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小5がノートに手書きでプログラミング、35年後に実行してみたら
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ネットの話題わだい

しょう5がノートに手書てがきでプログラミング、35ねん実行じっこうしてみたら

「パソコン購入こうにゅう反対はんたいされ」たせなかったゆめがAIでうごしました

35年前に、当時小学校5年生だった阪さんがノートに手書きしたコード
35ねんまえに、当時とうじ小学校しょうがっこう5年生ねんせいだったばんさんがノートに手書てがきしたコード 出典しゅってんばんさん(@kazuyuki)のX

目次

プログラミングをやってみたいと夢見ゆめみていた小学校しょうがっこう5年生ねんせいが、手書てがきでノートにいていたコードが、35ねんときて、生成せいせいAIによってうごしたーー。そんなゆめのある投稿とうこう話題わだいになっています。投稿とうこうしゃはなしきました。

なつかしいビープおん

話題わだいになっているのは、Kazuyukiさん(@kazuyuki)のXの投稿とうこうです。


《5年生ねんせいときにパソコン購入こうにゅう反対はんたいされ、それでもプログラミングがしたくてこっそりったBASIC言語げんご入門にゅうもんしょながらノートにコードをいてました。奇跡きせきてきにそれがのこっていたので写真しゃしんりClaude3でJavascriptにして実行じっこう。35ねんとき生成せいせいAIによってうごきがれたことに感動かんどうしています。》

投稿とうこうには、すこばんだ方眼ほうがんえがかれた手書てがきのコードと、AIによって生成せいせいされたコードの画像がぞう添付てんぷされています。

そして動画どうがでは、なつかしいむかしのコンピューターのビープおんとともに、四角形しかっけいいろとりどりに変化へんかしながら移動いどうしていく様子ようすうつっています。

この投稿とうこうには「小学生しょうがくせいとき、レポート用紙ようしでまったくおなじことをしてました!」「BASICほんって勉強べんきょうしてノートにいてのうない実行じっこうしてました」など、おな経験けいけんをしていたひとからの共感きょうかん続々ぞくぞくあつまり、拡散かくさんされました。

実家じっかつかった3まい紙切かみき

投稿とうこうをした、エンジニアのばん(さか)和幸かずゆきさん(47さい)にはなしきました。

しょう5のとき自分じぶんいたコードをつけたのは、5ねんまえのこと。

実家じっか帰省きせいしたさいははばんさんの小学生しょうがくせい時代じだいのノートなどをしまっただんボールばこるようにうながしました。「本当ほんとうてちゃうよ?」

ててもいってったのに…」とぼやきつつ、ばんさんがふとノートのたばをめくると、3まい紙切かみきれがてきました。

そこには、なつかしい手書てがきの「コード」がかれていました。しょう5のときから、夢中むちゅうになってんだプログラミングの一部いちぶでした。

「ゲームって、自分じぶんでもつくれるんだ」

ばんさんがプログラミングをはじめたきっかけは、しょう2で発売はつばいされたファミリーコンピューター(ファミコン)でした。

しょう5のころは「ドラゴンクエストⅠ」ブーム。クラスでは、友達ともだちがノートにドラゴンクエストのすごろくをいて、鉛筆えんぴつをサイコロわりに、みんなであそびました。

それはばんさんに、「ゲームって、自分じぶんでもつくれるんだ」と衝撃しょうげきあたえました。

任天堂が1983年7月、ファミリーコンピューターを発売して以来、家庭用テレビゲームは爆発的に流行した=1986年1月ごろ撮影
任天堂にんてんどうが1983ねん7がつ、ファミリーコンピューターを発売はつばいして以来いらい家庭かていようテレビゲームは爆発ばくはつてき流行りゅうこうした=1986ねん1がつごろ撮影さつえい 出典しゅってん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ

「コンピューターを使つかえば、ゲームがつくれるらしい」とだれかからいたばんさんは、「どうせつくるなら、コンピューターで、自分じぶんでもゲームをつくってみたい」とおもうようになりました。

けれど、「コンピューターがほしい」と相談そうだんしても、ちちにはコンピューターはおもちゃの延長線えんちょうせんうつっており、「そんなことしても仕方しかたない。いらない」と一蹴いっしゅうされます。

まわりにコンピューターをっているひとはおらず、「田舎いなか」だったため、ちかくに最新さいしんのパソコンをあつか電気でんきもありませんでした。

プログラムはあるのに…

それでも、あきらめなかったばんさん。「やっぱりゲームをつくりたい」

本屋ほんや情報じょうほうさがしていると、あるパソコン雑誌ざっしつけました。そこには読者どくしゃ投稿とうこうしたゲームのプログラムが文字もじ掲載けいさいされるページがあり、そのプログラムさえめば、自分じぶんのコンピューターでそのゲームができる、というものでした。

「このコードがかれば、ゲームがつくれるんだ!」

ばんさんはははたのみ、ちち内緒ないしょでプログラミング言語げんご「BASIC」の入門にゅうもんしょってもらいました。そのから、学校がっこうからかえると、いえでプログラミングのルールや仕組しくみをおぼえ、ノートにコードをみました。

当時とうじかえると「それしかしてなかった」というぐらい、「プログラミング」に夢中むちゅうになったばんさん。一方いっぽうで、どこかさびしい気持きもちもありました。

プログラムはあるのに、実際じっさいうごかすことができない…。

「コンピューターもないのに、ノートでこんなことやってるの、ぼくだけだろうな」

あのころずかしくて、友達ともだちにも、だれにもえませんでした。

1983年、東京・池袋で開かれた「朝日パーソナルコンピューター・ショー83’」の様子。会場は初日からにぎわった
1983ねん東京とうきょう池袋いけぶくろひらかれた「朝日あさひパーソナルコンピューター・ショー83’」の様子ようす会場かいじょう初日しょにちからにぎわった 出典しゅってん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ

