道中を供にして、彼らに多少の情が湧いていないわけでもない。
「先触れが来たのであれば、出立はされたのでしょう。しかしこうなると、王都付近、いや、王都にも足を伸ばして調査する必要性はあるかと思うのですが」
「それは、そう、ですね……わかりました、我らから先触れを出しておきますので」
「お願いします。……両国の友好のためにも、是非」
悲壮な覚悟で告げる騎士へと、俺も重々しく頷いて返す。
何しろついこないだまで命のやり取りをしていた連中を王都にまで引き入れる許可を得ようってんだ、どんなお咎めがあるかわかりゃしない。
仮にこの事態の原因が王家にあったとしても、それとは別の話として処罰するような理不尽なことは、残念ながら往々にしてある。
それでも、このまま放置して再び戦争が起こって仲間や民草が苦しむよりもまし、と考えたのだろう。
当然、俺としてもこれ以上血生臭いことになるのは避けたいところ。
戦争で大暴れした俺がノコノコと相手国の王都に行って生きて帰ってこれるかはわからんが、ここで調査を打ち切れば戦争まったなしなのだ、覚悟を決めるしかない。
互いに頷き合うと、俺達は為すべき事を為すため、それぞれに動き出した。
改めて宿場町で確認すると、領主はともかく平民で王女殿下の輿入れを知る者は一人もいなかった。
もうこれはほぼほぼアウトだろうと思いつつも、二人の騎士を状況説明のため我が国王都へと向かわせながら、僅かな可能性に賭けて俺達は隣国王都へと向かう。
そして、移動とき込みを繰り返すも、結局情報はなし。
とうとう、隣国王都へと辿り着いてしまったのだった。
こうなるともう、王女が出立していなかったということに他ならない。
哀れな騎士達は顔面蒼白だが、事実は事実だからしかたない。
後は再び戦端が開かれることを避けるよう、何とかするしかない……詰んでるとしか思えない状況だが。
とにかく情報共有と状況の確認をせねばと王城へと向かえば、先触れのおかげか、意外なことにすぐの謁見となった。
悪名高い俺とすぐに会うということは、向こうも事態を重く見ている? 向こうにとっても想定外の事態?
少なくとも、明確に表立って我が国と敵対するつもりはない、ということだろうか。
その俺の推測は外してはいなかったらしい。
国王だけでなく上位貴族も集まった謁見の間は、困惑の空気に包まれていた。
外交儀礼として最低限の挨拶をした後に状況を語り、それが確かなことであることを隣国の騎士が証言すれば、ますます困惑は深まっていく。
「状況はわかった。しかしマクガイン卿よ、確かにソニアは出立しているのだ」
「なんですって?」
国王によれば、確かにソニア王女は予定の日に間に合うよう出立したらしい。
しかし、隣の宿場町にすら目撃情報はなかった。
ついでにいえば、その宿場町と王都の間はこの国の街道でも一番治安がいい部類で、実際殺伐とした空気はなかった。
「そうなると、王都の中で行方不明になったということになりますが」
「それこそありえない、馬車が襲われでもすれば、すぐに衛兵が駆けつけるし、報告も上がってくるはずだ」
うん? 何だ、今何かが引っかかったぞ?
