翌朝よくあさ。

「アルス様さま、ロセルがやってきましたよ」

　リーツから報告ほうこくを受うけて、私わたしは急いそいで屋敷やしきを出でて、出迎でむかえに行いった。

　表ひょうに出でると、グレッグに連つれられてきたロセルの姿すがたが見みえた。

「あ、アルス様さま、わざわざ出迎でむかえていただいて申もうし訳わけねぇです。お前まえも頭あたま下さげねーか」

　グレッグがロセルの頭あたまを掴つかんで、下さげさせた。

「じゃあ、俺おれは仕事しごとがあるんで。ロセル、絶対ぜったい迷惑めいわくかけるんじゃないぞ」

　そう言いって、グレッグは屋敷やしきを去さっていった。

「よく来きたなロセル、早速さっそく、屋敷やしきに……」

「ひっ……」

　私わたしが話はなしかけながら近ちかづくと、ロセルは怯おびえながら後あとずさる。

　そんなに怖こわいのか。

　これは人見知ひとみしりというより、人間にんげん恐怖症きょうふしょうの部類ぶるいに入はいっていないか？

「ロセル、私わたしはお前まえに危害きがいを加くわえるつもりはない。そんなに怖こわがらないでくれ」

　怯おびえさせないよう、笑顔えがおを浮うかべながらそう言いった。

　しかし、ロセルの表情ひょうじょうは晴はれず、

「う、嘘うそだ」

　そう言いった。

　彼かれがまともに言葉ことばを発はっしたのは、これが初はじめてだ。

「嘘うそじゃないさ」

「う、嘘うそに決きまってる。だって、お、俺おれなんかに才能さいのうがありっこないし。き、きっと俺おれを奴隷どれいか何なにかにするために呼よんだんだ。もしくは、俺おれをいじめて楽たのしむために呼よんだ。そ、そうだ、き、きっとそうに違ちがいない」

　堰せきを切きったようにロセルは早口はやくちで喋しゃべり出だした。

　物凄ものすごくネガティブな考かんがえの子こだな。

　人ひとを簡単かんたんに信用しんようしたりしないようだ。

　まあ、軍師ぐんしとしてはそういう面めんがあった方ほうがいいのかな？　あんまり前向まえむきすぎて、人ひとをすぐ信しんじるというのも、問題もんだいがあるだろう。

　ただ、ここはあまり警戒けいかいをしてもらいたくない。

　私わたしはロセルに近ちかづき、両手りょうてで肩かたを掴つかむ。

　彼かれの体からだは怯おびえて震ふるえていた。

　私わたしは、涙なみだで潤うるんだロセルの水色みずいろの瞳ひとみを、一直線いっちょくせんに見みつめた。

「私わたしはお前まえには才能さいのうがあると確信かくしんしているから、ここに来きたさせた。決けっして危害きがいを加くわえるためではない」

「……う」

　真剣しんけんにそう言いったら、少すこしだけロセルの震ふるえが収おさまった気きがした。

　しかし、そう簡単かんたんに信しんじるわけはなく、数すう秒びょう後ご、ロセルは横よこを向むき、視線しせんを外はずした。

　これ以上いじょう口くちで言いっても仕方しかたないだろう。

「では、付ついてこい」

　私わたしはそう言いって、いつもリーツと勉強べんきょうしている勉強べんきょう部屋へやへと向むかった。

「あの子こ、大丈夫だいじょうぶなのでしょうか？」

　向むかっている途中とちゅう、リーツが小声こごえで尋たずねてきた。

　屋敷やしきに入はいってからも、ロセルは不安ふあんそうな表情ひょうじょうで、キョロキョロと周囲しゅういを見回みまわしている。

　相当そうとう警戒けいかいしている様子ようすだ。

「ワンワン！！」

　屋敷やしきで飼かってるペット、鳥とり犬けん《とりいぬ》のアーシスが走はしってこちらに向むかってきた。

「うわっ！　も、猛獣もうじゅうだ！」

　ロセルはアーシスを見みた瞬間しゅんかん、逃にげ出だして近ちかくにあった銅像どうぞうに隠かくれた。

「怖こわがりすぎだろ。全然ぜんぜん大丈夫だいじょうぶだし、猛獣もうじゅうじゃないぞ」

　私わたしは大丈夫だいじょうぶであるとアピールするため、アーシスの頭あたまを撫なでる。するとパタパタと背中せなかの翼つばさをはためかせた。嬉うれしいとこうするのだ。

「可愛かわいいだろ？」

　見みた目めは翼つばさの生はえた愛玩あいがん犬けんの狆ちん《ちん》なので、決けっして怖こわくはなく可愛かわいいだけなのだが。

「た、確たしかにその状態じょうたいだと可愛かわいいけど、そ、そうだ、変形へんけいするんだ。餌えさが来くると怖こわい、ケ、ケルベロスに変形へんけいするんだろ……？　そ、そうか、俺おれはそいつの餌えさにするために呼よばれたんだ。きっとそうに違ちがいない。小ちいさい奴やつが好物こうぶつなんだ。絶対ぜったいそうだ」

