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テクノロジーをデザインするひとのための技術ぎじゅつ哲学てつがく入門にゅうもんだい5かい】:テクノロジーへの自由じゆう応答おうとう

最新さいしんのテクノロジーをビジネスやクリエイティブに活用かつようするじょうで「技術ぎじゅつ哲学てつがく」は必須ひっす教養きょうようだ。連載れんさいだい5かいでは、「テクノロジー」と「技術ぎじゅつ」の本質ほんしつてきちがいにせまることで、わたしたちのなかにテクノロジーをもど方途ほうと手繰たぐせよう。
テクノロジーをデザインする人のための技術哲学入門【第5回】:テクノロジーへの自由と応答
VI73777/GETTY IMAGES, WIRED JAPAN

この連載れんさいも5かいとなった。つづけてんでくださっている読者どくしゃは、徐々じょじょわざあきらてき思考しこうしたしんでいっていただけているのではないだろうか。さて、ここまでのながれを簡単かんたんかえっておこう。

まず、最初さいしょの2かいで、技術ぎじゅつ哲学てつがく概論がいろんとして、現在げんざい技術ぎじゅつ哲学てつがく潮流ちょうりゅうテクノロジー楽観らっかんろん悲観ひかんろん、ポスト現象げんしょうがくからサイボーグろん、テクノダイバーシティなどのキーワードを紐解ひもときながら概説がいせつした。3かいからは個別こべつテーマで、「テクノロジーはどこからるのか」と「テクノロジーのジレンマ」をあつかった。わたしたちはテクノロジーを、たんあたえられるものとせず、テクノロジーにいかに意味いみづけや価値かちづけをし、応答おうとうしていくかが重要じゅうようであることを、「テクノロジーに応答おうとうせよ」というメッセージとともにつたえた。

応答おうとうのムーブメント、“as a Tool”

しかし、その「応答おうとう」はどのように可能かのうだろうか?

その応答おうとう可能かのうせい実現じつげんするわかりやすい方法ほうほうのひとつは、ユーザーかメーカー自身じしんが、テクノロジーのブラックボックスをけることだろう。米国べいこくでは、1970年代ねんだいには、それまで大学だいがくだい企業きぎょうしか利用りようできなかったコンピューターを自作じさく可能かのうにする環境かんきょう提供ていきょうしたHomebrew Computer Clubのようなコミュニティがまれ、オープンソースのソフトやハードの文化ぶんかはぐくまれた。インターネットの黎明れいめいにはハッカー文化ぶんか興隆こうりゅうし、DIYの精神せいしんはデジタルなものにも浸透しんとうしていった。そして近年きんねんは、3Dプリンターの性能せいのうがり、Raspberry Piなどのキットも普及ふきゅうし、メイカームーブメントもきた。

ブロックチェーンも、よくられたようにハッカーたちがあつまる暗号あんごう技術ぎじゅつのオタクのコミュニティからまれたもので、なに大学だいがくのラボでまれたものではない。また、イーサリアムをはじめその運営うんえい方法ほうほうもDAOてき応答おうとう可能かのうせい前提ぜんていしたものとなっている。OpenAIもすくなくとも理念りねんとしては、いちおうそういうものを出発しゅっぱつてんにしている。メタバースもオタクたちのカルチャーをひとつの起点きてんとした。また、そうしたひとたちは、テクノロジーをきる意義いぎ見出みいだしているひとたちだ。

また、直近ちょっきんでは「修理しゅうりする権利けんり」の運動うんどうもおき、ついにAppleに、ユーザーが自分じぶんたちでiPhoneを修理しゅうりする権利けんりみとめさせた。欧州おうしゅうでは、テクノロジーへの権利けんりもとめる運動うんどうは、プライバシーや自由じゆうという基本きほんてき人権じんけんともむすびつく傾向けいこうがあり、個人こじんのデータ保護ほごとプライバシーにかんするEU独自どくじ規制きせいであるGDPRにもつながった。

ブラックボックスをけようとするムーブメントの急先鋒きゅうせんぽうは、いつでもこうしたギークやアクティビストたちだ。いつだって、資本しほん主義しゅぎてきなものとなにかがむすびつき巨大きょだい加速かそくするながれのなかで人々ひとびと自由じゆううばわれていくことにこうする運動うんどうかえされてきた。

