「イカ天」やロック誌の充実、CDヘの転換……バンドブームを拡張した要因
他にも1980年に「黎紅堂」が始めた貸レコード店が瞬く間に全国に増え、円高のおかげで輸入盤が安くなり専門店も増加、様々な音楽を手軽に楽しめる場になった。また安価になったカセットテープで、1980年頃から各地で開局したFM局の番組を録音したり、自分たちのオリジナル曲を録音して配布・販売するバンドも多かった。そして1982年から一般発売されるようになったCDが1988年には年間生産数(11553万枚)でアナログレコード(3946万枚)を上回った(※1)。カセットウォークマンに続きCDウォークマンも発売され、歩きながら音楽を聴くのも当たり前になったのがこの頃だ。BUCK-TICKのメジャー初シングル曲「JUST ONE MORE KISS」がCDラジオカセットレコーダー「CDian」のCMに使われたこともこの時代を象徴している。ラジオとカセットレコーダー/プレイヤーが一体化したラジカセは、当時の10代・20代にとって必需品だった。
BUCK-TICK / 「JUST ONE MORE KISS」ミュージックビデオ
様々な要因がバンドブームを大きくしていったのだが、その流れを一気に広げたのが、『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)だ。通称「イカ天」。アマチュアバンドの勝ち抜き戦で、5週勝ち抜いた「グランドイカ天キング」にはメジャーデビューが約束された。バラエティ番組的なセンスで選ばれた個性的なバンドたちが次々に登場、番組もバンドも人気を博した。FLYING KIDS、JITTERIN'JINN、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプ、BLANKEY JET CITYなど、忘れがたいバンドが多い。
FLYING KIDS - 幸せであるように (Music Video)
ジッタリン・ジン / プレゼント ( Jitterin’ Jinn / Present )【MV】
この番組は2年足らず(1989年2月11日〜1990年12月29日)で終了したが、バンド熱に油を注いだのは間違いない。単なる若者の流行ではなく大きな経済効果さえ生んだこの現象は幾つもの経済誌などで取り上げられた。そのひとつ、『日経アントロポス』1990年1月号の特集「ロック経済学の全貌」には、1989年にエレキギター/ベースの国内販売額が100億円を超えて記録更新(1981年は47億円弱だった/全国楽器製造協会調べ)、ロック誌は30誌も発行されたとある。
中でもJICC出版局(現・宝島社)の『バンドやろうぜ』(通称、『バンやろ』)は、まさにバンドを組もうとする若者の必読誌だった。その創刊35周年を祝って2023年8月に各地のラジオ局が東名阪で主催した『バンドやろうぜ -ROCK FESTIVAL- THE BAND MUST GO ON!!』に出演したのは、JUN SKY WALKER(S)、GO-BANG’S、PERSONZ、岸谷香、筋肉少女帯、ZIGGY、RESPECT UP-BEAT。当時の誌面を賑わしたバンドブームの申し子であり、1987年前後のシーンを牽引したバンドたちだ。このイベントで見せた健在ぶりは、あの時代の熱が今も脈々と受け継がれていることを感じさせた。
何日も続く音楽フェスが各地で開かれ、全国津々浦々のライブハウスは活況を呈している。その土壌が豊かになったのは1980年代であり、それを受け継いで現在がある。改めて振り返ると、実に面白い時代だったと思う。
※1:https://www.riaj.or.jp/g/data/annual/ms_n.html
『バクチク現象-2023-』と題して、2023年12月29日に開催されたBUCK-TICKの武道館公演は、ボーカリスト 櫻井敦司…
鈴木慶一の歩みを、音楽評論家・宗像明将がまとめた書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』の発売から約2カ月後、鈴木慶一に宗像…
今井智子
音楽ライター。雑誌編集者を経て『朝日新聞』『ミュージック・マガジン』『ロッキング・オン』『ロッキングオンジャパン』『Real Sound』『Fanplus MUSIC』などで執筆中。
今井智子の記事一覧はこちら