私わたしは父ちちが話はなしをしたがっているという報告ほうこくを受うけ、父ちちが寝ねている部屋へやへと向むかった。

　扉とびらを開あけて中なかに入はいる。

　中なかにはベッドに父ちちが寝ねているだけで、他たには誰だれもいない。二人ふたりきりの状態じょうたいだ。

「父上ちちうえ、お呼よびでしょうか」

「アルスか、よく来きた」

　父ちちはしっかりとした口調くちょうでそう言いった。

　最近さいきんではまともに喋しゃべることができない状態じょうたいになっていたので、父ちちのはっきりとした声こえは久ひさしぶりに聞きいた気きがする。

　痩やせ細ほそってしまっているその姿すがたは変かわらないが、今日きょうの父ちちには瞳ひとみに生気せいきがあった。昨日きのうまでは意識いしきがあっても虚きょな死人しにんのような瞳ひとみであったが、今日きょうの父ちちには昔むかしと同おなじく、見みるものを怯ひるませるような目め力りょくがあった。

「少すこし暑あついな。今いま、何なん日にちだ？」

「十じゅう一いち月がつ二に日にちです。暑あついのなら扇あおぎましょうか？」

「その必要ひつようはない。もう夏なつか。少すこし前まえまでは春はるだった気きがするが、だいぶ寝ねてしまっていたようだな」

「ええ、父上ちちうえが寝ねている間あいだ、大変たいへんでしたよ。早はやく良よくなってもらわないと困こまります」

「分わかっておる。この程度ていどの病気びょうき、明日あしたにでも治なおしてみせる」

　父ちちがそう言いったあと、数すう秒間びょうかん部屋へやは静寂せいじゃくに包つつまれる。

「アルス、お前まえにはまだまだ話はなしていなかったことが、たくさんあったな」

　私わたしの目めを見みつめながら、父ちちはそう言いった。

「父上ちちうえのお話はなしなら、何なんでも聞ききたいと思おもっております」

「話はなすまでもないくだらない話はなしを今いまする必要ひつようはないか。私わたしの今いままでの人生じんせいについて話はなそう」

　父ちちはそう言いって、天井てんじょうを見上みあげた。

「私わたしはこのランベルクとは、別べつの場所ばしょに生うまれた。ミーシアンの片隅かたすみにある農村のうそんだ。そこの領主りょうしゅは税ぜいを多おおく取とる悪徳あくとく領主りょうしゅで、常つねに貧まずしい暮くらしを強しいられていた。そんな暮くらしに耐たえかねて、十じゅう歳さいくらいになった頃ころ、私わたしは家いえを飛とびだし村むらを飛とび出だし、町まちに行いった。ちょうどその日ひはミーシアン総督そうとくが、その町まちに訪おとずれている日ひだった。町まちの領主りょうしゅはミーシアン家かでも古参こさんの貴族きぞくで、パーティーに総督そうとくを招待しょうたいしたか何なにかだったな。昔むかしの話はなしなので細こまかくは覚おぼえていないが。そんな朧おぼろげな記憶きおくだが、はっきりと覚おぼえている事ことがある」

「何なにでしょうか？」

「総督そうとくが大おおきな白馬はくばに跨またがりながら、豪華ごうかな鎧よろいを身みにつけた兵へいたちを引ひき連つれ、町まちの通とおりを進すすんでいく様子ようすだ。その時とき、私わたしは衝撃しょうげきを受うけた。それまで貴族きぞくといえば、私わたしの実家じっかを治おさめていた悪徳あくとく領主りょうしゅをイメージしたものだから、総督そうとくのその立派りっぱさ、壮大そうだいさに衝撃しょうげきを受うけたのだ。あれを見みてから、総督そうとくになって、大勢おおぜいの兵へいを率ひきいるような人間にんげんになりたいと思おもっていたのだったな」

　父ちちは遠とおい目めをしながら昔むかしを懐なつかしむように語かたる。

　昔むかしは農民のうみんだったとは知しっていたが、具体ぐたい的てきにどういう人生じんせいを歩あゆんできたのかは、初はじめて聞きくことだった。

「それから独学どくがくで剣けんの練習れんしゅうをして、兵士へいしになって死しに物ぶつぐるいで戦たたかって、戦功せんこうを上あげてからルメイル様さまに取とり立たてられ、気きづいたら領主りょうしゅになっていた」

「父上ちちうえは今いまでも総督そうとくになりたいと思おもっておられるのですか？」

「ふっ……そんな気持きもちは結婚けっこんしてお前まえが生うまれた時ときくらいになくなった。弱小じゃくしょう領主りょうしゅだが、昔むかしに比くらべて天国てんごくのような生活せいかつに満足まんぞくしたのだろうな」

　父ちちはそう言いい終おえたあと、「ゴホゴホッ！」と咳せきをし始はじめた。

「大丈夫だいじょうぶですか！？」

「ゴホッ！　ゴホッ！　……はぁ……少すこし喋しゃべりすぎたみたいだな」

　父ちちは息いきを整ととのえる。

「…………アルス、後のちは頼たのんだぞ」

「……」

「このランベルクにあるものは、私わたしの人生じんせいを懸かけて得えた宝たからだ。家臣かしんたちを、領民りょうみんたちを、妻つまを、レンとクライツを、頼たのんだぞ。まだ子供こどもであるお前まえに頼たのみなどという事ことはしたくはなかったが、こうなれば仕方しかたない。アルス、お前まえにはほかの誰だれにもない、人ひとの才ざいを測はかるという力ちからがある。ローベント家かを正ただしい道みちへと導みちびく事ことができるはずだ」

「父上ちちうえ……」

「それとお前まえの事ことだからもしかしたら、責任せきにんを感かんじておるかも知しれんが、それは違ちがう。これは私わたしが自分じぶんで決きめた道みちだ。お前まえは堂々どうどうと胸むねを張はって、ローベント家かを継つぐのだ。分わかったか？」

　私わたしは返答へんとうに困こまった。ここで返事へんじをすると、父ちちが死しぬという現実げんじつを認みとめることになってしまうと思おもったからだ。

「アルス黙だまっているでない。私わたしを安心あんしんさせて逝いかせてくれ」

「………………はい」

　長ながい葛藤かっとうの末すえ、私わたしは頷うなずいた。

「よし、では……頼たのんだぞ……」

　返答へんとうを聞きいた父ちちは、目めを閉とじて安やすらかな顔かおで眠ねむりについた。

　それから二度にどと目覚めざめることなく、三さん日にち後ご父ちちは息いきを引ひき取とった。

　○

「今日きょうよりこの私わたし、アルス・ローベントが、父ちちレイヴンの跡あとを継つぎローベント家かの当主とうしゅとなる！」

　それから父ちちに言いわれた通とおり、私わたしは堂々どうどうと胸むねを張はってローベント家かを継つぐという宣言せんげんを家臣かしんたちの前まえで行おこなった。

　父ちちが一代いちだいで作つくり上あげた、このローベント家か。

　まだ弱小じゃくしょうのローベント家かが厳きびしいこの時代じだいを生いき残のこるのは難むずかしい。

　強つよくならねば。

　必かならず自分じぶんの力ちからを使つかい、ローベント家かを強つよくし、父ちちの作つくり出だした物ものを守まもろうと、私わたしは決意けついを固かためた。

　そしてそれから数日すうじつ後ご、ミーシアン総督そうとくの息子むすこ、兄あにのクラン・サレマキアが挙兵きょへいをしたという情報じょうほうが入はいってきた。

　その日ひから、ローベント家か当主とうしゅとしての闘争とうそうの日々ひびが始はじまった。