吾朗さんはかわいそう? 宮崎吾朗監督インタビュー き手・川上量生
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宮崎吾朗(みやざき ごろう)=左
1967年、東京都生まれ。信州大学卒業後、建設コンサルタントとして、公園緑地計画などに携わった後、2001年から05年まで三鷹の森ジブリ美術館で館長を務めた。06年「ゲド戦記」で監督デビュー。「コクリコ坂から」は監督2作目の作品となる。
川上量生(かわかみ のぶお)
1968年、愛媛県生まれ、京都大学工学部卒業後、ソフトウエアの専門商社勤務を経て、97年株式会社ドワンゴを設立、着メロやニコニコ動画などの新規事業を起こす。今年1月からスタジオジブリで修行中。
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スタジオジブリの
新作「コクリコ
坂から」が7
月16
日に
公開される。
企画と
脚本を
宮崎駿さんが
手がけ、
監督は「ゲド
戦記」
以来5
年ぶりに
宮崎吾朗さんが
務めた。
勝負作となる2
作目に
挑んだ
吾朗さんに、
今年1
月からジブリで
見習い
修行中のドワンゴ
会長、
川上量生さんがインタビューした。(
依田謙一)
「ファンなんですよ、父親の」
川上 ジブリに来てよく分かったのは吾朗さんがすごくかわいそうだということ。そして人との間に壁を作りますよね。
宮崎 人見知りだからですよ。あるいは憶病。小さい頃からそれが抜けていないんです。
川上 明らかに社交的なのに「人見知りなんだ」とい張る人もいますが、吾朗さんの場合は?
宮崎 仕事で必要なことは話しますよ。そこから先は時間がかかる。そもそも僕の人生って自分が思っていることと裏腹な方向に行くことが多いんですよ。高校で仕方なく部活の部長をやるとか。
川上 「嫌だ」と言えばやらなくて済むじゃないですか。
宮崎 宮崎家の血だと思いますが、すぐカッとなって「自分がやるしかねえじゃねえか」となってしまうんです。
川上 一時の逆上にせよ、ある程度やりたいことでないと責任感も出てこないはず。アニメーションの監督に関してはどういう気持ちで取り組んでいるんですか。
宮崎 上手に言えないんですよね。やりたいという気持ちはあるんですよ、間違いなく。やっぱり物ができ上がってくる瞬間に立ち会っていくのは快感ですから。でも、それだけかというと違う。
川上 偉大な父親を持つ息子について世間一般が持つイメージは、増長してやりたがっているというパターンと、やりたくないんだけど家業として何となくやっているというパターン。吾朗さんはいずれとも違いますよね。自分の運命はこうだとあきらめている感じがする。
宮崎 それは多分、捨てられないからなんだと思います。父親が作った会社だろうが「関係ねえ」って捨てることもできるはずじゃないですか。僕にはそれができないんです。一方でもし父親が死んで、形ばかりのジブリというものが残っておもしろくない映画を作るんだったら、やめちまえと思う方なんですよ。
川上 ファンに近い発想ですね。
宮崎 そう。ファンなんですよ、父親の。だから続いていくことに寄与しなきゃいけないという気持ちがあるのに、「残すことに何の意味があるんだ」とも思う。でも、きっと残っていく。それを見ず知らずの人が勝手に使っているのは許せないことだと思うし、関わっていかざるを得ない。そういうことと映画を作る現場に身を置いているということがないまぜになっているので、ややこしくなっているんです。10年前ならそんなこと考えなくて済みましたが、さすがに宮崎駿が70(歳)で、鈴木敏夫が63(歳)。そうすると「この先どうするんだろうな」と考えますよね。だから「別のアニメーションスタジオに行って映画監督をやってくれ」と言われて「はい」と答える動機が持てるかというと怪しい。
川上 監督をやりたいというより、ジブリの映画を作りたいということですね。「ゲド」の時から父親との確執が語られてきましたが、熱烈なファンだとは意外でした。
宮崎 両方あるんですよ。だって、子供の頃は親父がやっていた「アルプスの少女ハイジ」の裏番組だった「宇宙戦艦ヤマト」を見たかったですから。でも、僕のなかで最終的にどっちが残ったかというと、親父が作ってきたものなんです。
描きたかったのは自分以外の誰かを思うこと
川上 もともと監督業に向いていたと思いますか。
宮崎 アニメーターのように日々研さんして一つのことに取り組むのは苦手で、全体像を考えたりする方が向いているとは思います。以前、ジブリ美術館の設立に関わって館長を務めましたが、その前にやっていたのは公園だとか緑地の設計を請け負う仕事。発注者はほとんどが自治体や地方公共団体で、納期、お金が最初から決まっている。だから仕事は受けるものという感覚があるんです。
川上 クリエーターとは真反対ですよね。
宮崎 工期とか納期っていう言葉に弱いですね。「コクリコ」も「公開に間に合わない」と言われると「何とかしなきゃ」と思う。
川上 でも、実際はずいぶん制作が遅れましたよね。
宮崎 僕がなかなか企画を決められなかったことが大きい。そして企画が新しく決まってもシナリオがなかなかできなかった。さらに絵コンテを途中で一度、挫折したこともあった。昨年の夏ぐらいから制作に入れたらよかったんですが、作画インできたのは9月。思っている以上に面倒な映画だったということもあります。出てくる場所とか人が限られている設定だったらともかく、あっちに行ったりこっち行ったりするので、そういうことで手間がかかる。地震(東日本大震災)の影響もありましたし。
