カナダの大自然には数多くの野生動物が生息しています。そのなかでもホッキョクグマ(シロクマ)は特別な存在です。大きいものは体長2.5メートル、体重600キログラムにもなる堂々とした姿と真っ白で美しい毛並みから、「北の王者」とも称されています。
普段は沿岸部の広い地域に散らばって生息しているホッキョクグマが、毎年10月末からの3週間だけ、カナダ中部のマニトバ州北端にあるチャーチルに集まってきます。ハドソン湾の中でも最初に凍結するチャーチル川の河口から、徐々に広がっていく海が凍るのを待って大好物のアザラシを捕まえにいくためです。
町からホッキョクグマを見られる場所は、世界でもチャーチルだけです。ホッキョクグマの子育ての様子や、オス同士がじゃれ合ってプレイファイティングする姿も観察できます。このような野生のホッキョクグマを目当てに、この時期のチャーチルには世界中から観光客がやってきます。四輪駆動のツンドラバギーに乗り、氷上を歩くホッキョクグマを観察するのです。
©emi nakamura
オスの個体同士のプレイファイティング。まるで相撲を取っているようにも見える
© Frontiers North Adventures
カナダでシロクマツアーなどを展開するFrontiers North Adventures社のツンドラバギー。高く上げた車高と巨大なオフロードタイヤで凍ったツンドラの原野を走ることができる
私がチャーチルでホッキョクグマを初めて見たのは、2016年の夏でした。その際に経験したのは、夏のツンドラを走るツンドラバギーとゾディアックボート(小型のゴムボート)に乗って沿岸部のシロクマを探す2種類のアクティビティでした。運よく何頭か見かけることができて感激しましたが、同時に「もっと近くで、よりたくさんのホッキョクグマと出会いたい」「お客様にもこの感動を味わってもらいたい」と考えるようになりました。
そのためには、「秋のホッキョクグマの大移動の時期」に、「24時間ホッキョクグマが観察できる場所に滞在」して、「ホッキョクグマと同じ目線で歩いて出会うハイキングツアー」であることが必要でした。そこで帰国して情報を集めたところ、この3つの条件を満たし、「究極のシロクマ体験」をさせてくれる現地の旅行会社に出会ったのです。
氷上飛行機でしか行けないツンドラの中の一軒家ロッジを拠点にしたツアーで、ホッキョクグマの生息域内に入るため、24時間いつでもホッキョクグマに出会うチャンスがあります。ロッジの周囲を柵で囲んでいるので、敷地内にホッキョクグマが入り込むことはありません。このロッジに滞在するツアーなら、ホッキョクグマに出会えるチャンスも多いのではないだろうか。そう考え、2022年に視察に訪れました。
© Global Youth Bureau
ロッジのガラス越しにホッキョクグマを観察する。夜になると宿泊客全員がロビーに集まり、自分が撮影した写真を見せ合う。野生動物を通じて、見知らぬ者どうしが心を通わせる
©Dafna Bennun / Churchill Wild
柵があるものの、宿泊客が外に出てホッキョクグマを観察する際は必ずガイドが付き添う。万が一の事故を防ぐのが主な目的だが、人間とホッキョクグマが不用意に近づきすぎないように見守るのもガイドの役割だ
ハイキングは1日2回。参加者全員がひとかたまりになって、ガイドに挟まれる形で進みます。「自分より大きな動物がいる」とホッキョクグマに思わせるためです。ハイキングに決まりきったコースはなく、氷の状況を見ながら海岸線に沿って歩くこともあれば、ロッジ近くで見かけたホッキョクグマの動きを予測して進むこともあります。雪の中や氷の上を歩きながら、時折足を止めてガイドが説明する動植物の話に耳を傾ける。自然と調和しながら過ごすことで、気持ちが穏やかになるひとときでした。
© Global Youth Bureau
