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テクノロジーをデザインするひとのための技術ぎじゅつ哲学てつがく入門にゅうもんだい9かい】:日本にっぽん宇宙うちゅう技芸ぎげいかんがえる──テクノロジーの「あわい」

最新さいしんのテクノロジーをビジネスやクリエイティブに活用かつようするじょうで「技術ぎじゅつ哲学てつがく」は必須ひっす教養きょうようだ。日本にっぽんてきなテクノロジーかんとしてしばしば言及げんきゅうされるアニミズムやドラえもんだが、これが本当ほんとうに、日本にっぽんの“宇宙うちゅう技芸ぎげい”なのだろうかと連載れんさいだい9かい
テクノロジーをデザインする人のための技術哲学入門【第9回】:日本の宇宙技芸を考える──テクノロジーの「あわい」
Francesco Carta fotografo/GETTY IMAGES, WIRED JAPAN

なぜ「技術ぎじゅつ多様たようせい」がもとめられるのか

連載れんさいもいったん最後さいごとなる今回こんかいは、前回ぜんかいつづきテクノダイバーシティ(技術ぎじゅつ多様たようせい)、とくに「日本にっぽん宇宙うちゅう技芸ぎげい」についてかんがえたい。技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃであるユク・ホイが、主著しゅちょひとつである『中国ちゅうごくにおける技術ぎじゅつへの』において提唱ていしょうする「宇宙うちゅう技芸ぎげい」とは、かく地域ちいき世界せかいかん宇宙うちゅうかんにねざす、多様たようせいひらかれた技術ぎじゅつをさす。しかし、なぜテクノダイバーシティや、その具体ぐたいてきな「宇宙うちゅう技芸ぎげい」の探求たんきゅうがいまもとめられるのだろうか。提唱ていしょうしゃであるユク・ホイはう。

ここまでかえてきたように、ホイがう「近代きんだいてきな」テクノロジーは、すべてを生産せいさんせい効率こうりつせいでしかられないように人々ひとびとてるゲシュテル機構きこうだい6かいのテーマ)や、ひとつの未来みらいたとえば汎用はんよう人工じんこう知能ちのう[AGI]の誕生たんじょう約束やくそくされた未来みらい)へとかう機械きかいろんてきサイバネティクス(だい7かいのテーマ)をしてきた。そのテクノロジー文明ぶんめい近代きんだい以後いごこの地球ちきゅうおおっていっている。はしてきえばそれはディストピアに帰結きけつするものだ。じっさい現代げんだいのテクノロジー文明ぶんめいは、環境かんきょう破壊はかい戦争せんそうなど惑星わくせいてきふくあい危機きき直面ちょくめんしている。

わたしたちは、未来みらいをつくりなおす(Defuturing(だつ未来みらい)/Refutureing(さい未来みらい必要ひつようがある。たとえば、グローバルという言葉ことばは、人類じんるい共通きょうつう志向しこう文化ぶんかすものではなく、ある特定とくてい地域ちいき志向しこう文化ぶんか体現たいげんしているにすぎないと、ポストコロニアルや生物せいぶつ多様たようせい文脈ぶんみゃくかえべられてきたが、テクノロジーの多様たようせい注目ちゅうもくされるべきなのだ。さらに、ホイはう。

日本にっぽん文化ぶんかのテクノロジーかん

しかし、日本にっぽん固有こゆうのテクノロジーかんなどありうるのだろうか。

技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃのマーク・クーケルバークは著書ちょしょAIの倫理りんりがく』で、西洋せいようにおいてAIは「ちょう知能ちのう」となり人間にんげんと「敵対てきたい」するものとしてかたられるなどAIの脅威きょうい過大かだいされる傾向けいこうがあることを問題もんだいしたうえで、西洋せいよう文化ぶんか以外いがいけることで解決かいけつさくいだせるのではないかとし、日本にっぽんげる。

という。クーケルバークがいう神道しんとう影響えいきょう西洋せいよう研究けんきゅうしゃくちからもたびたびかたられる。いわゆる「テクノアニミズム」だ。

テクノアニミズムとドラえもんAIろん

「テクノアニミズム」は、「人工じんこうぶつ機械きかい生命せいめいてき性質せいしつ、とくに霊魂れいこんかん心性しんせい5」で、日本にっぽん特有とくゆう技術ぎじゅつかんとして、2000年代ねんだい前後ぜんこうから人類じんるい学者がくしゃのアン・アリソンや、奥野おくの卓司たくしらが提唱ていしょうした概念がいねんで、技術ぎじゅつ哲学てつがく研究けんきゅうしゃ度々たびたびげている。

