オリンポス基地への異動が近付いていた。ミハルは少しばかり落ち着かない日々を過ごしている。けれど、今日も今日とて出撃があった。このような忙しない毎日もあと少しだと考えると感傷的に思えている。
「ミハルちゃん、お疲れさま。今日もキレのあるフライトだったね?」
「ありがとうございます。マンセル上級曹長もお疲れさまでした!」
一緒に出撃したマンセルに声をかけられ、笑顔でミハルは返している。
マンセルの腕前は十分だった。流石に中途半端なパイロットは送ってこなかったらしい。この様子であればミハルも憂えることなく異動できるというものだ。
フレイトデータのチェックをしてからミハルはドックをあとにしていく。
「ミハルさん!」
しかし、呼び止められてしまう。またミハルは声の主について誰であるのか分かっていた。
「フィオナ……」
会話するのは久しぶりだ。教連担当でもないミハルが口出しするのも違っていたし、教練担当に怒られ続ける彼女を褒めるわけにはならない。
「少しお話ししたくて……」
意外な話であったが、気持ちは理解できた。ミハル自身もアイリスには言いたいことがあったのだ。
「何? 別に構わないけど……」
恐らく気乗りしない話が続くだろう。アイリスを真似ただけであるミハルは彼女が問い質してきたときの返答を持っていない。その問いにはい淀むだけである。
フィオナが近付いてきた。視線を外しながら歩む彼女には自然と溜め息が漏れてしまう。
「ミハルさん、あたし……」
重々しい口調でフィオナが話し始めた。ミハルは覚悟をして聞かねばならない。
「戦いたい――――」
ところが、予想と違っていた。フィオナはミハルへの不満をぶつけることなく、自身の希望を告げただけである。
小首を傾げるミハル。単独での訓練を強いられているフィオナの心情はよく分かったけれど、戦いたいとの言葉が理解できない。準備が整えばグレックの許可が下りるはず。未だに訓練を命じられているフィオナがその域に達しているとは思えなかった。
「フィオナはまだグレック隊長の許可がないでしょう?」
口調を和らげて諭すように言う。無下に否定するような言葉は口を衝かなかった。
「でも、あたし……」
小隊のお荷物となっている現状をフィオナは理解しているようだ。辛い役回りであったけれど、彼女をここに呼び寄せたのはミハル自身である。フィオナの話には真摯に向き合わねばならない。
「宙域は上下左右が分からないだけじゃない。地上と比べれば、視界などないに等しい。見渡す限りの暗闇の中で、貴方は奥行きまで知る必要がある……」
こうも苦労するとは思わなかった。学生という括りではあるが、レースで敵なしだったフィオナが敵機のいない宙域で苦戦するなんてと。
「あたしだって見てます。だけど何も見えません……」
強気な彼女はなりを潜めていた。それは訓練を重ねるごとに重症化しているかのようである。以前の彼女であればこうも素直に答えなかっただろう。
「私とフィオナで見えるものに違いはない。だとしたら感覚的なもの。それが貴方に欠けていることじゃないかな。目で見る以上のこと。AIによって知らされる事象をもっと感じて欲しい……」
実際に地上へと降りたミハルは情報の多さに驚いていた。建物や乗り物だけでなく、地上には空や海、風によって揺らめく木々や太陽光を受けて輝く水面まであった。視覚に訴えるものが多すぎたのだ。だからこそフィオナは感覚的な情報を処理できないのではないかと思う。
「感覚的なこと……?」
「セッティングが完了した今であれば、AIは貴方に情報を与えているはず。しかし、それは意識しないことには確認できない。きっとフィオナはAIの声を無視している……」
地上の情報は思考する必要がないものばかりだ。よって彼女は無意識に情報を遮っているのだと思う。知りたいことだけを得ようとしていたはず。従って、逐次伝えられるAIの情報に彼女は意識を向けられずにいるのだろうと。
「リンクが煮詰まってくれば、AIは求める情報を優先してくれるわ。だから貴方は必要な情報を早く理解すること。知ろうとしなければ分からないの。人によってそれは異なってくるけれど、フィオナが求め続ける限り、AIは必ず情報をもたらせてくれる……」
AIのディープラーニングは数を重ねなければならない。まだセッティングを終えたばかりのフィオナには適切じゃない情報も送られてしまうだろう。けれど、ミハルはそこから始めるべきであると説く。
「ミハルさんは何を見ていますか? 何もない宙域に何を求めているのですか?」
しかし、問いが返されてしまう。だが、ミハルはそれを深く考えたことがない。ただ宙域の情報を知りたいと願っただけ。彼女は宙域に起こり得る未来が見たかっただけだ。
「私は全てを知ろうと思った……」
こんな話をして良いの分からない。二年生だったジュリアでさえ理解できなかった内容である。地球人であり、ルーキーでもあるフィオナには難しすぎる話だった。
「私は宙域の全てを知りたくなった。私が飛んでいる裏側や視界の果てであっても、確実に時を刻んでいるの。私が気にしていなくても、それらは勝手に進んでいく。私はそれが我慢ならなかった……」
思うがままに話を進める。たとえ理解できなかったとしても、本心を語るだけだ。ミハルは自身が経験した全てを語っていく。