こうしたテーマは、『WIRED』読者どくしゃには馴染なじみのあるテーマだ。まさに “as a Tool1” は、こうしたことを喚起かんきさせる言葉ことばだろう。こうしたテーマは、『WIRED』のルーツともいえる1960〜70年代ねんだいべい雑誌ざっし『ホール・アース・カタログ』にもつうじる。

これで十分じゅうぶんだろうか。もう時代じだいわったのだろうか? いやしかし、メイカームーブメントもブームはったといわれている。また、OpenAIも当初とうしょ理念りねんをよそにマイクロソフトにまれたのではないか?

テクノロジーへの応答おうとうこばむもの

結論けつろんからうと、やはりことはそんなにあまくはない。テクノロジーへの応答おうとうこば障壁しょうへきは、いまでもおお存在そんざいする。こうした問題もんだいを、技術ぎじゅつ哲学てつがくではどうかんがえてきたのだろうか。なんかいかにけてこうしたテーマをげていくことにしよう。

今回こんかいまず、そもそも「テクノロジー」の語源ごげんである「テクネー」にのろいがかけられていることをあきらかにする。プラトンがそれを天上てんじょうかいのイデアとむすびつけ、わたしたちの生活せいかつからはとおところいてしまったのだ。

また、そののろいをくヒントも用意よういしている。そのヒントは、「テクノロジー」と言葉ことば技術ぎじゅつ」とその行為こういにある。

「テクノロジー」と「技術ぎじゅつ」は、英語えいご日本語にほんごかというちがいにぎないようだが、意味いみことなる。たしかに、“technology”は、モノとしての「テクノロジー」以外いがいに「技術ぎじゅつ」ともやくされるが、「技術ぎじゅつ」は、“technique”や“skill”という行為こうい意味いみでももちいられる。そして、テクノロジーに応答おうとうするためは、この行為こういとしての技術ぎじゅつ必要ひつようなのだ。

プラトンのまじない、ふたた

まずはふたたびプラトンを召喚しょうかんしよう。さん連続れんぞくのプラトン登場とうじょうである。じつは、テクノロジーには、前回ぜんかいいたのとは別種べっしゅの「プラトンののろい」がかかっている。またもプラトン。よくられたように英国えいこく哲学てつがくしゃアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドはその著作ちょさくで「ヨーロッパの哲学てつがくてき伝統でんとうはプラトンへの一連いちれん脚注きゃくちゅうからっている」としるしているが、テクノロジーの哲学てつがくかたじょうでも、なかなかプラトンからけられない。

プラトンによれば、この世界せかいは、理想りそうてきかたち概念がいねん原型げんけいである「イデア」をもとにかみ々が創造そうぞうしたもので、あらゆるものの背後はいごにはイデアがあり、現実げんじつはそのかげぎない。(テクノロジーの語源ごげんとなった)テクネー2も、イデアのための知恵ちえで、建築けんちくであれば、真理しんりもとづいてまさしくいえ製作せいさくするための知恵ちえこそがテクネーで、らしのなかで必要ひつようなものを製作せいさくする知恵ちえとしてのテクネーは、テクネーではないとした3

この形而上学けいじじょうがくてきなテクネーは、現代げんだいのテクノロジーと無関係むかんけいではない。むしろ、だいたいの辞書じしょけば、(国内外こくないがいわず)テクノロジーの定義ていぎは「科学かがく応用おうようしたもの」とかれているが、これこそまさに「プラトンてき定義ていぎ」なのだ。

このテクノロジーの科学かがく応用おうようせつ度々どど批判ひはんされてきた。その理由りゆうは、現象げんしょう学者がくしゃで『技術ぎじゅつ正体しょうたい』をあらわした木田きだはじめわせれば、「技術ぎじゅつというのは理性りせいよりももっとふる起源きげん4」からだ。それゆえ、テクノロジーは理性りせいによってコントロールできず、問題もんだいしょうじる場合ばあいがあるとかれはいう。つまり、科学かがくえたものというわけだ。だからプラトンてき定義ていぎ鵜呑うのみにし、たとえば科学かがくしゃのみにテクノロジーへの特権とっけんてき地位ちいあたえてしまうことは危険きけんだということになる。