国王が言うことはもっともなはずなのに、何か違和感があった。
それが何かはっきりしないが、覚えていた方がいい気がする。
それはそれとして、このままでは何の手がかりもないことになってしまう。
「陛下のおっしゃることを疑うわけではございませんが、念のため出入りの記録などを確認させていただけませんか?」
「本来ならば不敬と咎めるところであろうが、そんなことを言っている場合ではないな。
構わん、機密に触れる可能性があるため、許可は取ってもらうことになるが。騎士団長、許可については一任する」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げた壮年の男が騎士団長なのだろう。
ふと、顔を上げた彼と目が合った。
……出来る。
流石、騎士団長になっているだけあって、その腕は相当なもののようだ。
こんな状況でなければ手合わせを願いところだが、そんな場合じゃない。
っていうかこれは、俺に対する牽制もあるな。万が一俺が暴れても抑え込めるように、と。
まあそれくらいの用心は当然か、何せ俺は要注意人物だろうから。
それはともかく。
本当ならば忙しいであろう騎士団長を伴って、俺はまず城門の入退場記録を見せてもらったのだが。
「……王家の馬車が出た記録がないのですが?」
「なんだと!?」
俺が言えば、慌てて騎士団長はその記録簿を俺の手から奪い取り、目を皿のようにして読んでいく。
幾度も幾度も読み返し、それでもやはり記録が見つからなかったらしく、愕然とした顔でこちらを見た。
いや、そんな顔でこっちを見られても困るんだが。
「こ、これは一体どういうことだ!?」
「聞きたいのはこっちですって。どう考えても、ソニア王女殿下が出立されていない証拠に他ならないと思うのですが」
案外精神的には脆いのか、完全に予想外だったのか、騎士団長の狼狽っぷりったらない。
それでかえって俺は冷静になったりしているのだが、しかし、ほんとにどうしたもんだこれ。
と、俺達のやりとりを聞いていた門番の一人が声を掛けてきた、
「あの、ソニア殿下でしたら、お出になる時は王家の紋章がついた馬車はお使いになりませんから、そのせいではないでしょうか」
「「は!?」」
俺と騎士団長の声が、綺麗にハモった。
話を聞けば、ソニア殿下は紋章入りの馬車の使用を姉姫だか王妃だかから禁じられていたらしい。
それは、門番達の間では情報共有されていたのだが、最上層部である騎士団長までには情報が上がっていなかったようだ。
「あ、ほら、これですよ。いつも通り御者一人と侍女一人をお連れになって」
「「はぁ!?」」
また、俺と騎士団長の声がハモった。
なんで王女がそんな少人数で……あ。
「それだ、それか、さっきの違和感は!
王都の中で、王女の馬車が襲われる可能性がある前提で陛下は話をしてたんだ!
護衛がしっかりついてれば、そんな可能性はほぼないってのに!」
「あ、ああっ!?」
俺が思わず大きな声で言えば、思い当たるところのあった騎士団長は悲鳴のような声を上げ……門番は、きょとんとした顔をしている。
そう、多分彼らからすれば、知らなかったのか? だとか 今更? だとかそんなところなのだろう。
彼らは大半が平民だとか身分が高くても男爵家の次男三男だとかだから知らないのも無理はないが、御者と侍女だけで出るなど、貧乏な男爵家だとかならともかく、少なくとも子爵家の令嬢ですらありえない。
まして王女となれば、最早あってはならないこと。
だというのに、どうやらそれは常態化していたらしい。
「騎士団長がなんでご存じないんですか……いや、管轄が違うのですか?」
「ええ、王家の護衛に関しては近衛が一手に……あいつら、一体何をやっているんだっ」
憤懣やるかたない騎士団長は、がしがしと乱暴に頭を掻く。
物に当たったりしない辺り、相当理性的な人だな、この人。
その人ですらこんだけ取り乱すってことは……本当に何も知らなかったんだ。
派閥だなんだはどこの国にでもあるもんだし、彼が把握出来ていなかったことは仕方がないのだろう。
ただ、そのせいで一人の年若い女性が行方不明になっているのは大問題なんだが……今はその責任が誰にあるかを追及している場合じゃない。
無事だろうか。無事であって欲しい。
心配だが、心配しているだけではどうにもならない。
「日付は……確かにこれは、順調に行けば余裕を持って国境に着ける日付ですね。
それで、御者一人、侍女一人……荷物は、目立つ程多くない、と。