昨年さくねん国際こくさい技術ぎじゅつ哲学てつがくかいわせて来日らいにちしたオランダの二人ふたり技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃと、フランクなおさけせきではあるが、この話題わだいになった。 日本にっぽんのポップカルチャーのだいファンでもあるそのうちの一人ひとりは、そこでえがかれるAIやロボットとの関係かんけいせい西洋せいようのそれとはちがうのだとしたしみをめてかたってくれた。そしてその理由りゆう同席どうせきしたもう一人ひとり技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃ丁寧ていねい補足ほそくしてくれた。そう「神道しんとう理由りゆうなんだ」と。

AppleがあたらしいiPadのプロモーションにわせて公開こうかいした動画どうがが「もの大切たいせつにしていない動画どうがだったから」炎上えんじょうしたことは記憶きおくあたらしいが、X(きゅう:Twitter)のトレンドに「はちひゃくまんかみ」が浮上ふじょうしたこともわたしは見逃みのがさなかった。もの大切たいせつにしないことできる「づけ喪神そうしん」(つくもがみ)のたたりについての伝承でんしょうがこの日本にっぽんにはあり、それが日本にっぽん文化ぶんか特徴とくちょうひとつであることは間違まちがいない。

なのであのせきで「それは神道しんとうの「はちひゃくまんかみ」の思想しそうからているんだ」とほこらしげに返答へんとうしてもよかったかもしれない。けれども、同席どうせきしていたわたしたちはけっしてそれをしなかった。というのも、少々しょうしょう複雑ふくざつ感情かんじょういていたのだ。

もちろん、クーケルバークがいうように「ポップカルチャーは機械きかいをヘルパーとしてえがいてきた」のもたしかだ。この「ヘルパー」の代表だいひょうは「ドラえもん」だろう。わたしたちはドラえもんAIかんをもつ、というかんがえも散見さんけんされる。たしかにAIがドラえもんのようなイメージになるなら脅威きょういいだきにくいだろう。そのため、規制きせいきにくく、AI開発かいはつ天国てんごくだというわけだ。じっさい日本にっぽん著作ちょさくけんなどのてんでAI規制きせいきわめてゆるい。また、aiboやLOVOT、OriHimeなど、すでにヘルパーとして活躍かつやくしているロボットはいくつもあり、それがAIにより飛躍ひやくてき進化しんかするちかいだろう。

テクノロジー津波つなみろん

さらに、もうひとつの傾向けいこうせいがあるという。AIにかぎらずそもそもテクノロジーの脅威きょういかんじにくいというものだ。

わたしは以前いぜん技術ぎじゅつ哲学てつがくのようなテクノロジー批判ひはん学問がくもんがなぜ日本にっぽんそだちにくいのかある米国べいこく著名ちょめい技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃにメッセンジャーで質問しつもんしたことがある。そのやりりのなかで、親日しんにちでもあるかれはそのことを長年ながねんかんがえてきたとしたうえで「日本人にっぽんじんは、地震じしん津波つなみおなじようにテクノロジーにたいしてもあきらめているのだろうか。よくわからないが、日本にっぽんはテクノロジー開発かいはつ中心ちゅうしんでもあるのに、不思議ふしぎなことなのだ」と回答かいとうしてくれた。

たしかに、津波つなみなどの巨大きょだい自然しぜん災害さいがいおお国土こくどのため、テクノロジーの「襲来しゅうらい」による脅威きょういかんじにくいという発想はっそうもたびたびかけるものだ。

日本にっぽん固有こゆうの「〇〇」をうたが

しかし、これが日本にっぽん宇宙うちゅう技芸ぎげいなのだろうか。ここで注意ちゅうい必要ひつようなのが、基本きほんてきにはこれらは「海外かいがいからみた日本にっぽんろん出発しゅっぱつてんとし、またなにかと日本にっぽんへの期待きたいかん背景はいけいかたられがちで、またわたしたちはそれに肯定こうていてきおうじたくなるてんだ。

