第15回大会の優勝を決める最終戦は、1982年(昭和57年)3月14日に超満員の大観衆を飲み込んだ東京体育館で行われた。5強による戦国リーグを勝ち抜き、16勝4敗で並んだ新日鐵と富士フイルムの対決に場内は異様な雰囲気に包まれた。
戦前の予想では、前年までに3連覇を果たし、このリーグでも序盤の不調から立ち直り8連勝で優勝決定戦まで持ち込んだ王者新日鐵が有利というものが多かった。
下馬評を覆して初優勝に燃える富士フイルムは、三原、海老原をスタメンからはずし、セッター御嶽、センターに佐藤、山田主将、エースにサウスポーの杉本公 雄と松岡誠一らと新人賞の呼び声の高い蘇武というベテラン中心のメンバーで臨んできた。リーグを通じて若手への切り替えをテーマとして戦った井原監督も、 初優勝の夢はやはり百戦錬磨のベテランの力に託したわけだ。
試合は、第1セットのスタートから富士フイルムの速攻と移動攻撃が爆発して15-5と先取した。第2セットも中盤までは8-7と富士がリードしたが、新日 鐵もここで意地を見せて8連続得点で8-15で取り返した。しかし、新日鐵の反撃もそこまでで、初優勝に一丸となった富士フイルム が15-5、15-6で3、4セットを連取して、ついに初優勝が決まった。蘇武の好守から松岡がレフトからスパイクを決め15点目を取った瞬間、東京体育館に陣取った約2千人の富士フイルムのグリーンの応援団は歓喜に包まれた。
こうして日本鋼管と新日鐵がほぼ独占してきた日本リーグの王座に新しく富士フイルムが加わり、華々しい富士フイルム時代の幕が上がり始めた。ただし、富士フイルム時代の完全な幕開けは第17回大会からになる。
次の第16回大会は、第15回大会に引き続き大混戦のリーグとなった。新日鐵と日本鋼管が4敗同士で並んだが、新日鐵がセット率で上回り、再び王者に返り 咲いた。日本鋼管は、花輪、丸山にレシーブ賞の野村健二、新人賞をとった笠間裕治が活躍した。笠間はブロック賞も取って、ベスト6にも選ばれた。
前年優勝の富士フイルムは3位に留まった。
なお、第16回大会では、日本電気(現:NEC)が始めて日本リーグに昇格している。