この日、輿入れのために出立されたのは間違いないようです。ほとんど身一つの状態で、ですが」
「なんと、なんということだ、これは……これでは、ソニア殿下はっ」
御者と侍女が超人的に強い可能性もあるが、そうでなかった場合、今の街道をこの少人数で進んで何かあった可能性は低くない。
何より、調査に引っかからなかった理由も明白になった。
俺達は王家の馬車を探していた。
だが、ソニア王女はそんなものは使っていなかったのだ、目撃情報があるはずもない。
つまり、調査は一からやりなおしだ、最悪なことに。
「団長殿、まずは王都の門の出入り記録を確認させていただきたい。
それから、王女殿下がお輿入れの際に嫁入り道具としてお持ちになったもの、随行員の記録を拝見したいのですが」
「確かに、それらの情報があれば道中の街でのき込みもしやすいでしょうから……急ぎ手配しましょう」
驚愕から立ち直ったらしい団長が頷けば、部下へと指示を出し始める。
ゲイル達部下はこの国の騎士と共に王都の門の出入り記録の確認。
一番身分が高く外交特使の権限を持つ俺は、王城内で騎士団長と共に各種記録を調べていった。
その結果。
「王女殿下の馬車が、街道に続く門を出たことは間違いない、のですが……」
「これは、流石に、ちょっと、なぁ……」
門から出た、こちらに向かう意思はあった、と確認できた。
つまり、条約を守ろうとした意思は確認できた。それはいい、んだが。
「持ち出した荷物……王女殿下の輿入れどころか、貴族令嬢の小旅行としてもどうなんだって感じですね、これ……」
「随行員も門番の言っていた通り、御者と侍女一名ずつ。以上。
何ですか、こちらの王家は意図的にソニア王女殿下を不慮の事故に遭わせたかったんですか?」
冷静に、冷静に。
そう自分にい聞かせないと、言葉に毒が滲み怒りが漏れ出しそうになる。
あまりに、酷い。
これらの調査結果を見せられた騎士団長の顔は怒りと失望で歪んでいた。
今回の輿入れに、彼は直接的には関係していない。
それでも責任を感じているのだろうし、こんな状況をのさばらせていた近衛の連中にも、それを知らなかった自分にも怒りを感じているのだろう。
「これでは、王女殿下には条約履行の意思はあったが、王家にはなかったのではという疑念が拭えません。
追加で調査させていただかねば、これで終わりとはとても言えない」
「ええ……こちらとしても、最大限協力致します。存分にお調べください」
このままでは条約不履行に問われる、と脅せば城内の根回しもしやすいし、この際に大掃除をしましょうと騎士団長は笑みを浮かべた。
……俺でさえ肝が冷える、いい顔で。
やっぱこの人と一度手合わせしたいもんだが、それは全部が片付いた後だ。
何を差し置いても、ソニア王女殿下を見つけなければ。
まずは、馬車や王女殿下、御者や侍女の特徴を共有した上でゲイル達と団長の部下達が街道を追いかけていくよう手配。
その間に俺は、団長の協力の下、ソニア王女殿下がどんな状況に置かれていたかを調べた。
調べなきゃ良かった。
いや、彼女の名誉のためには調べて良かったと頭ではわかってるんだが、感情が言うことを聞いてくれない。
「貴国では、これが王女殿下に対する扱いなのですか……?」
「いや、こんなことはあってはならないことです」
「しかし、実際に起こっていた。あってしまっていた」
ソニア王女の扱いは、酷いものだった。
三人の王子、三人の王女と子供の数が盤石だったところで予定外に側妃が産んだ末の姫。
責任も軽い分、扱いが軽くなるということはあるかも知れない。
もしかしたら、最初ちょっと扱いが良くなかっただけ、だったのかも知れない。
だが、いつしか彼女は軽んじられていた。それも、家族からも使用人達からも。
例えば、彼女だけいつからか食事を同じくしていなかった。
付けられた教師達は、彼女に対して手抜きの授業をしていた。
そんな扱いを見ていた使用人達も、少しずつソニア王女の世話から手を抜き始めた。
そして、誰もそれを咎めなかった。
親である国王も、腹を痛めて産んだ側妃すらも。
……これは、男である俺の幻想が過分に入っていることは認める。
だが、理解出来なかったし、認めたくなかった。
彼女にとっては自身が産んだ第二王子が王位に就けるかどうかが一番重要で、政略上大した意味のないソニア殿下には興味がいかなかったらしい。
ふざけるな、と叫びそうになった。
いくら王族だと言っても、それでも人の親かと。