そもそも、上記じょうき期待きたいかんはいわゆる「だつ人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎ」のながれからくるものだろう。

まず、西洋せいよう伝統でんとうにおいては、生命せいめい機械きかい人間にんげんとそれ以外いがい厳密げんみつ区別くべつされてきた。また、前回ぜんかいたように人間にんげんには世界せかい管理かんりしゃとしての特別とくべつ地位ちいあたえられてきた。それゆえ、知性ちせいをもちまるで生命せいめいのように機械きかいであるロボットやAIは、人間にんげん地位ちいおびやかす存在そんざいであり、それらにたいし「フランケンシュタイン・コンプレックス」をもつとされる。

一方いっぽうで、ポストモダン以後いご西洋せいようには、いわゆるだつ人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎやポストヒューマニズムの思想しそう、つまり、人間にんげん人間にんげん以外いがい存在そんざい境界きょうかいくす方向ほうこうでの思索しさくひろまっている。ロボットやAIも、人間にんげん社会しゃかいのコニュニティにはいるものとして位置いちづけるための議論ぎろんおこなわれているのだ。ダナ・ハラウェイのサイボーグろんやブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論りろん後述こうじゅつする技術ぎじゅつ哲学てつがくにおけるAIやロボットの行為こういしゃせい議論ぎろんはその系譜けいふえるだろう6

そのようなながれのなかで、ロボットを自然しぜん社会しゃかい一員いちいんのようにとらえる思想しそうをもっている日本にっぽん文化ぶんか参考さんこうになるのではないか、と素朴そぼく西洋せいよう研究けんきゅうしゃかんがえることがあり、わたしたちもそういう「日本にっぽんのよさ」があるのではないかと期待きたいする、という構図こうずがあるというわけだ。

西洋せいようにおける人工じんこうエージェントとテクノロジー自律じりつせつ

じっさいサイバネティクスは、機械きかい生命せいめいのように発展はってんさせてがきたゆえに(だい7かい参照さんしょう)、たとえば、AIやロボットを人間にんげんのような存在そんざいだとかんがえる人工じんこうエージェントろんや、そうしたテクノロジーが自律じりつてき発展はってんするというテクノロジー自律じりつせつまれてきた。

人工じんこうエージェントろんは、ロボットに行為こういしゃせい付与ふよすべきではないかといかける。まるで人間にんげんのような、生命せいめいのようなロボットやAIが、次々つぎつぎ誕生たんじょうし、未来みらいにおいてますます社会しゃかい浸透しんとうしていくだろう。テクノロジーはもはや他者たしゃとしてあらわれようとしているのだ。

技術ぎじゅつ哲学てつがくにおいても、AIやロボットがじゅん-他者たしゃせいをもつことについて真剣しんけん議論ぎろんおこなわれ、社会しゃかいてき地位ちいあたえるべきなのか、道徳どうとくてき行為こういしゃ道徳どうとくてき行為こういしゃになりるのか議論ぎろんされている7

これらはそうじて、人間にんげん機械きかい、さらには動物どうぶつなどのほかのエージェントをあわせていったん平等びょうどうあつかい、その性質せいしつ機能きのうちがいから「地位ちい」を社会しゃかいてき付与ふよすべきだという議論ぎろんだといえる。アクターネットワーク理論りろんがその典型てんけいだろう。したがって、高度こうど知能ちのうをもったロボットであれば、それなりの社会しゃかいてき地位ちい身分みぶんあたえるべきだということになる8

このような観点かんてんからると日本にっぽんには、最初さいしょからそうした人工じんこうエージェントに「たましいがあるもの」という地位ちいあたえ、そういう存在そんざいとしてあつか文化ぶんかがあると解釈かいしゃくされることになるのではないだろうか。

2つのテクノロジー自律じりつせつは、たとえば、ケヴィン・ケリーの「テクニウム」やジェームズ・ラブロックの「ノヴァセン」のような、テクノロジーが人間にんげんはなれて自律じりつてき発展はってんしていくというかんがえだ。ルーツとしてはヘーゲルやマルクスの唯物ゆいぶつろんてき歴史れきしかんもあげられ、またこうした自律じりつせつをとった論者ろんしゃ枚挙まいきょにいとまがない。そして、未来みらいにおいてそれらがちょう知能ちのうとして人間にんげん支配しはいする運命うんめい悲観ひかんするか楽観らっかんすることになる。

