競技の枠を越え米スポーツ界のスターに上りつめたオーティズ
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2000年4月当時のMMAを取り巻く状況は今とは違っていた。ほとんど名前を知られていなかった25歳のハンティントンビーチ出身の若者は、同じく名前を知られていなかったヴァンダレイ・シウバと対戦するために東京へと旅立った。この頃、試合前のPRツアーはもちろん、FOXスポーツも、さらにESPNやYahooですら試合を取り上げる事はなかった。
インターネットや一部の雑誌にはMMAに注目するものもあったが、団体は資金不足に苦しんでいた。しかし、そのようなことは、2000年4月14日に行なわれた試合には何の影響も及ぼさなかった。オーティズはシウバに3−0の判定で勝利。オーティズは自身を最後に倒した男―フランク・シャムロック―が返上したベルトを手にすることとなった。
■相手を倒すことでファンを楽しませたい
彗星のごとく現れた元レスリング選手がチャンピオンとなることで、MMA界は活性化した。というのも、彼が才能に恵まれていただけでなく、その金髪と“悪ガキ”的なパーソナリティが、コアなファンだけでなく、一般のスポーツファンや、女性や子供にもアピールできるものだったからだ。人々は格闘技もファイターも大好きだが、そのパーソナリティこそがもっともファンを魅了する要素であるのは間違いない。そして、モハメド・アリやハルク・ホーガンを崇拝するオーティズは、カリスマ的なパーソナリティを備えていた。
「ファンを楽しませる事が重要だと思った」
そう彼は2007年に語った。
「それが俺の仕事だ。俺がUFCに参戦した時から、UFCはエンターテインメントだった。もちろんファイトはファイトだが、そこにエンターテインメントもある。オクタゴンに入るとき、俺は自分の魂のすべてを捧げている。トレーニングに妥協はしないから、自分のやることには自信を持っている。常に100パーセントで戦っているし、相手を倒すことでファンを楽しませたい。最前席で観戦してくれている人も、テレビでペイ・パー・ビューを購入して観戦してくれている人も関係なくね。ティト・オーティズの試合はいつでも素晴らしいと感じてもらえればいいな」
オーティズは近藤有己相手に初防衛戦を成功させた2000年12月以降、のちにライトヘビー級と名前の変わる205ポンド級のトップに君臨し続けた。しかしそれには様々な側面からの助けがあり、2001年にUFCを買収したZuffaの協力も欠かせなかった。そしてオーティズのキャリアに一番の影響を及ぼしたのは、オーティズの元マネジャーであり、UFCの陣頭指揮をとったデイナ・ホワイトだった。