「宙域の未来を決めたかった。私が宙域の中心であるかのように。全てを知ってしまえば、私が思うままに動くと信じていたのよ……」
あるときから世界が拡がった。広大な宇宙の中心に自分がいるような気がしたのだ。それを知った瞬間に、ミハルは未来が見えたかのような感覚を得た。
「これは私の感覚だから分からないかもしれない。以前にこの話を聞いた人は首を振るだけだったわ。だから真似をするのはお勧めしない。でも自分に合ったフライトがきっとあるはず……」
そんな風に話を切る。ミハルはこれでいいと確信していた。パイロットはそれぞれに長所と短所があり、一律ではないことを知っていたから。
小さく笑みを浮かべてフィオナを見る。だが、そのとき……。
『マンセル上級曹長、ミハル三等曹士、緊急出動です! エスバニア区画沖2000km地点に大規模な宇宙海賊。エスバニア基地より応援要請です!』
緊急出動が命じられてしまう。場所は輸送船が頻繁に襲われる宙域のよう。大規模とのことで救援要請が入っている。
救援要請の担当はマンセルとミハル。出撃から帰還したばかりの二人だが、直ぐさま宙域へと戻らねばならない。
「フィオナ、私は出撃があるからこれで。頑張りなさいよ……」
ミハルにとっては好都合でもある。会話が弾まないフィオナと話を続けるより、出撃した方が気分的に楽だ。パイロットは体得するしかないのだし、ミハルは教練でもなかったのだから。
「ミハルさん、あたしもつれてってください!」
ところが、すんなりとは終わらなかった。どうしてかフィオナは同行するという。救援要請担当でもないし、彼女は通常任務から外されていたというのに。
ところが、ミハルは立ち止まった。
交戦を遠巻きに見るだけならば構わないような気もするが、フィオナはグレックに戦いを禁じられている。命令違反を犯すのは流石に難しい。けれど、言葉で説明するよりも行動で示した方がずっと簡単だ。このあとも執拗に質問されるならば、いっそのことミハルは彼女を連れて行こうと思う。
「グレック隊長には秘密にしてね?」
悪戯な笑みを浮かべて言った。どう誤魔化してもバレてしまうのは分かっていたけれど、大目に見てもらえるような気もしている。
「もちろんです! 構わないのですか!?」
「指定した場所で交戦を見るだけ。約束できる?」
再度の確認には大きな返事がある。ならばミハルは受け入れるだけだ。万が一の場合はない。ミハルは彼女が飛ぶ宙域にまで注意を払うと決めていたから。
「さっさと着替えてきなさい。置いていくわよ?」
「ありがとうございます!」
セントラル基地に来て初めての笑顔かもしれない。ミハルに返された台詞は期待とやる気に満ちたものであった。
マンセルとフィオナが揃ってドックへと走ってくる。当然ながらマンセルは驚いていたけれど、ミハルは彼女の見学であることをマンセルに告げて機体へと乗り込んでいた。
『ミハルちゃん!? どうしてフィオナちゃんまでいるの!?』
シエラに見つかるのは仕方がない。だが、グレックは夜勤明けで寝ているはず。もしもフィオナに教えることがあるとすれば、それを伝えるのは今しかない。この機会を逃して次はなかった。
「隊長には極秘でお願いします。絶対に彼女を守りますから見逃してください……」
シエラが同意しなければこの計画はここまでだ。ミハルは頼み込むだけ。シエラに頭を下げ続けるしかない。
ところが、モニターに映るシエラは笑っている。何やら悪魔的にも見える邪悪な笑みだ。
『ウフフ、何だか分かんないけど、了解しました。絶対に守ってあげること。それを確約できるのなら許可しましょう。グレック隊長の承認キー付きで!』
唖然とするミハル。確かにシエラはグレックの承認キーを預かっている。けれど、意味不明な隊員の出撃を認めてしまうなんてあり得ないことだ。
「もちろん、安全な場所で見てもらうつもりですけど、シエラさんは良いのですか? たぶん凄く怒られると思いますが……」
『へーきへーき! たっかいお酒を三本も買って私の勝ち分を吹っ飛ばした馬鹿隊長のことなんて気にしない!』
どうやらレースで取った配当の大部分がグレックの酒代に消えたらしい。シエラはそれを恨んでいるようで、この対応はその仕返しであるようだ。
『それに隊長の酒代はミハルちゃんが勝ったからよ。何をさせたいのか分からないけど、ミハルちゃんなら悪いようにはしない。だから私は許可を出すわ』
シエラは満面の笑みだ。少しもミハルを疑っていない様子。問い質すこともない彼女は背中を押し続けている。
「ありがとうございます。私は世話になったセントラル基地に何かを残したい。恩返しがしたいと考えています……」
旅立ちの日は近い。だからこそミハルは恩義に報いたかった。
「この戦いは私のケジメです――――」
右も左も分からない中で受け入れてくれたこと。全員が自身の成長を見守ってくれた。引き合いがあったから出ていくのではなく、ミハルはここに何かを残したいと思う。
『そっか……。ミハルちゃん頑張って! 早くしないとバーナード少尉が泣いちゃうわよ?』
即座にハッチが開く。ミハルの出撃をシエラは許可している。トップシューターになったとはいえ、まだ二年目のミハルを信じていた。
ミハルは一つ息を吸った。この信頼は必ず形にして返そうと。セントラル基地が上手く回るように一肌脱ぐのだと決めた。
「ハンター・スリー発進します!――――」