そしてこうした運命うんめいにあるテクノロジーを「自然しぜんと」れている文化ぶんか日本にっぽんにはあるというわけだ。日本にっぽんにおいても、オムロンの「SINIC(サイニック)理論りろん」、落合おちあい陽一よういちの「計算けいさん自然しぜん」のような、テクノロジーの総体そうたいやその発展はってん有機ゆうきてきなシステムろん見出みいだすものがあるが、たしかに西洋せいようのそれとはちがい、そこではテクノロジーとひと対立たいりつ関係かんけいえがかれないだろう。

足元あしもとつめなお必要ひつようせい

こうした観点かんてんかられば日本にっぽん文化ぶんかは、すでにAIやロボットさらにはテクノロジーの進化しんかそれ自体じたいを「自然しぜんに」社会しゃかいなかれており、「だつ人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎ」のひとつの理想りそうてきなありかたのようにえることがあるのかもしれない。しかし、これが西洋せいよう文脈ぶんみゃくからの日本にっぽん理解りかいならば不十分ふじゅうぶんだ。

そもそもAIやロボット、さらには存在そんざい世界せかいそのものの理解りかい仕方しかた根本こんぽんてきちがいがあるならば、西洋せいようことなる世界せかいかんから、世界せかいとして日本にっぽんかたられているにぎないのだ。そうした日本にっぽんろんしんけたなら「方向ほうこう喪失そうしつ」に帰結きけつするだろう。そうはならないように、わたしたちは足元あしもとつめなおすべきなのだ。

じっさい、もしもわたしたちがそのようなテクノロジーかん本当ほんとうにもつのだとしたら問題もんだいだらけだ。一言ひとことえば、あまりにテクノロジーにたいして受動じゅどうてきすぎ、テクノロジーへの責任せきにん問題もんだい放棄ほうきすることになるだろう。なんでも自然しぜんにそうなるとかんがえる主義しゅぎという、日本にっぽん文化ぶんか問題もんだい指摘してきされるものを帰結きけつするだけではないか。ありがちなテクノロジーの日本にっぽんろんはいつでも「保留ほりゅう」しその内実ないじつ再考さいこうすべきだ。

また、その探求たんきゅうてにあるのは「日本にっぽん固有こゆう」のものではなく、「地理ちり」や「風土ふうど」に依拠いきょするもので、くにという単位たんいはかるべきものとはならないのではないか。一方いっぽうで、日本にっぽんはすでに西洋せいようしているとしてその思想しそうてき基層きそう探求たんきゅうけることもまた「方向ほうこう喪失そうしつ」にしかならないだろう。

その世界せかいかんちがいの整理せいりのために、ここでは前回ぜんかいのデイヴィッド・チャーマーズの『リアリティ+』のある一節いっせつ補助ほじょせんに、「胡蝶こちょうゆめ」をれいに、前回ぜんかいつづきもう一度いちど大枠おおわくからとらえてみたい。

胡蝶こちょうゆめ」と「洞窟どうくつ比喩ひゆ

ふるくから日本にっぽんにも影響えいきょうあたえてきた中国ちゅうごく古代こだい思想家しそうかそうの「胡蝶こちょうゆめ」の説話せつわは、このゆめかもしれないし、さらにはゆめ現実げんじつかどうかもわからないという趣旨しゅしのものだ。

このことをすこ整理せいりすると「このは、現実げんじつでもあるし、現実げんじつでもない。ゆめでもあるし、ゆめでもない」といういわゆる矛盾むじゅん内包ないほうするレンマの論理ろんり10があるということになるだろう。

これに比較ひかくされる物語ものがたりとして、『リアリティ+』でチャーマーズは、プラトンの洞窟どうくつ比喩ひゆをもちす。洞窟どうくつなかしばけられた人々ひとびとは、ほのおらされてしょうじたかげだけをてそれが実体じったいだとおもむように、わたしたちが現実げんじつているものは、イデア(=真理しんり)の「かげ」にぎないとプラトンはかんがえる11