「これって永久えいきゅう保存ほぞんばんじゃない?」

それから35ねんって、「奇跡きせきてき」につかった、あの手書てがきのコード。

「これって、永久えいきゅう保存ほぞんばんじゃない?」。あわてて紙切かみきれを写真しゃしんり、実物じつぶつも「これはのこしておいて」とははたくしました。

そのコードをただけで、あのころのように、どんなうごきをするのか「のうない再生さいせい」できました。しかし、現代げんだいではそのプログラムを実行じっこうする環境かんきょうととのえるのがむずかしく、そのときはそれだけでわってしまいました。

ち、今月こんげつばんさんが仕事しごとでAnthropicしゃ生成せいせいAIモデル「Claude3」の性能せいのう評価ひょうかをしていたとき、ふと、あのときった手書てがきコードをおもしました。

いまならワンチャン、うごかせるかも」

たとえるなら「イチゴのかおり」

手書てがきコードの写真しゃしんをClaude3にませ、ブラウザでもうごかせるようにプログラミング言語げんご「JavaScript」のコードに生成せいせいしてもらい、実行じっこうしてみました。

沈黙ちんもく漆黒しっこく画面がめん、「スタートボタン」をします。

1かいは、あっというわってしまいました。「現代げんだいのパソコンの速度そくどだとはやぎる、当時とうじのパソコンはもっとおそかった」。ばんさんはAIに「もうすこおそく」と修正しゅうせい依頼いらいしました。

そして2かい

ピッとおとり、画面がめんじょうあざやかな「水色みずいろ」の「四角よつかど」があらわれました。

手書てがきのコードにかれた、当時とうじではおなじみの「ビープおん」を命令めいれい。「ちゃんとAIが再現さいげんしてくれたんだ」とおどろきました。


四角よつかどは、ピッピッというおとわせて「あか」「あお」「あか」「あお」といろえながら、みぎ移動いどうしていきます。

いろ変化へんかは、しょう5のとき仕込しこんだランダムにいろえる命令めいれい。サイコロをるように、不規則ふきそくいろわっていきます。

つぎは「黄色おうしょく」。そして「あお」。

灰色はいいろ」「灰色はいいろ」「深緑しんりょく」「あお」「あお
黄色おうしょく」「ピンク」「黄色おうしょく
しろ」「黄色おうしょく」「ピンク」「灰色はいいろ

最後さいごあざやかな「水色みずいろ」。

20びょうほどでわりました。

当時とうじのコンピューターってこんなだったよな」。なつかしさがこみげました。

コンピューターをっていなかったあのころうごかしたくてしかたなかったプログラムが、いま、おとらしてうごいている。

ずっと「のうない再生さいせい」してきたけれど、実際じっさいおとってうごいているものをるのは「まったくべつ体験たいけん」だったそうです。

たとえるなら、想像そうぞうしてきた『イチゴ』の実物じつぶつたら、かおりがした、そういうかんじです」

「AIってすごい」

じつしょう5のときいたコードをよくると、うごかしたかったものは「四角よつかど」ではなく、「ハート」でした。でも、それ以外いがいは、AIがほぼ完璧かんぺきによみがえらせてくれました。

おどろいたことにAIは、手書てがきのコードではらす「ミス」があったところ、それをきちんと判断はんだんして「無視むし」し、その下段げだんなおしていたただしいコードのみを選択せんたくして生成せいせいしてくれていました。「AIってすごい」

ばんさんの投稿とうこうはまたたく拡散かくさんされ、「まったくおなじことをしていた」というひと続々ぞくぞくとコメントをせました。

「パソコンもないのに、ノートにコードをいているのなんて、自分じぶんだけだろうな」と、さびしい気持きもちになっていたしょう5の自分じぶん。「こんなにたくさんのひとおなじことをしてるんだとったら、きっと、よろこぶだろうな」

あいだちがってないよ」

大人おとなになったばんさんは、エンジニアになりました。会社かいしゃで9年間ねんかん、ソフトウェアの開発かいはつたずさわったのち独立どくりつして起業きぎょう。「あのころも、いまもずっと、コンピューターをしているんです」

2020年度ねんどから小学校しょうがっこうでもプログラミング教育きょういく導入どうにゅうされ、いまではおおくのどもたちがプログラミングをまなぶことができるようになりました。

いまは、ブロックをならえるように極力きょくりょくエラーをこさずにプログラミングをまなべます。

どもたちけのワークショップもがけるばんさんは、きとプログラミングをするどもたちに、当時とうじ自分じぶんかさわせます。


むかしは、一文字ひともじでもあいだちがえたらプログラムがうごかなくなり、「なんでうごかないんだろう」とかんがえ、なおすという「いまよりも、ずっとほねれる」ものだったプログラミング。

それでもばんさんは魅了みりょうされ、「コンピューターもないのに、一生懸命いっしょうけんめいになって…。不思議ふしぎですよね」。

おもえば、コードを手書てがきしていた時間じかんは、いま人生じんせいにつながる「くち」でした。

もし、しょう5の自分じぶんこえをかけられるなら? ばんさんはこうしました。

大丈夫だいじょうぶ間違まちがってないよ」
「そのままつづけていいよ」

「もうちょっと大人おとなになれば、おなじようにがんばっているお友達ともだちがいっぱいできるから」

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