また、プラトニズムが価値かち転倒てんとうこすと、トランスヒューマニズムを母体ぼたいとなる。トランスヒューマニズムは、プラトニズムと一見いっけんきわめてよくている。両者りょうしゃともに、監獄かんごくとしての身体しんたいから解放かいほうされ、科学かがくてき知識ちしきをもとに物質ぶっしつ世界せかい制限せいげん超越ちょうえつした理想りそうてき世界せかい目指めざすべきだとかんがえる5。しかし、人間にんげんが、完全かんぜんなトランスヒューマンとなり、テクノロジーそのものになってしまったなら、そもそも人間にんげんとテクノロジーとの関係かんけいには応答おうとうすら存在そんざいしなくなる6

アリストテレスの「技術ぎじゅつろん

このプラトンの思想しそう批判ひはんてき継承けいしょうしたアリストテレスは、テクネーをより実践じっせんてきなものとしてとらえ、かの有名ゆうめいな『ニコマコス倫理りんりがく』でかれの「テクネーろん」を展開てんかいしている。そこでは、「ポイエーシス」という概念がいねん重要じゅうようになる。植物しょくぶつたねは、適度てきど環境かんきょうにおかれるとはなかせるが、そうした自然しぜん内在ないざいする創造そうぞうてきちからやプロセスがポイエーシスだ。そして、アリストテレスにとって、テクネーとは、人間にんげんが、ポイエーシスを意図いとてきにまた目的もくてきをもっておこなうための能力のうりょく知性ちせい意味いみする。

プラトンは、創造そうぞうたね天上てんじょうかいのイデアに見出みいだしたが、アリストテレスは、それを地上ちじょう生命せいめい見出みいだした。プラトンは現代げんだいでいうところの「テクノロジー」をかたり、アリストテレスは「技術ぎじゅつ」をおもかたっているのだ。

しかし、アリストテレスは、かれ提起ていきした3つの知恵ちえ、エピステーメ、フロネーシス、テクネーのうち、もっとも「下位かい」にテクネーを位置いちづけ、らしや生活せいかつのなかの知恵ちえとしてのテクネーを理論りろんてきかたりつつも重要じゅうようはしなかった。アリストテレスにとって重要じゅうようなことは、哲学てつがくてきな「観想かんそう(テオリア)」にあった。技術ぎじゅつ奴隷どれいまかせ、みずからは思索しさくにふけったのだ。

けれども、やはりテクノロジーも技術ぎじゅつもその実践じっせんにおいて価値かち発揮はっきするものであるならば、それこそが重要じゅうようであるはずだ。現代げんだいにおいてもその視点してんがないなら、たんなる理論りろんぎないと一蹴いっしゅうされかねないだろう。

技術ぎじゅつ」の行為こういろんじた日本にっぽん技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃたち

きるための知恵ちえとしての技術ぎじゅつ7重視じゅうしろんじたのが、時代じだいおおきくわるが、西田にしだ幾多郎きたろうらの日本にっぽん技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃたちだ。たとえば、それぞれ戦前せんぜん戦後せんごに『技術ぎじゅつ哲學てつがく』『技術ぎじゅつ哲学てつがく』をあらわした三木みききよし三枝さえぐさ博音ひろとらの発言はつげんに、象徴しょうちょうてきにそうしたかんがえが見出みいだされる8が、あの京都きょうと学派がくはおこした西田にしだ幾多郎きたろうは、さらに「テクノロジーへの応答おうとう」についても示唆しさてき概念がいねん提唱ていしょうしている。

だい3かいでも紹介しょうかいした「つくられたものからつくるものへ」だ。この「つくられたものからつくるものへ」というのはどういう意味いみだろうか。これは、テクノロジーは、ただあたえられるもの、たんに「つくられたもの」ではなく、その使用しよう経験けいけんとおして意味いみわり、さらには、あらたなテクノロジーを創造そうぞうてき行為こういへとつながるという意味いみだ。