　またも早口はやくちで、ネガティブな考かんがえを口くちに出だす。

　これはまたシャーロットとは別べつベクトルで、癖くせのある性格せいかくをしているな。

　怖こわがっているので、私わたしは使用人しようにんを呼よんで、アーシスの散歩さんぽに行いかせた。

「これで怖こわくないだろ？」

　私わたしはそう言いうが、ロセルはまだ警戒けいかいしているのか、キョロキョロしている。

　無駄むだに時間じかんをかけて、勉強べんきょう部屋へやに到着とうちゃく。

　私わたしの勉強べんきょう部屋へやにはたくさんの本ほんが置おいてある。

「そういえば、ロセルは字じが読よめるのか？」

　この世界せかいの識字しきじ率りつは、日本にっぽんほど高たかくはない。

　それ以前いぜんに五ご歳さいなので、まともに字じを読よめる確かく率りつは非常ひじょうに低ひくい。

「ちょっとしか読よめない」

　読よめないなら、まずは字じを読よめるようにするところだな。

　リーツも最初さいしょは読よめなかったが、五日いつかくらい勉強べんきょうしたら、すぐ読よめるようになっていた。

　私わたしは三さん週間しゅうかんくらいかけて習得しゅうとくしたので、その時ときは才能さいのうの差さを思おもい知しらされた。

　ロセルは知略ちりゃくの限界げんかい値ちが高たかいということは、相当そうとう地頭じとうはいいはずである。

　まだ子供こどもで、吸収きゅうしゅうが早はやいということを考かんがえれば、リーツより早はやく習得しゅうとくしてもおかしくはない。

「今日きょうは私わたしは自習じしゅうしておくから、ロセルに字じを教おしえてやってくれ」

「かしこまりました」

　私わたしは自習じしゅうをして、教おしえるのはリーツに任まかせることにした。

　ロセルは怯おびえているのか、リーツの言いうことには素直すなおに従したがっていた。あの様子ようすでちゃんと勉強べんきょうできるか不安ふあんではあるが。

　リーツが何なにとかしてくれると信しんじて、私わたしは自分じぶんの勉強べんきょうに集中しゅうちゅうした。

　しかし、教おしえてくれるのがうまいリーツがいない状況じょうきょうだと、中なか々捗はかどらない。

　戦術せんじゅつの勉強べんきょうをしているのだが、そもそも実戦じっせんを知しらない私わたしには、いまいちピンと来こないことが多おおい。

　うーん、ほかの事ことを勉強べんきょうしよう。戦術せんじゅつは軍師ぐんしに任まかせればいいしな。

　地理ちりや歴史れきしを中心ちゅうしんに勉強べんきょうしてみるか。

　と、こんな感かんじで勉強べんきょう内容ないようをコロコロと変かえ、結局けっきょく何一なにひとつまともに身みに付つかずじまい。所詮しょせん、前世ぜんせいの私わたしの学力がくりょくは中なかの中なか、もしくは中なかの下した。

　鬼おにのように集中しゅうちゅうして勉強べんきょうするなんて、無理むりなのである。

　時間じかんも結構けっこう経過けいかしたので、ロセルがどのくらい文字もじを習得しゅうとくしたのか見みてみるか。

　勉強べんきょうをやめてロセルとリーツを見みてみると、何なにやら黙々もくもくと本ほんを読よむロセルの姿すがたが。

　リーツは何なにも言いわずにロセルを見みている。

「これはどう言いう事ことだ。まさかもう文字もじを完全かんぜんに習得しゅうとくしたのか？」

　この世界せかいの文字もじは、日本語にほんごより英語えいごに近ちかい。

　複数ふくすうの文字種もじしゅを使つかうわけではないので、習得しゅうとく難易なんい度どは日本語にほんごよりは低ひくいのだが、それでもこの早はやさで習得しゅうとくするのは驚異きょうい的てきである。

「え、ええ信しんじがたいですが……飲のみ込こみの良よさがちょっと尋常じんじょうじゃないくらい良よいですねこの子こ。字じを習得しゅうとくし終おわったあと、本ほんに興味きょうみを示しめしたから読よませたのですが……」

「本ほんはちゃんと読よめているのか？」

「ええ、これ実じつは一いち冊さつ目めじゃないんですよ。三さん冊さつ目めです」

「馬鹿ばかな。一いち冊さつ三さん百ひゃくページはあるぞ」

「とにかく読よむのが早はやいんです。それで中身なかみもきちんと理解りかいしています。読よんでいるうちは声こえをかけても全まったく反応はんのうせず、恐おそろしいくらい集中しゅうちゅうしています。読よみ終おわったあと、いくつか中身なかみに関かんしての質問しつもんをするので僕ぼくが答こたえると言いう感かんじです。ロセルが本ほんを読よんでいる間あいだ、僕ぼくは座すわって待まっているしかないんですよ。しかし、天才てんさいっているもんなんですね……」

　ロセルは、リーツを唸うならせるくらい地頭じとうが良よいようだ。

「最初さいしょは大丈夫だいじょうぶかこの子こと思おもっていましたが、やはりアルス様さまの人ひとの才ざいを見抜みぬく力ちからに、間違まちがいはないようですね……」

　その後ご、ロセルは本ほんを好すきになったのか何なん冊さつも続つづけて読よむ。

　夜よるが近ちかづいてくると、頭あたまが疲つかれたのかいきなり電池でんちが切きれたかのように眠ねむった。

　私わたしは使用人しようにんに、ロセルを家いえへ送おくり届とどけるように命令めいれいした。