はじめに
近時 、医療 テクノロジーの進展 によって人体 は徹底的 に利用 され、商品 化 しはじめている。本稿 は、人体 の利用 と商品 化 の事実 を述 べ、さらには、その持 つ意味 を考 えようとするものである(これまで、人体 の利用 と商品 化 の事実 を網羅 的 に明 らかにし、その意味 を問 う著作 は見当 たらなかった)。
過去 、人体 は、その一部分 であれ全体 であれ、さまざまに利用 されていた。そしてそれらは、時 に商品 となっていた。現在 も、人体 は、医療 用 を代表 として、さまざまな目的 で利用 されている。そして、それらの多 くは商品 となっている。
人体 利用 はさまざまに分類 される。まず、時 系列 的 に、伝統 的 利用 、現代 的 利用 、未来 的 利用 の三 つに分類 できる。また、利用 の目的 (仕方 )によって、医療 関連 の利用 、食糧 としての利用 、道具 (用具 )としての利用 、アートの原材料 としての利用 などに分類 される。また、これらのうち医療 関連 の利用 はさらに、移植 用 の利用 、その他 の治療 用 の利用 、医薬品 製造 用 の利用 、薬物 試験 用 の利用 、医学 実験 ・研究 ・教育 用 の利用 などに分類 される。なお、ほかに、利用 の対象 によって、@生体 の利用 、脳死体 の利用 、死体 の利用 、A身体 全体 レベルでの利用 、臓器 レベルでの利用 、組織 レベルでの利用 、細胞 レベルでの利用 、遺伝子 レベルでの利用 、B通常 の一般 の人 の利用 、無 脳 児 の利用 、死刑 囚 の利用 など、に分類 される。なお、胎児 や胚 の利用 は人体 利用 の内部 に位置 づけるのではなく、外部 に並列 的 に位置 づける方 がわかりやすいと思 われる。
以下 では時 系列 による分類 と利用 の目的 (仕方 )による分類 を組 み合 わせて用 いて、それぞれを詳述 する。
1.人体 の伝統 的 利用
(1)食糧 としての利用
人体 の伝統 的 利用 について、食糧 としての利用 、道具 (用具 )としての利用 、アートの原材料 としての利用 、医療 関連 の利用 、の順 に述 べる。
人体 は伝統 的 に、食糧 として利用 されてきた。それはまさに、カニバリズム ―人 肉食 ―である(伝統 的 カニバリズム)。人間 は、例外 的 にか、恒常 的 にか、いずれにせよ、人間 を食 べていたようである。人類 は猿 人 、原人 、旧人 、新人 と進化 してきたと考 えられているが、すでに猿 人 の段階 から人間 は人間 の貴重 な食糧 であったようである。カニバリズムの歴史 は人類 の歴史 とともにあるという(1)。北京 原人 、ネアンデルタール人 、クロマニヨン人 、みんなそうらしい(2)。日本人 の祖先 も人間 を食 べていたことが報告 されている(3)。カニバリズムは究極 の伝統 的 人体 利用 といえるだろう。
過去 、カニバリズムの例 は数々 報告 されている。カニバリズムに関 する文献 はまさに汗牛充棟 である。そして、そのカニバリズムの分類 については、すでに多 くの文献 でなされているが、どれも、帯 に短 し、たすきに長 しである。それで、私 は、それらを参考 にして、次 のように、独断 偏見 的 分類 を試 みた。
まず、大 きく、@食糧 (栄養 )補給 としてのカニバリズム、A宗教 的 な祭礼 、儀式 としての象徴 的 カニバリズム、B憎悪 や逆 に愛情 に基 づくところの感情 的 カニバリズム、C医療 行為 としてのカニバリズム(これは、人体 の医薬品 そのものあるいはその原材料 としての利用 とオーバーラップしている)、D猟奇 事件 としてのカニバリズム、の5種類 に分類 される。
数 として圧倒的 に多 いのは、もちろん@食糧 (栄養 )補給 としてのカニバリズムである。これはさらに、危急 時 (飢饉 、戦争 、遭難 など)の食糧 補給 としてのカニバリズム、日常 的 な食糧 補給 としてのカニバリズム、グルメとしてのカニバリズム、の3 つに分類 される。 まず、危急 時 (飢饉 、戦争 、遭難 など)の食糧 補給 としてのカニバリズムについて。
