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アニメ 旧「ドラえもん」大研究 真佐美ジュンさんに聞く
The Wayback Machine - https://web.archive.org/web/20070115155052/http://hanaballoon.com:80/ntvdora/qanda.html

アニメ きゅうドラえもん だい研究けんきゅう

 真佐美まさみジュンさんにく 

 「きゅうドラを」でいたように、2006ねん2がつ8にちきゅうドラスタッフの真佐美まさみジュンさんとおいして、きゅうドラや、そのかかわっていらっしゃったアニメにかんする貴重きちょうなおはなしを、おきする機会きかいました。ここでは、そのときにおきしたおはなしなかで、個人こじんてき以前いぜんから疑問ぎもんおもっていたてんについて、Q&Aきゅーあんどえーかたち真佐美まさみさんのおはなしをご紹介しょうかいいたします。


Q1.きゅうドラでは、原作げんさく基本きほんとしつつも、アニメオリジナルの要素ようそ結構けっこうおおかったようですが、どのような理由りゆうによるものなのでしょうか。

A1.放映ほうえいしたのは1973ねんですが、実際じっさいには1ねんほどまえから制作せいさくにとりかかっており、そのころにはまだ原作げんさくはなし自体じたいすくない状態じょうたいでした(※ちゅう1)。また、てい学年がくねんけの作品さくひんは、ページすうすくなくてストーリーせいうすいのでアニメむずかしかったのです。だから、原作げんさくもとにしつつ、色々いろいろとアニメオリジナルの要素ようそれました。半年はんとし放送ほうそうでも、後半こうはんはかなりオリジナルがえたので、もし放送ほうそうつづいていたら、完全かんぜんにオリジナルストーリー主体しゅたいになったとおもいます。

Q2.ガチャは、1クール最終さいしゅうばなしとなる13のAパートではつ登場とうじょうしました(※ちゅう2)が、2クールはいるにあたってのテコ入てこいれだったのでしょうか。

A2.ガチャは、当初とうしょからレギュラーとしてかんがえており、だい1からEDアニメには登場とうじょうさせています。結果けっかてきに、タイミングとしてはテコ入てこいれのようなかたちになりました。原作げんさく出番でばんすくなかったガチャがレギュラーになったのも、原作げんさくすうすくなかったためで、アニメでは最後さいごまでしずかのいえ居候いそうろうしていまいた。

Q3.では、原作げんさくのストックもすくなく、アニメしにくい時期じきに、どうして「ドラえもん」をアニメしたのでしょうか。

A3.「ドラえもん」は、社長しゃちょう渡邊わたなべ企画きかくてました。元々もともと東京とうきょうテレビ動画どうが時代じだいから任侠にんきょう路線ろせんていましたので、渡邊わたなべは「少年しょうねんろうちょう三国志さんごくし」の企画きかくかんがえていましたが、それが難航なんこうしたので、つなぎとしてアニメにできる漫画まんが原作げんさくさがしていました。そんななかで「ドラえもん」にまったのです。候補こうほがあれば「ドラえもん」以外いがい作品さくひんをアニメしていたかもれません。

Q4.当時とうじ視聴しちょうりつ裏番組うらばんぐみくらべてふるわなかったとわれていますが、どのようにかんじておられましたか。

A4.メインターゲットは学年がくねん原作げんさくんでいた小学生しょうがくせいだったので、視聴しちょうりつは10%れればいいかただとおもっていました。また、日本にほんテレビとしても、そのような意向いこうでした。裏番組うらばんぐみは、おなじアニメの「マジンガーZ」だけでなく、「アップダウンクイズ」(※ちゅう3)強力きょうりょく番組ばんぐみでしたので、「ドラえもん」は、それらとかぶらないてい年齢ねんれい子供こどもそうねらっていました。

Q5.きゅうドラ制作せいさくちゅうに、原作げんさくしゃ藤子とうこ・F・不二雄ふじお先生せんせいとはどの程度ていどわせをされていたのですか。

A5.藤本ふじもと先生せんせいには、なんかおいしています。しかし、チーフディレクターだった上梨かみなし満雄みつおは、いちったことがなかったようです。

Q6.最終さいしゅうかい(※ちゅう4)原作げんさくにもあった、ドラえもんが未来みらいかえはなしでしたが、なにかとくおもはございますか。

A6.最終さいしゅうかいでは、のび自転車じてんしゃ練習れんしゅうをする場面ばめんがありますが、わたし子供こども時代じだい自転車じてんしゃ練習れんしゅうしてちちむかえにったおもがありまして、そのはなしでドラえもんのはなしつくりたいとおもいました。それが、原作げんさくほん最終さいしゅうかいえらぶきっかけになりました。

ちゅう1:1972ねんには、原作げんさく「ドラえもん」は、連載れんさいねん。「小学しょうがくさん年生ねんせい」「小学しょうがくよん年生ねんせい掲載けいさいぶんでは15ページの作品さくひんもあったが、「よいこ」「幼稚園ようちえん掲載けいさいぶん大半たいはんが1、2ページだった。

ちゅう2:アニメでのガチャ登場とうじょう以前いぜんに、原作げんさくでガチャてきたエピソード「ロボットのガチャ」が、「のびあめおとこまき」としてガチャ登場とうじょうしない展開てんかいでアニメされていた。

ちゅう3:制作せいさく毎日まいにち放送ほうそう。1973ねん当時とうじは「腸捻転ちょうねんてんネット」解消かいしょうまえだったので、関東かんとう地区ちくではNET(現在げんざいテレビ朝日てれびあさひ)で、放映ほうえいされた。

ちゅう4:最終さいしゅうかいは、「小学しょうがくよん年生ねんせい」1972ねん3がつごう掲載けいさいされた、ドラえもんが未来みらいへとかえるエピソードをもとにしている。一般いっぱんられた「さようなら、ドラえもん」(てんコミ6かん収録しゅうろく)とは、別物べつもの


 以上いじょう真佐美まさみさんからうかがったおはなしもとに、まとめました。ここでご紹介しょうかいしたほかにも、真佐美まさみさんからはきゅうドラや「ふしぎなメルモ」など、かかわっておられた作品さくひんかんして、色々いろいろとおきすること出来できました。また、残存ざんそんしているきゅうドラの設定せっていとう非常ひじょう貴重きちょう資料しりょうせていただき、わたしにとって、この大変たいへん貴重きちょう体験たいけんとなりました。
 わたし不躾ぶしつけ質問しつもんにおこたえいただき、とうサイトへの掲載けいさい許可きょかしてくださった真佐美まさみジュンさんには、あらためておれいもうげます。ありがとうございました。