ハイキングでは、同じ防寒ジャケットを着用し、参加者全員がひとかたまりになって行動する
そんな和やかなハイキングのさなか、突然緊張が走りました。わずか20メートル先に、ホッキョクグマが姿を見せたのです。ガイドがホッキョクグマの様子を窺って、少し下がっておとなしく見守るという判断をしました。振り返ってみれば笑い話になるかもしれませんが、そのときは全身の毛が逆立つような思いでした。
ちょうどそのとき、ホッキョクグマの背後から夕陽が差し込み、大きな体躯がはっきりと浮かびました。すると、それまで白かった毛が黄金色に染まり、まるでホッキョクグマが光の輪に包まれているように見えたのです。
あまりのまばゆさと神々しさに、全員が息を飲みました。ふと周りを見回すと、誰もが涙を流していました。もちろん私もです。ホッキョクグマの生命の美しさに深く感動するとともに、自分が今ここにいること、生きていることに感謝する気持ちでいっぱいになりました。
以前参加したホッキョクグマ鑑賞クルーズでは、「ホッキョクグマがいる岸には降りてはいけない」と教えられました。興奮したホッキョクグマに襲われるかもしれないからです。でもこうして今、彼らと同じ大地を共有し、お互いの存在を認め合っている。人間も野生動物と意思を通じ合わせることができるという事実に、胸が熱くなりました。
©Ian Johnson / Churchill Wild
夕日を浴びて黄金色に輝くホッキョクグマに目を奪われる。野生動物と人間がお互いの存在を認め合い、共生できるということを、カナダの自然の中で実感する
私は幼少期に欧州で生活した経験があり、ケニアをはじめとしたアフリカ諸国も何度も訪れました。百獣の王と呼ばれるライオンもこの目で見たことがあります。それでも、ホッキョクグマはやはり私にとって特別な存在です。群れをなすライオンとは違い、たった1頭で生きる彼らのたくましさに気高さを感じたからかもしれません。
ツンドラの中のロッジに滞在中、オーロラを鑑賞する機会にも恵まれました。幻想的にたなびく緑のオーロラを眺めていると、そこに1頭のホッキョクグマが突然現れました。実はホッキョクグマの毛の色は透明で、光の反射を受けて白く見えています。オーロラに照らし出されたホッキョクグマは何通りもの光をまとい、息を呑むような美しさでした。そのとき頭に浮かんだのは、土産物店で見かけた絵葉書です。先住民が描いたのは、まさにオーロラの光を受けて輝くクマの絵でした。ホッキョクグマを通して、長くこの地で暮らしてきた人々の歴史に触れたような感覚でした。
ホッキョクグマは現在、絶滅危惧種に指定されています。地球温暖化の影響により、エサであるアザラシを捕るために欠かせない氷が張る期間が短くなったことで、徐々にその数を減らしています。私が2022年に訪れた際も、例年より暖かいため氷が張るのが遅れているようで、「ホッキョクグマに会えないかもしれない」と言われました。幸いにも滞在初日の夜中に猛吹雪が起きて一気に冷え込み、一夜にして氷が張り込みました。ホッキョクグマに会えるかもしれないと喜んだ一方で、野生動物たちはこのような環境の変化に直接影響を受けるのだと肌で感じ、複雑な思いにもなりました。
教科書で学んだことや、写真で見た以上のものがここにはあります。ホッキョクグマと同じ大地を踏みしめたとき、何を感じるのか。ホッキョクグマのために、何をしてあげたいと思うのか。自分の心に問いかける旅を、体験してみませんか。
© Destination Canada
氷が張る期間が短くなったことで、主な栄養源であるアザラシが捕獲しづらくなった。温暖化の影響は、ホッキョクグマにも及んでいる
©Dennis Fast / Churchill Wild
美しいオーロラを独り占めできるのも、宿泊者だけの特権。自然と自分、そして宇宙と地球のつながりを実感する瞬間だ