とくに、飢饉 の際 にカニバリズムが行 われるのはきわめて自然 な成 り行 きである。それは世界中 で共通 している。飢 えると人 は人 を食 う。ただし、食 わない人 や食 えない人 もいる。西暦 450年 のイタリアの飢饉 、西暦 695年 から数 年 続 いたイングランドとアイルランドの大 飢饉 、西暦 845年 からやはり数 年 続 いたブルガリアとドイツの飢饉 、西暦 963年 からやはり数 年 続 いたスコットランドの飢饉 、西暦 1201年 のエジプトの大 飢饉 (4)。日本 にもある。江戸 時代 、天明 の飢饉 (1783年 ) の際 、東北 や関東 で牛馬 犬 猫 はもちろん、草 の根 、木 の皮 、壁土 と食 われ、最後 は人 肉 (死人 の肉 )が食 われたという(5)。
戦争 中 の食糧 補給 としてのカニバリズムはよく知 られている。日本 では、豊臣 (羽柴 )秀吉 が鳥取 城 を兵糧 攻 めした際 に城内 で死人 の肉 が食 われたという話 は有名 である。また、太平洋戦争 中 の日本 軍 の、フィリピン (とくにルソン島 )、ニューギニア、ソロモン群島 (とくにガダルカナル島 ) などにおけるカニバリズムがよく知 られている(6)。
遭難 時 の食糧 補給 としてのカニバリズムも色々 ある。メデューズ号 事件 (7)、ミニョネット号 事件 (8)、「アンデスの聖餐 」事件 (9)等々 。日本 の例 としては、1943年 に発生 した知床 食 人 事件 がある(10)。これらのうち、「アンデスの聖餐 」事件 は飛行機 の墜落 事例 だが、他 は船 の難破 の事例 である。なお、洋上 で遭難 し、食糧 が尽 きたときのカニバリズムは 「洋上 の習慣 」 と呼 ばれているようである (11)。
次 に、日常 的 な食糧 補給 ないしグルメとしてのカニバリズムについては、カニバリズムのチャンピオン、中国 の例 に触 れておこう。まず、桑原 隲蔵博士 は、中国 における人 肉食 は一時 の偶発 でなくむしろ伝統 的 慣習 であり(12)、人 肉 が公然 と市場 で売買 されることもあったとされている (13)。ここでは、人 肉 はまさに商品 である。キー・リー・チョンは中国 における人 肉 の料理 方法 を詳 しく記 している(14)。ブライアン・マリナーも中国 では19世紀 のはじめまで人 肉 を供 するレストランは珍 しいものではなかったと述 べている (15)。ほかに、黄 文雄 氏 は中国 の数 千 年 にわたる食 人 「文化 」 について書 いている(16)。とくに、グルメとしてのカニバリズムのきわめつけは中国 、斉 の桓公 の料理人 、易 牙 がその息子 を蒸 し焼 きにして献上 した事例 であろう。日常 的 な食糧 補給 ないしグルメとしてのカニバリズムについては、一々 あげればきりがないのでこれくらいにしておく(17)。また、食糧 (栄養 )補給 としてのカニバリズム以外 のカニバリズムは本稿 の趣旨 からはずれるので省略 する(18)。それにしても、過去 に一体 どれくらいの人間 が人間 を食 ったのであろうか。またどれくらいの人間 が食 われたのであろうか。そのような統計 は見当 たらない。
ここで、いわゆる移植 カニバリズム論 について少 し触 れておく。臓器 移植 の本質 がカニバリズム(人 肉食 )であることは、フランスのジャック・アタリや日本 では札幌大学 の鷲田 小彌太 教授 によって指摘 されている(19)。なお、臓器 移植 が本物 のカニバリズムにつながることも、ジャック・アタリや鷲田 教授 によって指摘 されている(20)。着飾 った紳士 、淑女 が洒落 たレストランでビフテキを食 べる。誰 れも何 も疑問 を抱 かない。しかし、牛 に直接 かぶりつくならば、これは狂気 といえよう。まして、人間 が、ドラキュラのように人間 の生 き血 を飲 み、猛獣 のように人間 の内臓 を食 するならば、それは狂気 を通 り越 している。だが、輸血 や臓器 移植 の形 で血液 や臓器 を摂取 しても、誰 も何 も非難 はしないだろう。しかしながら、両者 は本質 においてどこが違 うのか。少 なくとも、他者 の身体 の一部 を自己 の身体 に取 り込 む、という点 では同 じである。人類 は文化 という形 で野蛮 さを隠 している。文化 が本質 を隠蔽 する。すなわち、文化 は本質 の隠蔽 装置 である。現代 では、文化 という名 の「野蛮 」の隠蔽 システムができあがっている(21)。私 は、文化 というものは、文化 人 と呼 ばれる人 たちと同 じほどにうさんくさいと思 っている。鷲田 教授 の指摘 は当 たっているといわざるをえない。