また、西田にしだによれば、「技術ぎじゅつてき世界せかいるということは、自己じこ世界せかいなかはいって世界せかいること9」だ。西田にしだは、職人しょくにんてきなありかたたか評価ひょうかしたひとでもあった。また、「「そとから」の見方みかたかぎり、西田にしだ技術ぎじゅつ創造そうぞうせい不可視ふかしにとどまらざるをえないのである」と現代げんだい技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃ村田むらた純一じゅんいちっている10が、反対はんたいえば、「うちから」つまり没入ぼつにゅうによって、技術ぎじゅつ創造そうぞうせいえてくる。

これをすこんで、没入ぼつにゅうによってこそ技術ぎじゅつ創造そうぞうてき行為こういしょうじ、テクノロジーへの応答おうとう可能かのうになる、そう解釈かいしゃくすることもできるだろう。そして、まさにそれは、テクノロジーに没入ぼつにゅうして技術ぎじゅつ発揮はっきし、あれやこれやを創造そうぞうしている、ギークの姿すがたそのものだろう。 西田にしだが、現代げんだいのギークをどう評価ひょうかするのかはわからないが、すくなくともそれはけっして観念かんねんてきでもなく観想かんそうてきなものにもまらない。

世界せかいへの没入ぼつにゅう」があたらしい価値かち創造そうぞうする

こうしてかんがえると、「技術ぎじゅつ」から「テクノロジー」をとらなおすことで、イデアてきなものからテクノロジーを解放かいほうし、まさにわたしたちのなかにテクノロジーをもどすためのヒントがえてくる。それは「世界せかいへの没入ぼつにゅう」だ。それによってテクノロジーへの応答おうとう可能かのうせいかぎひらき、プラトンののろいも解除かいじょすることが可能かのうになる。そこから、テクノロジーへの自由じゆう物語ものがたりはじまるのだ。

技術ぎじゅつ哲学てつがくのポスト現象げんしょうがくでは、テクノロジーと自由じゆう重要じゅうようテーマのひとつだ11。また、サイボーグろん観点かんてんからは、サイボーグ身体しんたい一部いちぶであるテクノロジーの自由じゆう問題もんだいとなる。奴隷どれい解放かいほう運動うんどうやフェミニズム運動うんどうは、奴隷どれい女性じょせい身体しんたい自由じゆうのための解放かいほう運動うんどうだが、いま、わたしたちはサイボーグとして、その身体しんたいであるテクノロジーの自由じゆうかんがえるべきときとえるだろう。

そのためには、テクノロジーをとおところいておくのではなく、それに没入ぼつにゅうし、その創造そうぞうそのものにかかわることが重要じゅうようなのだ。

しかし、応答おうとう可能かのうせいうば障壁しょうへきがまだいくつもある。次回じかいは、ハイデガーをとりあげ、かれ技術ぎじゅつ哲学てつがくにおけるさい重要じゅうよう概念がいねん「Ge-stell(ゲシュテル、そうかり体制たいせいしゅう-だて)」から、経済けいざい合理ごうりせいがいかにテクノロジーへの応答おうとう可能かのうせい制限せいげんしているのかをげる。