子供がいないどころか独身である俺ですらそう思ったのだ、既婚で子持ちの騎士団長など、血管が何本か切れそうなほどに顔を真っ赤にしていた。
せめてこの人がソニア王女と直接関わる立場だったなら、と思わずには居られない。
これで彼女が自分の立場に気付かないで居られるくらい愚鈍であれば、まだ幸いだったかも知れない。
だが、残念ながらそうではなかった。それどころか、逆だった。
「王女殿下は、本当に聡明な方で……いい加減に教えられたことでも、ご自分でお調べになってきちんと習得なさっていて……」
数少ない、ソニア王女付きだった侍女が涙ながらに言う。
ぞんざいな仕事の使用人が多かった中で、彼女やソニア王女殿下に付いていった侍女は誠心誠意彼女に仕えていたらしい。
彼女に言わせれば、ソニア王女はそれに値する姫だった、と。
「ご自身がお辛い立場でらしたというのに、常に穏やかで、私どもにもお優しく……微笑みと気遣いの絶えない方でございました」
そう聞いた時には、心から驚きと、敬意のようなものを覚えた。
恵まれている時に優しく出来る人間はそれなりにいる。腐っていく人間もいるが。
だが、辛いときに優しく出来る人間など、そうそういるものではない。
なのに、ソニア王女はしていたのだ、年端もいかぬ歳の頃から。
どれだけ心が清ければそんなことが出来るのか、と不思議に思ったのだが、それは調査が進むにつれてわかった。
聞けば聞く程、ソニア王女は穏やかで優しく、常に微笑んでいるようなお姫様だった。
そう、微笑みを絶やさないでいた。
心からの破顔は、一度もなしに。
それを理解した時、胸が痛かった。いや、今も痛い。
彼女は、一度でも心から幸せだと、楽しいと思えたことはあったのだろうか。
答えなど返ってくるわけもない問いが、俺の頭の中でぐるぐるとする。
確かに彼女は王族の生まれだ、国に奉仕するための存在だ。
貴族である俺だってそうだ、王族である彼女はより一層そうであることを求められるのは当然だろう。
だからって、これはない。
いくらなんでも、これはないんじゃないか?
彼女は、諦めていたのだ。己の幸せだとかそういったものを。
だから他人の為に微笑むことは出来ても、自分のために笑うことはしなかった。出来なかった。
そう思い至った時、俺は泣いた。
なんでだ、なんで、こんな年若い少女がそんな思いをしなきゃいけなかったんだ。
問うても、誰も答えを返してはくれない。
誰も答えを持っていないのだから。
思い知った程度な第三者の俺ですらそう思ったのだ、当事者であったソニア王女はどれほどの絶望を感じただろうか。
もう、誰にもわからない。王女付きだった侍女であっても。
ならば、せめて窺い知ることの出来た彼女の思いをせめて叶えてやりたいと思ったのは、きっと仕方のないことだろう。
「以上のことから、貴国は邪険に扱っていた姫君を、これ幸いとばかりに我が国に押しつけようとしたと考えられます。
異議はありますか?」
俺、ではなく、駆けつけてきてくれた俺の上司の上司の上司にあたる第三王子、そしてソニア王女と婚姻するはずだったアルフォンス殿下が、喉元にナイフを滑り込ませるような静かに鋭い口調で問いただす。
俺が知らせを送ってから、これは大事になりそうだと判断したアルフォンス殿下は諸々の段取りを付けた後、駆けつけてくれた。
そして、ちょうど俺達が纏め終わった資料に目を通して、冷たい殺気を纏ったままこの会見に臨んで、こうして問い詰めているというわけである。
学生時代からの付き合いだから、彼が情にほだされたとかではないことはわかっている。
国を、条約を軽んじられた。そのことに憤っているのだ。
なんせ、邪魔者の厄介払いに使われたような形だからな。それも、向こうが敗戦国側だというのに。
「異議がないのであれば、それはそれで結構。随分と舐められたものだと判断するだけのことです」
「お、お待ちあれ! 決して貴国のことを侮ったわけではないのです!」
慌てて隣国の国王がい訳を口にする。
きっと、ソニア王女には尊大な態度で接していたであろう彼が。
その彼が俺と同い年であるアルフォンス殿下に下手に出ているのだ、ざまぁみろと思うかと思っていたのだが。
全然、そんなことはない。
むしろ、虚しい。
あれだけソニア王女をぞんざいに扱っていた国王が、王妃が、力関係が上であるアルフォンス殿下に対してはこうもへりくだるものかと、情けなくすらある。
こんな連中のために、ソニア殿下はその身を差し出し、道中で儚くなってしまったのか?
