仕事、ゴルフ、ファッションなど「センス」を問われる場面は多い。努力したところで今さら変えられないようにも思えるが、著者は本書を「センスがよくなる本」だという。
──「センスが悪い」を「センスが無自覚」とい換えています。
多くの場合、何かがうまくできることを指して「センスがある・いい」と言います。そこでは「あるべき姿、よいあり方」が想定されていて、その理想に届いていなければセンスがない、あるいは悪いということにされてしまう。
一方、本書で扱うセンスは「目指すべき理想との関係」を基準にはしない。誰かが決めた評価軸や価値判断から離れ、皆がすでに持っているけれどあまり意識されず重視もされていない感覚に、改めて意識を向けていく。
──それが、「リズムを捉える」感覚であると。
何かが繰り返し現れ消えたり、パターンからの逸脱が起きたりすることを、広い意味での「リズム」と考えます。音楽に限らず物の形や会話、文章の中にもリズムはあって、その凸凹したリズムから「反復と差異」の面白さを感じ取る力がセンスなのです。
リズムにフォーカスするに当たっては、いったん「意味」を考えの外に置きます。どういうことか。
例えば本書でも取り上げたギョーザの味です。ギョーザを食べると、複数の刺激がリズミカルに展開する。もちっとした柔らかさとカリカリした硬さの対立とか、肉とニンニクの異なる味わい、酢の酸味とラー油の辛み。でも、ギョーザの味を構成するそれら各要素に特段の意味を見いだそうとなんてしないですよね。大事なのは、ギョーザのおいしさや食感の面白さをただ楽しみ味わうことです。
「このギョーザはセンスがいいな」という評価や、「ラー油や酢が持つ深遠な意味の探究」をするのではない。ギョーザをかんだときに出現するリズムそのもの、つまり口の中に現れるさまざまな刺激を意識する、ということです。
あらゆる表現の基本は「疎密」
──本書では、ギョーザの味を楽しむことと芸術作品の鑑賞が同じようなものとして説明されます。
芸術や美的なものを扱うし、現代アートの鑑賞手順も具体的に解説している。一方、美術史をちゃんと勉強しましょうとは言わない。
今はアートがビジネスパーソンに必須の教養とされることもあるけれど、「ではアートを学ぼう」と本書を手に取った人には、むしろ拍子抜けしてもらいたい。
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