プラトンは、創造の種を天上界のイデアに見出したが、アリストテレスは、それを地上の生命に見出した。プラトンは現代でいうところの「テクノロジー」を語り、アリストテレスは「技術」を主に語っているのだ。
しかし、アリストテレスは、彼が提起した3つの知恵、エピステーメ、フロネーシス、テクネーのうち、最も「下位」にテクネーを位置づけ、暮らしや生活のなかの知恵としてのテクネーを理論的に語りつつも重要視はしなかった。アリストテレスにとって重要なことは、哲学的な「観想(テオリア)」にあった。技術は奴隷に任せ、自らは思索にふけったのだ。
けれども、やはりテクノロジーも技術もその実践において価値を発揮するものであるならば、それこそが重要であるはずだ。現代においてもその視点がないなら、単なる理論に過ぎないと一蹴されかねないだろう。
「技術」の行為を論じた日本の技術哲学者たち
生きるための知恵としての技術7を重視し論じたのが、時代は大きく変わるが、西田幾多郎らの日本の技術哲学者たちだ。例えば、それぞれ戦前、戦後に『技術哲學』『技術の哲学』を著した三木清と三枝博音らの発言に、象徴的にそうした考えが見出される8が、あの京都学派を興した西田幾多郎は、さらに「テクノロジーへの応答」についても示唆的な概念を提唱している。
第3回でも紹介した「作られたものから作るものへ」だ。この「作られたものから作るものへ」というのはどういう意味だろうか。これは、テクノロジーは、ただ与えられるもの、単に「作られたもの」ではなく、その使用の経験を通して意味が変わり、さらには、新たなテクノロジーを生み出す創造的行為へとつながるという意味だ。
また、西田によれば、「技術的に世界を見るということは、自己が世界の中に入って世界を見ること9」だ。西田は、職人的なあり方を高く評価した人でもあった。また、「「そとから」の見方に立つ限り、西田の言う技術の創造性は不可視にとどまらざるをえないのである」と現代の技術哲学者の村田純一は言っている10が、反対に言えば、「うちから」つまり没入によって、技術の創造性は見えてくる。
これを少し踏み込んで、没入によってこそ技術の創造的行為は生じ、テクノロジーへの応答は可能になる、そう解釈することもできるだろう。そして、まさにそれは、テクノロジーに没入して技術を発揮し、あれやこれやを創造している、ギークの姿そのものだろう。 西田が、現代のギークをどう評価するのかはわからないが、少なくともそれは決して観念的でもなく観想的なものにも止まらない。
「世界への没入」が新しい価値を創造する
こうして考えると、「技術」から「テクノロジー」を捉え直すことで、イデア的なものからテクノロジーを解放し、まさにわたしたちの手の中にテクノロジーを取り戻すためのヒントが見えてくる。それは「世界への没入」だ。それによってテクノロジーへの応答可能性の鍵は開き、プラトンの呪いも解除することが可能になる。そこから、テクノロジーへの自由の物語は始まるのだ。
技術哲学のポスト現象学では、テクノロジーと自由は重要テーマの一つだ11。また、サイボーグ論の観点からは、サイボーグ身体の一部であるテクノロジーの自由が問題となる。奴隷解放運動やフェミニズム運動は、奴隷や女性の身体の自由のための解放運動だが、いま、わたしたちはサイボーグとして、その身体であるテクノロジーの自由を考えるべきときと言えるだろう。