目次もくじ

  1. いち勘当かんどうをいいわたされて
  2. 多彩たさい木工もっこう技術ぎじゅつみが
  3. 1ねんはんかけてできた「立体りったい組子くみこ
  4. 高級こうきゅう施設しせつ内装ないそう依頼いらい
  5. 工程こうてい優先ゆうせん順位じゅんいをつける
  6. 全部ぜんぶおれがやる」からの脱却だっきゃく
  7. 自社じしゃプロダクトで人材じんざい育成いくせい
  8. きょう組子くみこ」の産地さんち目指めざして

 村山むらやまさんは、くぎなどの金具かなぐ一切いっさい使つかわず木材もくざい同士どうしわせて調度ちょうどひんつく木工もっこう職人しょくにん指物師さしものし(さしものし)」です。額縁がくぶちせんもん工房こうぼういとな木工もっこう職人しょくにん両親りょうしんのもとにまれましたが、おさないころは「まずしかった」といます。

 「当時とうじ職人しょくにん商売人しょうばいにんより立場たちばよわく、もうからへんし、しんどくて当然とうぜん。そんな両親りょうしんてきたので家業かぎょうがとにかくいやでした」

 高校こうこう卒業そつぎょう、あこがれだった音楽おんがくみち目指めざしますが、職人しょくにん気質きしつちちから勘当かんどうをいいわたされてしまいました。「きびしいちちで、ていけとわれまして(笑)。ぼく京都きょうと拠点きょてん毎月まいつき東京とうきょうへライブをしにくなど一生懸命いっしょうけんめいやっていましたが、だんだん現実げんじつかんがえるようになってきました」

 そんなおりちちやまいにたおれて入院にゅういん村山むらやまさんは22さいとき実家じっか工房こうぼうもどります。一時いちじ勘当かんどうされたものの、ちちからは反対はんたいされなかったそうです。

 そのころの村山むらやまさんは、家業かぎょうたずさわることにさほど抵抗ていこうはありませんでした。おさないころからちち手伝てつだい、ものづくりそのものがきだったこともあり、家族かぞくちからになりたいとかんがえたのです。

 「ぼく一度いちどやりだしたらわり熱中ねっちゅうするタイプ。ようするにフットワークがかるいんですよ(笑)。“やるからには頑張がんばって一番いちばんになるわ”みたいな調子ちょうしでした」

つづきは会員かいいん登録とうろくめます)

ツギノジダイに会員かいいん登録とうろくをすると、記事きじ全文ぜんぶんをおみいただけます。
おすすめ記事きじをまとめたメールマガジンも受信じゅしんできます。