あまりの理不尽さに、腸が煮えくり返りそうな気持ちになる。
だが、そんな俺の感情……いや、感傷で物事を左右するわけにはいかない。
まして今や、第三王子殿下が出張ってきたのだから。
「では、何故他の王女でなく、十分な教育も身だしなみも与えていなかったソニア王女を私の婚姻相手にと申し出られたのか?
第二王女も第三王女も未婚でいらっしゃるというのに」
声の温度を急降下させながら、アルフォンス殿下は問いを重ねる。
ちなみに、年齢で言えば第二王女が三歳差、第三王女が五歳差と、よっぽど釣り合いが取れているのだから、あちらはぐうの音も出ない。
あまりの酷さに深入りした結果、ソニア王女の部屋の惨状にまで至ったのは、俺だ。
侍女の部屋よりも狭い部屋、二着しかドレスの無かったクローゼット。
そのドレスも、明らかに十六歳となったソニア殿下に合うものではなかった。
調べて見れば、十三歳以降、彼女は夜会にもお茶会にも出ていない。
だが、予算は消化されていた。姉姫や使用人達のために。
つまり、横領が常習化していたのだ。
それ自体は国内事情だ、俺達がどうこう言う筋ではない。
感情は別として。
だが、そうやって蔑ろにして、まともなドレスの一着も持っていない王女をうちの第三王子の婚姻相手にふさわしいと送りつけたのならば話が変わってくる。
いや、送りつけるどころか行ってこいと放り出したのが実情だ、国としてはどれだけ馬鹿にしてるのかと憤る所である。
だから、こうして夫となるはずだったアルフォンス殿下が乗り込んできているのだが。
……何故だか、そう考えたところで、胸がチクリと痛んだ。
そんな俺の感傷など無関係に交渉は進む。
……交渉、というか一方的な言葉の暴力になっているような気がしなくもないが。
「更には、この携行した荷物の量と内容。
これはつまり、嫁入り道具は持たせない、必要なものは我が国で全て用意しろと言外に要求しているようなものですが、いかがか?」
「ち、違うのです、後から送ろうと……」
「ソニア殿下が出立されてから、はや一ヶ月を過ぎております。
ですが、その後から送ろうとしたという荷物は用意されていないようですが?
