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2a56a 鈴木三重吉生誕の地・碑
The Wayback Machine - https://web.archive.org/web/20081118084932/http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page2ax56a.html

鈴木すずき三重吉みえきち生誕せいたんいしぶみ(レリーフ)

  鈴木すずき三重吉みえきちは、1882(明治めいじ15)ねん広島ひろしま猿楽さるがくまち83番地ばんちの1(げん広島ひろしまなか大手町おおてまち2丁目ちょうめ1の13)にまれました、
げん東京とうきょう大学だいがく(当時とうじ東京とうきょう帝國ていこく大學だいがく英文えいぶん在学ざいがくちゅうの1905(明治めいじ38)ねん病気びょうき療養りょうようのため能美のみとうおとずれ、そこでの体験たいけんをもとに短編たんぺん小説しょうせつ千鳥ちどり』をげ、『千鳥ちどり』は夏目なつめ漱石そうせき(1864-1916)から絶賛ぜっさんされました。
以後いご山県やまがたぐん加計かけまち舞台ぶたいとした『山彦やまびこ』などの秀作しゅうさく発表はっぴょうし、漱石そうせき門下生もんかせいとして活躍かつやくつづけましたが、1915(大正たいしょう4)ねんにいったんふでってしまいます。
小説しょうせつとしてのまりを自覚じかくした三重吉みえきちは、児童じどう文学ぶんがくみずからのすすむべきみちいだし、1918(大正たいしょう7)ねんにはもり鴎外おうがい(1862-1922)らの賛同さんどうて、児童じどう雑誌ざっしあかとり』を創刊そうかん芸術げいじゅつてき価値かちのある童謡どうよう童話どうわどもたちに提供ていきょうしようという画期的かっきてき運動うんどうをスタートさせました。三重吉みえきちはもちろん、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ(1892-1927)や有島ありしま武郎たけお(1878-1923)北原きたはら白秋はくしゅう(1885-1942)らが傑作けっさく次々つぎつぎ発表はっぴょう。わがくに児童じどう文学ぶんがくあたらしい時代じだいむかえることになりました。『あかとり』には児童じどう投稿とうこうらんもうけられ、とくにつづりかた児童じどう教育きょういく活動かつどうおおきな影響えいきょうあたえました。
  2004ねん5がつのまちづくり交流こうりゅうウォークに参加さんかさせていただき鈴木すずき三重吉みえきち(1882.9.29-1936.6.27)の生誕せいたんげんデオデオ附近ふきんで)店舗てんぽ外壁がいへきにレリーフが設置せっちされていることを今回こんかいはじめてったのです、そして原爆げんばくドームの西側にしがわ相生あいおい橋西はしにしつめみなみ)に建立こんりゅうされている文学ぶんがく撮影さつえいったのです。
資料しりょう碑文ひぶんとう参考さんこうにしました 07.07.22更新こうしん   04.06.10ひろし編集へんしゅう

07.03.12撮影さつえい
広島ひろしまなか紙屋かみやまち2-1-18 (デオデオ北側きたがわ外壁がいへき設置せっち

04.05.15撮影さつえい
交流こうりゅうウォーク・増田ますだ義法よしのり先生せんせい説明せつめいく・・・
レリーフは昭和しょうわ63(1988)ねん設置せっち 
鈴木すずき三重吉みえきちあかとりかい資料しりょうをみていたらこのレリーフの作者さくしゃ吉田よしだただしなみであることがわかり追記ついきしました。
07.07.28追記ついき
敬称けいしょうりゃくしました



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