なお、口 から人 肉 (ないし内臓 その他 ) を入 れるか否 かはカニバリズムのメルクマールであろうか。そもそもカニバリズムとは何 かという問題 に行 き着 くが、これは論 じはじめると長 くなるのでやめておく。仮 にそうであるとしよう。すでに、人体 の一部 からできていて人間 の口 から入 る医薬品 は存在 する。人間 の血液 の成分 (血漿 ) からできている、飲 む局所 止血 剤 (ヒト由来 トロンビン製剤 ) や人間 の女性 の胎盤 からできている、飲 む滋養 強壮 剤 (ヒト胎盤 製剤 ) などがその例 である。これらはカニバリズムではないのか。
(2)道具 (用具 )としての利用
次 に、道具 (用具 )としての利用 について述 べる。昔 から、人骨 を使 って笛 などの楽器 を作 った例 は世界 各地 にある(もちろん獣 骨 も使 われたが)。たとえば、チベットの骨 笛 (カンリン)や南米 のケーナなどはその例 である。骨 笛 はヒトの大腿 骨 からできている。骨 笛 はチベット仏教 の行者 が用 いるもので、墓地 や水辺 で鬼神 に食物 を施 す行 の時 や、鳥 葬 で鷲 を呼 ぶ時 に吹 き鳴 らす。現地 ではきわめて神聖 なものとされている。銀 やトルコ石 などで美 しく飾 りつけられている骨 笛 もある(22)。なお、人骨 からできたキセルもある。
少 し特殊 なものとしては頭蓋骨 でできた杯 ―どくろ盃 ―がある。有名 などくろ盃 として「カパーラ」がある。「カパーラ」はラマ教 の一派 が宗教 儀式 に用 いるどくろ盃 である。ラマ教 の高僧 の頭蓋骨 によって造 られているという。なお、カパーラはカトマンズの露店 でも売 っている。これらは当然 、商品 である。それらの中 にはわざわざ観光 客 用 に作 られたものもある。いわば、偽物 である。しかし、もちろんそれらは本物 の頭蓋骨 でできている。私 は一 つ買 い求 めたことがある(ディスカウントしてもらって3000円 だった)。
ほかに、頭蓋骨 でできたものとして、でんでん太鼓 (ダマル)などもある。さらに付 け加 えると、数 平方 センチメートル大 の約 30個 の人骨 をあしらった宗教 儀式 用 のエプロンなどもある。それらの骨 のそれぞれには精巧 な細工 が施 されている。まるで象牙 細工 のようである(23)。これはアートの原材料 としての利用 ともいえるだろう。
(3)アートの原材料 としての利用
第 三 に、アートの原材料 としての利用 について述 べる。ローマにある有名 な「骸骨 」教会 には約 4000人 分 の、頭蓋骨 を含 む人骨 でできたアートがある。日本 にも大阪 に数 十 万 人 分 の焼 骨 (それぞれの人 の焼 骨 の一部 を使用 )でできた仏像 (残 骨 仏 )を安置 する寺 がある。同様 のものはほかにも日本 各地 にいくつかある(24)。
(4)医療 関連 の利用
第 四 に、医療 関連 の伝統 的 利用 としては、医薬品 製造 用 の利用 とその他 のものがある。
まず、医薬品 製造 用 の利用 について述 べる。人体 は昔 から、医薬品 そのものとして、あるいはその原材料 として利用 されてきた。極端 な例 としては、人 肉 が治療 のために医薬品 として食 された例 もある(人体 の食糧 としての利用 ―カニバリズム ―については前述 )。
中国 には、人体 のあらゆる部分 を医薬品 として用 いることを述 べている本 がある。中国 の代表 的 な本草 (博物学 の色彩 をもつ薬物 研究 )書 である『本草 綱目 』(李 時 珍 著 、1596年 頃 刊 )である(人 部 第 五 十 二 巻 )。この本 は、骨 や爪 はおろか、髪 の毛 、陰毛 、精液 、ふけ、耳 垢 、歯 くそ、大便 、尿 にいたるまで利用 できることを述 べている。まさに人体 の徹底 利用 である。この本 は後 に日本 にも入 ってきて、翻訳 本 が出 た。
