この時点で、本書ではトニー・フライとアン=マリー・ウィルスというふたりが重要人物として出てきます。ふたりはパートナーなんですけれども、タスマニア島でThe Studio at the Edge of the Worldというデザイン事務所を構える、元々は建築系の教員でデザイン理論家です。ふたりの存在論的デザインの解釈というのは、究極的には、このデザインされた世界で自分たちがデザインし返されているんだというもので、その究極的な形態が「デフューチャリング(defuturing)」であると。
だから、本書に出てくるプルリバーサルデザイン、つまりDesigns for the Pluriverse(多元世界のためのデザイン)という話に関しては、アンソニー・ダンがかつてアファーマティブデザインとクリティカルデザインの違いを表でまとめていたのと同じようなかたちで、ユニバーサルなデザインとプルリバーサルなデザインがどう違うのかを、短期的であるのに対して長期的であるとか、制御可能であるものに対して創発的であるとか、中央集権的であるものに対して自治自律的であるといったかたちで、ぜひ読みながら考えていただきたいなと思います。
でも、そこからいま、ちょっとずつ拡がりが出てきているわけです。例えばELSI(ethical, legal and social implications/倫理的・法的・社会的な課題)やRRI(Responsible Research Innovation/責任ある研究・イノベーション)、あるいはマルチスピーシーズ関連でいうと環境人類学のアナ・チンの議論に代表されるように、社会の成立においては非人間の参与が前提になってくるので、向こう側から見ないとこちら側の営みがよく見えないという話がある。システミックデザインのように、問題と解決というのが常にセットで出しやすい製品とかサービス開発ということでなく、もっとそれを取り巻く大きな「系」自体に問題があるんじゃないかと。
水野 そうですね。ユク・ホイのテクノダイバーシティと、プルリバーサルデザイン(Designs for the Pluriverse)は、基本的には同じ方向を向いてると思うんです。ただ、エスコバルはやはり人類学的な視点をかなり強調するので、地域に根ざした、異なる世界観を有する者から立ち表れてくる、新しい生活文化実践といったものに興味があるんでしょうね。