それとも、あのろくなものが残っていない部屋から送ろうとしていた、と?」
アルフォンス殿下の言葉に、また胸がうずく。
そう、調査をしていたうちに、もう一ヶ月が過ぎている。
これだけ時間が経ってしまっていて、ソニア王女が無事でいる可能性など毛ほどもないだろう。
というか、最早絶望的と言っていい。
ちなみに、手配していたはずの嫁入り道具予算は、侍従長だとかに使い込まれていた。
ここまで両国の関係を拗らせてしまったのだ、恐らく連中は軒並み極刑となることだろう。
「そうやって放り出された王女殿下の消息は、国境を前に途絶えております。
あなた方は、そんな致命的なことすら我が国が調査するまで知らなかったのですよ。
条約を真摯に履行しようとしていたとはとても言えない状況だと言わざるを得ません」
宣言するように響き渡る声を聞いて、俺は肩を落とす。
最悪の上に更に最悪なことに、行きしなに俺が見かけた荷馬車と思った馬車が、ソニア王女の乗っていた馬車だったと判明したのだ。
一ヶ月以上経っていれば痕跡だとかも風に飛ばされていたので碌な現場検証も出来ず、追跡することも出来ず……完全に手遅れだったのは間違いない。
もちろん、そのこと自体はとっくに知っていた。何しろ調査の指揮を執っていたのは俺なのだから。
だが、改めて公式の場で言われると、心に来る。
公式に、彼女の死が認められたようなものだから。
俺の失意をよそに、交渉は進む。世界は回る。
結局、過失とはいえ相手国の条約不履行となったので、そこを足がかりにして我が国は更に有利な条件を獲得。
政治的には大勝利を収めた、と言って良いだろう。
「アーク、お前ここのところ働きづめだったろ? しばらく休め」
事が終わって我が国の王都に戻った途端、アルフォンス殿下にそんなことを言われた。
確かに、と思った瞬間、がくっと膝が抜けそうになった。
情けないことに、俺は自分でも気がつかないうちに相当疲労をため込んでいたらしい。
どちらかと言えば、身体よりも精神の疲労の方が大きかったような気がするが。
この一ヶ月以上、ソニア王女のことをずっと追いかけていた。
特に、彼女の境遇を知れば知る程に、のめり込んでいった。
やばいなと思った時には手遅れな程に。
結果としてそのおかげで随分とこちらに有利な条件を引き出せたし、遠からずあちらの王家が揺らぐような種も色々と仕込めた。
国家としては大きな成果を上げられた。国としては。
だが、俺自身には何も残らなかった。それが、どうにも虚しい。
いや、今回の一件は功績として評価してもらえたし、第三王子の懐刀として存在感を増したとも言える。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
俺が欲しいのは、それじゃないんだ。
そのことに気がついて愕然として、腰が抜けた。
その夜は感情を誤魔化すために酒をたらふく飲んで酔い潰れた。
だが、それでも俺の気の迷いは抜けきれなかった。
多分俺は、世界で一番彼女に詳しい男だ。
流石に侍女達には負けるだろうが、男の中では一番と言って良いはず。
侍女達もそれぞれは知らない情報もあろうし、それを俺は知っている、とも思う。
そんなどうでもいいことを、誰にともなく張り合うくらいに俺はイカれていた。
これは、同情でしかないのかも知れない。
そう思っても俺の中から湧き出て突き動かそうとするこの感情は尽きることがない。
彼女に会ったこともないのに、例えすれ違った程度でも一目でわかると根拠のない自信を持ってすらいるほどに。
勿論現実は無情だ、そんなことがあるわけもなく……俺は休みの時間を浪費して、王都をふらりと彷徨うのだった。
私は、籠の中の鳥だった。
それも、餌やりを時折忘れられる類いの。
飢えることはなかった。
けれど、満たされることもなかった。
それでも、話に聞く平民達に比べればいい暮らしをさせてもらえているし、学ぼうと思えば学べる環境にいたのだ、恨むつもりはない。
ない、はずだったのだけれど。
「私が、隣国に、ですか」
「はい、左様でございます」
唐突に告げられた輿入れ。
それは、既に決定した事項として淡々と告げられた。
国王陛下の侍従から。