さらにいうならば、ヨーロッパでは15世紀 から17世紀 にかけてミイラを医薬品 として利用 することが大 流行 した(25)。当時 、ミイラは非常 に貴重 な薬 であったようである。これも日本 に伝 わってきている。ほかに、ヨーロッパでは死体 から採取 された脂肪 なども医薬品 として用 いられていたようである。
なお、日本 でも昔 から、脳 (脳漿 )、肝臓 、肺 、心臓 、人骨 、人 肉 、胎児 などを医薬品 として用 いた例 がある(26)。それらを薬餌 として服用 するのである。明治 、大正 時代 など、墓 を暴 いて人骨 を盗 んだり、火葬 中 の死体 から脳漿 を盗 んだりする事件 が発生 している(27)。
ところで、漢方 では胎盤 は昔 から薬 (滋養 強壮 薬 )として用 いられてきた。前述 の『本草 綱目 』にも「人 胞」(および「紫 河 車 」)の名 で胎盤 に関 する記述 がある。現在 でも中国 では、「紫 河 車 」の名 で売 られている。なお、日本 でも、地域 によっては、胎盤 を料理 に混 ぜて食 べる風習 があった。現在 、日本 ではヒト胎盤 製剤 が滋養 強壮 剤 (錠剤 )として販売 されている。胎盤 ドリンクもある。これらは当然 、商品 である(28)。
頭髪 は昔 からカツラ用 に利用 されてきた。カツラは、すでに古代 のエジプトやギリシャ、ローマなどで用 いられていたようである。また、中世 (中世 から近世 にかけて)ヨーロッパではカツラが流行 していたようである。ベートーベンやハイドンの写真 の豊 かな髪 がカツラであることはよく知 られている。頭髪 の売買 は、「貧者 の一 灯 」の故事 (釈迦 の故事 )やヴィクトル・ユゴーの小説 『ああ無情 』、さらには、『今昔 物語 』(および芥川 龍之介 の小説 『羅生門 』)や井原 西鶴 の小説 (浮世草子 )『好色 一 代 男 』(29)などの例 からわかるように、洋 の東西 を問 わず、古 くから行 われていた(許容 されていた)と推測 される。現代 では、たとえば、日本人 用 の人 毛 カツラの原料 となる頭髪 は、中国 から輸入 されている。現代 のカツラはもちろん商品 である。
註
(1)ブライアン・マリナー (平石 律子 訳 )『カニバリズム最後 のタブー』(1993年 、青 弓 社 )12頁 。
(2)ただし、北京 原人 やネアンデルタール人 の例 など、根拠 は不完全 であるという指摘 もある。馬場 悠 男 「食 人 風習 針小棒大 に伝 えられるが特異 ケースのみ」飯田 隆 編 『人間 性 の進化 を解 く人類 学 最前線 』(1995年 、朝日新聞社 )61頁 以下 参照 。
(3)鈴木 尚 『骨 』(改訂 新版 、1996年 、学生 社 )62頁 以下 。
(4)ブライアン・マリナー・前掲 書 註(1)15頁 。
(5)中島 陽一郎 「浅間山 の噴火 で焦熱 地獄 の“天明 飢饉 ”―抄 ―」清原 康正 ほか編 『飢饉 の生 き地獄 (史話 日本 の歴史 20)』 (1991年 、作品社 ) 45頁 以下 。なお、同 『飢饉 日本 史 』 (1976年 、雄山閣 出版 ) 66頁 以下 参照 。
(6)千田 夏 光 『死 肉 兵 の告白 』(1980年 、汐 文 社 )、朝日新聞 1993年 11月 18日 等 参照 。
(7)豊島 與志雄 「メデューズ号 の筏 」中野 好夫 他 編 『世界 ノンフィクション全集 44』(1963年 )参照 。
(8)ブライアン・マリナー・前掲 書 註(1)75頁 以下 参照 。
(9)P・P・リード (永井 淳 訳 )『生存 者 アンデス山中 の七 〇日 』(1974年 、平凡社 )参照 。
(10)合田 一道 『裂 けた岬 「ひかりごけ」事件 の真相 』(1994年 、恒友 出版 )参照 。
(11)ブライアン・マリナー・前掲 書 註(1)20頁 。
(12)桑原 隲蔵 「支 那 人間 に於 ける食 人 肉 の風習 」『東洋 文明 史論 』(1988年 、平凡社 ) 107頁 、113頁 。
(13)桑原 隲蔵・前掲 論文 註(12)105頁 、124頁 、155頁 。
(14)K. R. Chong, Cannibalism in China, pp. 145‐157, 1990.
