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春日若宮おん祭  Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)

2024ねん6がつ11にち(火)

古都ことかんじる 奈良ならコレクション

2009ねん12月15にち

 今年ことし春日かすが若宮わかみやしゃ祭神さいじんである若宮わかみやかぞえで1007さいになった。

 若宮わかみやがおまれになったのは長保ながほ5ねん(1003)3がつ3にち。うちつづ災害さいがいから人々ひとびとすくうため、若宮わかみや天下てんか泰平たいへい五穀豊穣ごこくほうじょう万民ばんみん安楽あんらく祈念きねんする祭礼さいれいはじめられたのはのべ2ねん(1136)9がつで、これが「おんさい」である。それ以来いらい「おんさい」は、大和やまとこく最大さいだい祭礼さいれいとして、いち中断ちゅうだんもなくつづけられており、今年ことしが874かいになる。

 奈良なら春日大社かすがたいしゃ当時とうじは「春日かすがしゃ」)が創建そうけんされたのは神護かんごけいくも2ねん(768)のことである。平城京へいじょうきょうひがしはしぶたさん(みかさやま)のふもとに、ほぼ同形どうけい同大どうだい本殿ほんでんよんむねみなみいてならんでっており、だいいち殿どのにはたけづちいのち(たけみかづちのみこと)、だい殿どのにはけい主命しゅうめい(ふつぬしのみこと)、だいさん殿どのにはてん屋根やねいのち(あめのこやねのみこと)、だいよん殿どのにはうりしん(ひめがみ)をまつる。

 このうちたけづちいのち常陸ひたちこく茨城いばらきけん鹿島かしま神様かみさまで、鹿しかってぶたやまにやってたといわれる。鹿しかかみ姿すがたえがいたふるくからあり、奈良ならかおになっている鹿しかたちは「かみ鹿しか」とばれて大切たいせつにされている。

 けい主命しゅうめい下総しもふさこく千葉ちばけん香取かとり神様かみさまてん屋根やねいのちうりしんはご夫婦ふうふで、河内かわちこく大阪おおさかまいおか(ひらおか)の神様かみさま。こんなふうに、他所よそからやって神様かみさまが、春日大社かすがたいしゃには一緒いっしょまつられている。

 そのご夫婦ふうふ神様かみさまてん屋根やねいのちうりしんとのあいだまれたこどもが、若宮わかみやである。

 誕生たんじょうしてからしばらくのあいだ若宮わかみや社殿しゃでんをもたなかったが、長久ちょうきゅう2ねん(1041)に本殿ほんでんだい殿どのだいさん殿どのあいだかり殿しんがりもうけて若宮わかみやまつることになった。このとし、「おそなえはらない」という託宣たくせんがあり、若宮わかみや待遇たいぐう不満ふまんをもっておられることがわかったからである。

 そののちちょううけたまわ4ねん(1135)に、本殿ほんでん南方なんぽうあらたに社殿しゃでんて、若宮わかみやをおうつしした。これが現在げんざい春日かすが若宮わかみやしゃである。

 春日かすが若宮わかみやしゃ創建そうけんされた翌年よくねんのべ2ねん(1136)に「おんさい」ははじめられた。

 そのころは毎年まいとしのように飢饉ききん疫病えきびょうこり、おおくの人々ひとびとんでいった。「おんさい」で若宮わかみや奉納ほうのうされるさまざまな芸能げいのうのなかには、御霊みたま怨霊おんりょう)を慰撫いぶするときえんじられる芸能げいのう共通きょうつうするものがあり、「おんさい」の本来ほんらい性格せいかくをうかがうことができる。

 「おんさい」をはじめたのは、藤原ふじわらのトップである長者ちょうじゃ藤原ふじわらただしどおり(1097-1164)。当時とうじ天皇てんのう補佐ほさする関白かんぱく地位ちいにあった。「おんさい」を仕切しきったのは春日しゅんじつしゃ神官しんかんではなく、興福寺こうふくじ僧侶そうりょであった。「おんさい」にかかる莫大ばくだい必要ひつよう経費けいひも、興福寺こうふくじ僧侶そうりょ寄進きしんした荘園しょうえん収入しゅうにゅうなどでまかなわれた。


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