そう、婚姻という重大事項においてさえ、血の繋がった親であるはずの国王陛下も側妃殿下も直接お話にはいらっしゃらなかった。
これが、私の中での決定打だったのだろう。
王家の人間として生まれたのだ、政略の道具として使われるのは仕方がないと思う。
そのための心づもりもしていた。そのつもりだった。
けれど、ここまで道具扱いされるとは思っていなかった。
せめて僅かばかりは娘として扱ってもらえるのではないか、と。
その後、出立の日まで、誰も私に会いに来なかった。
お忙しい国王陛下は仕方が無いかも知れない。
王妃殿下やお産みになられた第一王子殿下、第一王女殿下と第三王女殿下も仕方ないのだろう。
しかし、血の繋がりがある上に然程業務の多くない側妃殿下や同腹の兄弟である第二、第三王子殿下、第二王女殿下もいらっしゃらなかったのは……かなり、堪えた。
血の繋がりがあろうと、あの人達にとって私は、家族では無かった。
そのことを、改めて突きつけられた気がして。
ならば。
家族でないのならば。
私を道具として使い捨てるつもりならば。
王家に対して私が仕返しをしてもいいのではないか。
そう思った私を、誰が責められるというのだろう。
さして纏めるに時間の掛からなかった荷物だけを、第三王女殿下に言われて使っている、紋章なしの粗末な馬車に詰め込む。
侍女のローラに御者のトム、それと私の三人がかりならばそれもあっという間。
いつものように王城の正門を、王都の門を潜れば後は隣国へと繋がる街道。
不穏な空気は感じつつも、何とか最後の宿場町を越えて。
「よ~しあんたたち、良い仕事してくれたよ、ご苦労さん!」
爽やかな笑顔で、侍女のローラが言う。
……ローラ、よね?
普段は真面目に淑やかに私に仕えてくれている彼女は、何だか盗賊の女頭領のような貫禄で私達を襲ってきたはずの野盗達を労っていた。
そう、この襲撃はローラの仕込み、私はもちろん御者のトムも無事である。
野盗、であるはずの彼らは私達が離れた後に馬車を壊し、襲撃があったように偽装。
その後、ローラから報酬を受け取ってホクホク顔で去って行った。馬を二頭置いて。
「……手際が、良すぎませんか……?」
「ええ、昔取った杵柄と言いますかなんと言いますか!」
呆然と私が問えば、ローラはとても爽やかな笑顔で答えてくれた。
あ、こっちがローラの本性なんだ、とすぐに理解出来た。
その後は野盗の置いていった馬に乗って移動。
ちなみに私はローラの馬に乗せてもらった。
お迎えが来ているはずの国境都市をそっと通過。
後に大騒ぎになったけれど、反対側にばかり気が行っていたらしく私達を追いかけてくる人達はいない。
「まさか行方不明になったあたし達が、そのままこっちの王都に向かってるとか普通は思わないでしょ」
とはローラの弁。
そして実際その通りだったようで、私達は大した問題もなく隣国の王都に辿り着いた。
そのタイミングで、私の夫となるかも知れなかった第三王子アルフォンス殿下が出立なさった、らしい。
英俊であると名高い彼であれば、私が残したあれこれから事情を読み取ってくれるに違いない。そうだといいな。
ちょっとは覚悟していたけれど、実際恐ろしいほどスムーズに調査は進んで、民に迷惑を掛けることなく王家への制裁だけで事は収められたらしい。
そのことには、本当に感謝だ。
「これで姫様の心残りもなくなったでしょうし、気兼ねなく新しい人生を始められますね!」
なんてローラは言ってくれるけれど、残念ながら私はまだ切り替えられていない。
籠の中の鳥から、何者でもなくなった、それ自体は望んだこと。
ただ、その後何者になるのか、そこを考えていなかった。
ローラやトムは「ゆっくり考えればいいんですよ」などと言ってくれるけれど、とても申し訳ない。
早く立ち直って、何なら職の一つも見つけて二人に恩返しの一つもしてあげたい。
けれど、どうしたらいいのかわからない。
何かきっかけがあれば、なんて思いながら王都を歩いていた時だった。
「お、お待ちあれ! そこのお嬢さん、お待ちになっていただきたい!」
いきなり、すれちがった男性から声を掛けられた。
黒を基調とした服装、狼を思わせる精悍な顔立ち。
何よりも、まっすぐに私を見つめてくるその瞳の強さ。
私の中の何かが射貫かれ、どくん、と心臓が大きく動いた音がした。