(15)ブライアン・マリナー・前掲 書 註(1)14頁 。
(16)黄 文雄 『中国 食 人 文化 101謎 』(1993年 、前衛 出版 社 )および同 『中国 残酷 物語 知 られざる中国 食 人 史 』(1981年 、経営 評論 社 )。
(17)なお、開高 健 は「食 」の観点 から、食糧 補給 としてのカニバリズムについてさまざまに論 じている(『最後 の晩餐 』(1982年 、文藝春秋 )365頁 以下 ほか)。
(18)第 二 の宗教 的 な祭礼 、儀式 としての象徴 的 カニバリズム、第 三 の憎悪 や逆 に愛情 に基 づくところの感情 的 カニバリズム、および第 四 の医療 としてのカニバリズム については、ジャック・アタリ(金塚 貞文 訳 )『カニバリスムの秩序 生 とは何 か /死 とは何 か』(1984年 、みすず書房 )参照 。第 五 の猟奇 事件 としてのカニバリズムについてはブライアン・マリナー・前掲 書 註(1) 127頁 以下 、コリン・ウィルソンン (関口 篤 訳 )『現代 殺人 百科 』(1988年 、青土 社 ) 334頁 以下 、ミハイル・クリヴィッチ、オルゲルト・オルギン (小田 晋 訳 )『五 二 人 を殺 した男 』(1993年 、イースト・プレス)、佐 木 隆三 『宮崎 勤 裁判 上 』(1991年 、朝日新聞社 )等 参照 。
(19)ジャック・アタリ・前掲 書 註(18)および鷲田 小彌太 『脳死 論 人間 と非 人間 の間 』(1988年 、三 一 書房 )195頁 以下 。ただし、前者 は臓器 移植 の本質 がカニバリズムであることを直截 に述 べているわけではない。
(20)鷲田 小彌太 ・前掲 書 註(19)195頁 以下 。この点 については、さらに一般 化 した形 で、「ネオ・カニバリズム論 」として後述 する。
(21)鷲田 小彌太 ・前掲 書 註(19)199頁 は、「野蛮 」の無意識 化 こそが「文化 」であるとしている。
(22)これらを私 はエキスポ希 宝 館 (山口 県 秋芳 町 )で見 せていただいた。
(23)これらを私 は天理大学 附属 天理参考館 で見 せていただいた。
(24)藤井 正雄 『骨 のフォークロア』(1988年 、弘文 堂 )187頁 以下 参照 。
(25)ジョージス・マクハーグ(小宮 卓 訳 )『世界 のミイラ』(1975年 、大陸 書房 )189頁 以下 、アンジュ=ピエール・ルカ(羽林 泰 訳 )『ミイラ』(1978年 、佑 学 社 )197頁 以下 等 参照 。
(26)礫 川 全 次 『犯罪 の民俗 学 』(1993年 、批評社 )69頁 以下 参照 。
(27)たとえば、大審院 判決 明治 26年 9月 28日 、長崎 控訴 院 判決 明治 42年 9月 16日 、大審院 判決 大正 14年 10月 16日 等 参照 。
(28)ロ ート製薬 や日本 生物 製剤 などが製造 、販売 している。ほかに、ビタエックス薬品 工業 が製造 し、それを森田 製薬 が発売 している。私 はいくつか試飲 したことがある。なお、山口 研一郎 「授 かる子 からプログラムする子 へ」野田 政 彰 編 『あの世 とこの世 』(1996年 、小学館 )57頁 は、胎盤 の各種 利用 について述 べている。
(29)『好色 一 代 男 』の中 には爪 の売買 も出 てくる。