チャーマーズは、さらにこれにインドにおける説話せつわくわえて、いずれも世界せかいはバーチャルかもしれにないとふるくから人々ひとびとかんがえてきたという事例じれいとしてひとしく紹介しょうかいしているが、チャーマーズはれていないが(まさにそこにれていないことを問題もんだいにしたいのだが)その背後はいご世界せかいかんにはあきらかなちがいがあるわけだ。

つまり、そうの「胡蝶こちょうゆめ」は、バーチャルとそうでないことはおな価値かちとなり、世界せかい創造そうぞうしたかみのような存在そんざい想定そうていされていないが、プラトンの「洞窟どうくつ比喩ひゆ」はバーチャルであることの反対はんたいにバーチャルでないことが真理しんりとして想定そうていされる。そして、その背後はいごにはかみ想定そうていされる。

おのずからまれる生命せいめい存在そんざい

このことがだい5かいあつかったテクノロジーや技術ぎじゅつ本質ほんしつでもある「ポイエーシス」、つまり「なにかをはたらき」の解釈かいしゃくとなってあらわれる。なにかをはたらきの源泉げんせんをどうとらえるのかが、テクノダイバーシティをかんがえるうえでの世界せかいかんちがいの根幹こんかん理解りかいとしてきわめて重要じゅうようなのだ。

その源泉げんせんにプラトンは創造そうぞうしゃがいる(「イデア」がある)とし、そうは「そら」だという。さらに、前回ぜんかいげた竹内たけうち整一せいいちによれば、その「そら」を日本にっぽん思想しそうは「おのずから」と「みずから」の「あわい」と表現ひょうげんすることになる。「あわい」から「おのずから」「みずから」ずることがポイエーシスであり、また「技術ぎじゅつ」の本質ほんしつだと。したがって、そのポイエーシスは自然しぜんそくすことではたらくことになる。「すべては自然しぜんからまれたので、自然しぜんそくしている技術ぎじゅついもの」と東洋とうようではかんがえられてきたとユク・ホイもべている12

それゆえ、まれでたものもまたなんらかの根拠こんきょ基礎きそけされた「存在そんざい」といえるようなかくたるものではない。それはうつろう「関係かんけいせい」のなかでの「あらわれ」であり、その存在そんざいには根本こんぽんてきには根拠こんきょはないことになる。それは現実げんじつ現実げんじつ合間あいまからゆめのようなものなのだ。「胡蝶こちょう」はまさにそれを象徴しょうちょうする。

つまり、日本にっぽんにAIやロボットをたましいがある「存在そんざい」として受容じゅようする文化ぶんかがあるのではない。そのうつろう現実げんじつなかでそうした「あらわれ」をみてとっているにぎないのだ。その存在そんざい根拠こんきょはない。そこには、あわいがあり「ゆめ」があるだけなのだ。けれどもその「ゆめ」がまたわたしたちにはたらきかける。

テクノロジーのゆめ

最後さいごに、この「テクノロジーのゆめ」をあつかおう。

ホイは、かれ博士はかせ論文ろんぶん指導しどう教官きょうかんでもあったベルナール・スティグレールへの追悼ついとうぶんつぎのようにいている。

テクノロジーは本来ほんらいゆめだという。解釈かいしゃくはさまざまにありえるだろうが、さきほどの現実げんじつゆめのレンマてき考察こうさつからかんがえるならば、テクノロジーはそれが顕現けんげんするまえ分化ぶんかなときにこそ、まだそれがゆめなかにあるときにこそ、その本質ほんしつがあるということではないだろうか。そして、それをだれかがたぐりよせ、こちらへとまえへともたらすことで、顕現けんげんしたテクノロジーがときに「どく」となる。

けれども、おのずといたはなどくをもつことがあるように、人間にんげんおこなう純粋じゅんすい好奇心こうきしんからの創造そうぞうならば、その倫理りんりてき善悪ぜんあく判断はんだん保留ほりゅうせざるをえないのかもしれない。たとえばれいせん原爆げんばくんだ堀越ほりこし二郎じろうやオッペンハイマーを、たんなる楽観らっかん主義しゅぎしゃ批判ひはんすることもむずかしいかもしれない。