川上 スケジュールが遅れたことによって、地震のことが作品に反映されるんじゃないかと想像していたら、違いましたね。
宮崎 そうですね。でも地震が起こる前と後とでは同じ場面が違って見えた。
川上 世の中に求められている映画になった感じがします。
宮崎 父親の書いた企画書を読んだ時は、設定を東京オリンピックの前年である1963年にして高度経済成長期のとば口を舞台に女の子と男の子の純粋な心持ちを描くと言われても、何とも言えなかった。閉塞感に満ちた社会を作った団塊の世代が若かったころを描いて、「あの時代はよかった」みたいなことをやるのは、下の世代としてはちょっと承服できない気持ちもありました。それで朝鮮戦争とか太平洋戦争に目を向けたところ、戦争でお父さんを失ったことを引きずっている暗い女の子の話になってしまった。企画書にあった「人を恋うる心」についても「これだけ恋愛物が作られた挙句、今さら何だ」という気持ちでした。それが、恋愛だけでなく、自分以外の誰かを思うことを描く映画だと思ったらいろんなことが見えてきた。主人公の海ちゃんにとっては思いを寄せる俊君のことだけでなく、お父さんのことでもあり、お母さんのことでもある。人の根っこにあるつながりみたいなものであって、恋愛はひとつの側面でしかない。俊君との間にあったあることを通じて海ちゃんは死んだお父さんに対する思いをより強くするだろうし、お母さんに対してもまた別な思いを持つようになる。その一連を通して出会った大人たちとか、そういう人を思うことも含んでいる。それで企画書にあった「人を恋うる心」みたいなものがやっと腑に落ちたんです。
「ゲド戦記」は最初で最後だと思っていた
川上 「ゲド」の時は宮崎駿の息子が監督するということで、いろんなことを言われたと思うんですが。
宮崎 「最初で最後だ」と本気で思っていましたから、気にしませんでした。むしろ考えていたのは、僕みたいな者がやれるということが分かったら、ジブリにいるその道でずっとやってきたスタッフの中から「自分でもできる」と出てきてくれるだろうということでした。
川上 普通に考えて、全く下積みなしで監督をやって、ちゃんと映画ができたこと自体、すごいことだと思いますよ。それでも「他の人でもできる」と思われるんですか。
宮崎 思いますよ。それにあの時は挿入歌を歌った手嶌葵さんに出会ったことが大きかった。彼女の歌があることで成立している部分も多分にある。今回も主題歌を歌ってもらっていて、音楽で得したなと思うところはたくさんありますし、声優陣にも助けられた。本当に運がいいと思います。
川上 一方で吾朗さんは普通の人には耐えられない環境を耐えていますよね。成功したら賞金はお父さんが持っていく、外れたら自分が払うみたいなくじを引いている。
宮崎 いいんですよ、それで。別に自分の名前をどうしたいと思っているわけじゃないし、父親のように世間の人が思う立派な人みたいになりたいわけでもない。映画を見た人が「ああ、よかった」と言ってくれる範囲でやっていきたいんです。
川上 僕の中ではジブリは初期の「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」のイメージが強くて、その後はどこか違う方向に行った感があります。違うのはいいんですが、ファンタジーにあこがれていたので、「いつかまた作ってくれないかな」という気持ちがある。「コクリコ」はジブリではこれまで作ってこなかった新しい境地ですが、将来的に吾朗さんの世代でファンタジーに戻ってくれるんじゃないかと期待もあるんです。
宮崎 ファンタジーを読める時代は幸せだと思います。「ナウシカ」は核戦争をイメージした世界を描いていて、当時、そういうものがたくさん作られましたが、現実に福島で起きたようなことを見ちゃうと、生半可なファンタジーでは太刀打ちできない。あったとしても少し後にならないと出てこない気がします。今の子供たちが年齢を重ねたに時にこの国がどうなっているかということと関係あるはずですし、厳しいものを乗り越えていく力として、現実の映し鏡であるファンタジーが必要になる。「指輪物語」は戦時中に書かれたものですが、やっぱり、その時代のヨーロッパの気分を反映している。それがここ最近、映すものがなくなっていたと思うんです。だから、ファンタジーが様式化しちゃって、知らない世界で一生懸命戦うとか、かわいい女の子が出てくるというものにしかならない。
川上 現実から切り離されたファンが作る作品ということですね。
宮崎 僕は少し前までそういう日本の現状が嫌いだったんです。「何で自分は日本人に生まれたんだろう」みたいな。それが最近そうでもなくなってきた。自分たちのルーツがあるならちゃんと勉強したいと思うようになりましたし、「コクリコ」にはそういう気持ちが反映されていると思います。
「コクリコ坂から」 7月16日公開
原作は高橋千鶴さんと佐山哲郎さんの同名少女漫画。東京オリンピックを翌年に控えた1963年の横浜を舞台に、親子二代にわたる青春と絆を描く。声の出演は長沢まさみさん、岡田准一さんら。主題歌は手嶌葵さん、音楽は武部聡志さんがそれぞれ手がけている。 |
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(2011年7月12日 読売新聞)