  1. 初回しょかいにおつたえしたように、現代げんだい技術ぎじゅつ哲学てつがくのテーゼは、「テクノロジーはただの道具どうぐ(mere tool)ではなく、人間にんげん社会しゃかいのありようを形成けいせいする(shape)もの」というものだ。ならば、“as a Tool” のマニフェストをテクノロジーにもちいることは、このテーゼにはんするのだろうか? すくなくとも、テクノロジーを道具どうぐぎないとするかんがえは危険きけんだ。けれども、わたしたちの身体しんたい一部いちぶとなるテクノロジーに、「道具どうぐ」のように自由自在じゆうじざい使つかいこなせることを要求ようきゅうするのもまた当然とうぜんのことだろう。このマニフェストは、技術ぎじゅつ哲学てつがくのテーゼの更新こうしん要求ようきゅうするのだろうか。このテーマはってあつかおう。
  2. テクネーは、なにかを知恵ちえという意味いみのギリシャ。テクノロジー(technology)は、 “techne” + “logos”。
  3. 科学かがく史家しか村上むらかみ陽一郎よういちろうによれば、そうした「経験けいけんなかかさねられるなかでられる技法ぎほう」は、テクネーの否定ひていがたである「トリベー」とされたという。(『技術ぎじゅつとはなにか』(村上むらかみ陽一郎よういちろう、NHKブックス、p74))
  4. 技術ぎじゅつ正体しょうたい』(木田きだはじめ、デコ、p4)
  5. ただし、プラトニズムと、トランスヒューマニズムのあいだには、いくつかのおおきなちがいがある。たとえば、プラトンは、二元論にげんろんてき立場たちばから身体しんたい監獄かんごくとしそれをだっしたたましい価値かち見出みいだす。一方いっぽう、トランスヒューマニズムも、その身体しんたいをデジタルすることでたましい解放かいほうしようとしているが、それはデジタル身体しんたいというより厄介やっかい監獄かんごくへの幽閉ゆうへいともいえるからだ。そうであるなら、プラトンてき理想りそうはそこでは実現じつげんしない。この機械きかい意識いしきのテーマはってこの連載れんさいでもあつかう。
  6. 一方いっぽうで、「サイボーグ」はそうではない。攻殻機動隊こうかくきどうたい草薙くさなぎ素子もとこがそうであるように、たとえほとんど機械きかいしても、生命せいめいとしてののう身体しんたい一部いちぶでものこしているならば、そこには生命せいめいとテクノロジーのあいだ応答おうとう関係かんけい余地よちのこされる。その生命せいめい機能きのう保持ほじするがゆえに「ネットは広大こうだいだわ」といった「クオリア」をかんじる、とすることも可能かのうだろう。
  7. 技術ぎじゅつ史家しか飯田いいだ賢一けんいちによれば、かれらの時代じだいはまだ“technology”は技術ぎじゅつがくなどとやくされていた(『一語いちご辞典じてん 技術ぎじゅつ』(飯田いいだ賢一けんいち三省堂さんせいどう、p22)。かれらはおもに“technique”としての技術ぎじゅつろんじていたとかんがえられる。
  8. 三木みききよしは、「人間にんげんのあらゆる行為こうい技術ぎじゅつてき」であること、また三枝さえぐさ博音ひろとは「人間にんげん生活せいかつのあるところにはかなら技術ぎじゅつがある」ことを、それぞれ著作ちょさくのなかでかえ強調きょうちょうしている。
  9. 西田にしだ幾多郎きたろう全集ぜんしゅうだいきゅうかん岩波書店いわなみしょてん
  10. 技術ぎじゅつ創造そうぞうせい西田にしだ幾多郎きたろう技術ぎじゅつ哲学てつがく村田むらた純一じゅんいち
  11. だい2かい紹介しょうかいしたポスト現象げんしょうがく代表だいひょうてき論者ろんしゃであるフェルベークは、フーコーの「関係かんけいてき自由じゆう」をもとにろんじている。関係かんけいてき自由じゆうとは、自由じゆう絶対ぜったいてきなものではなく、つね社会しゃかいてき文化ぶんかてき歴史れきしてき文脈ぶんみゃくにおける権力けんりょく関係かんけいのなかで形成けいせいされるものというかんがかた

連載れんさい「テクノロジーをデザインするひとのための技術ぎじゅつ哲学てつがく入門にゅうもん」のバックナンバーはこちら

七沢ななさわ智樹ともき |TOMOKI NANASAWA
Technel合同ごうどう会社かいしゃ代表だいひょう東京大学とうきょうだいがく情報じょうほうがくたまき客員きゃくいん研究けんきゅういん・SPT2023(国際こくさい技術ぎじゅつ哲学てつがくかい2023)運営うんえい委員いいん企業きぎょうでの技術ぎじゅつ開発かいはつ経験けいけんをいかし技術ぎじゅつ哲学てつがく研究けんきゅうしている。日本にっぽん技術ぎじゅつ哲学てつがくしゃつどう「わざあきらけん」や、亜熱帯あねったい原生げんせいジャングルで厳選げんせんされたツールとともにサバイバルてき滞在たいざい実践じっせんする「Iriomote JUNGLE CLUB」を運営うんえいきょう訳書やくしょに『技術ぎじゅつ哲学てつがく講義こうぎ』(マーク・クーケルバーク)。


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