しかし、どのようなゆめるのか。それをめさせているものもあるだろう。それこそが、ホイが世界せかいかん宇宙うちゅうかん、つまり「コスモロジー」だ。

未来みらい世代せだいのために、この破壊はかいされくした地球ちきゅう環境かんきょう再生さいせいさせ、生物せいぶつ多様たようせい実現じつげんしたゆたかな世界せかいのこすためには、その「ゆめ」は自然しぜん調和ちょうわしたゆめ自然しぜんそくしたものであるべきだ。

日本にっぽん宇宙うちゅう技芸ぎげいは、こうしたゆめ花開はなひらいたものだったのではないのだろうか。

テクノロジーの問題もんだいは、わたしたちはどのようなゆめるのか、それをうているのだ。

  1. https://webgenron.com/articles/anessayincosmotechnics
  2. https://webgenron.com/articles/anessayincosmotechnics
  3. SF 作家さっかのアイザック・アシモフは、あたらしいテクノロジーにたいする根拠こんきょのない恐怖きょうふを「フランケンシュタイン・コンプレックス」とんだ。http://www.is.nagoya-u.ac.jp/dep-ss/phil/kukita/works/Frankenstein-complex-and-narratives-around-AI.pdf
  4. AIの倫理りんりがく』(マーク・クーケルバーク、丸善まるぜん出版しゅっぱん、p24)
  5. https://book.asahi.com/article/15008605
  6. こうした議論ぎろん詳細しょうさいは『技術ぎじゅつ哲学てつがく講義こうぎ』(マーク・クーケルバーク、丸善まるぜん出版しゅっぱん)のだい9しょう参照さんしょういただきたい。
  7. 技術ぎじゅつ哲学てつがくにおけるこうした人工じんこうエージェントの行為こういしゃせい議論ぎろん詳細しょうさいは『技術ぎじゅつ哲学てつがく講義こうぎ』のだい8しょう参照さんしょういただきたい。
  8. たとえば、2016ねん欧州おうしゅう連合れんごう欧州おうしゅう議会ぎかい法律ほうりつ問題もんだい委員いいんかいは、労働ろうどう従事じゅうじするロボットを「電子でんし人間にんげん」と位置付いちづけ、オーナーには社会しゃかい保障ほしょうなどを負担ふたんさせるべきという構想こうそうをまとめた(その実行じっこうはされていない)。https://jp.reuters.com/article/idUSKCN0Z80B5/
  9. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2
  10. レンマは、西洋せいようてきこう対立たいりつてき論理ろんり超越ちょうえつする論理ろんりとされる。仏教ぶっきょう古典こてんのナーガルジュナなどに見出みいだされ、東洋とうよう特有とくゆう論理ろんりとされる。西田にしだ幾多郎きたろう絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ理論りろんにもつうじ、その弟子でしである山内やまうちとくりつが「テトラレンマ」として確立かくりつした。
  11. 国家こっかだい7かん
  12. 中国ちゅうごくにおける技術ぎじゅつへのい』(ユク・ホイ、ゲンロン、p.111
  13. https://philosophyandtechnology.network/4135/memory-of-bernard-jp/

ほん連載れんさい今回こんかいだいいち終了しゅうりょうとなります。次期じきけて読者どくしゃ方々かたがたのフィードバックを募集ぼしゅうしています。ぜひアンケートにご協力きょうりょくください。

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七沢ななさわ智樹ともき |TOMOKI NANASAWA
Technel合同ごうどう会社かいしゃ代表だいひょう東京大学とうきょうだいがく情報じょうほうがくたまき客員きゃくいん研究けんきゅういん・SPT2023(国際こくさい技術ぎじゅつ哲学てつがくかい2023)運営うんえい委員いいん企業きぎょうでの技術ぎじゅつ開発かいはつ経験けいけんをいかし技術ぎじゅつ哲学てつがく研究けんきゅうしている。日本にっぽん技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃつどう「わざあきらけん」や、亜熱帯あねったい原生げんせいジャングルで厳選げんせんされたツールとともにサバイバルてき滞在たいざい実践じっせんする「Iriomote JUNGLE CLUB」を運営うんえいきょう訳書やくしょに『技術ぎじゅつ哲学てつがく講義こうぎ』(マーク・クーケルバーク)。


編集へんしゅうちょうによる注目ちゅうもく記事きじきや雑誌ざっし制作せいさくがえりのほか、さまざまなゲストをまじえたトークをポッドキャストで配信はいしんちゅう未来みらいへの接続せつぞくこちらから