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「生きることが、後ろめたいと思わない社会を作りたい」 筋ジストロフィーの女性が自立生活をつかみ取るまでの壁
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介助かいじょけてきることにうしろめたさをかんじさせない社会しゃかいを」 自立じりつ生活せいかつをつかんだきんジストロフィーの女性じょせいいてきた疑問ぎもん

おも障害しょうがいがあると一人暮ひとりぐらしをするのがまだむずかしい日本にっぽん弁護士べんごしちからりて、地域ちいきでの自立じりつ生活せいかつった女性じょせいは、おな苦労くろうあじわわせないために、自立じりつ支援しえん団体だんたいつくって活動かつどうしています。これまでのあゆみをきました。

みなれたまちなかで、自立じりつして生活せいかつする。

そんなたりまえのことが、おも障害しょうがいがあるとなかなか実現じつげんできないのがいま日本にっぽん実情じつじょうだ。

でもそのあつかべとっくずし、からつづ仲間なかまにもみちひらいているひとたちがいる。

徳島とくしまけんはじめて24あいだ介護かいごみとめさせ、いまでは障害しょうがいがあるひと自立じりつ支援しえんむ「徳島とくしま自立じりつ生活せいかつセンター」代表だいひょう内田うちだ由佳ゆかさん(40)もその一人ひとりだ。

BuzzFeed Japan Medicalは内田うちださんにこれまでのみちのりをいた。

うごかなくなるからだ自分じぶんだけらされない病名びょうめい

ものごころついたときから身体しんたい障害しょうがい幼稚園ようちえんかよっていた内田うちださんは、自分じぶんがどういう病気びょうきなのかだれからも説明せつめいけたことがなかった。

でも、あるきにくく、ころびやすい。「自分じぶんまわりのひとちがう」と意識いしきはじめたころ、「からだなおすため」とわれ、家族かぞくからいちにんはな小学しょうがく併設へいせつされた施設しせつ入所にゅうしょした。まだ6さいさびしい気持きもちはころした。

しかし、なおるどころかつたあるきさえままならなくなり、くるまいすを使つかはじめる。これ以上いじょうわるくなりたくなくて、廊下ろうか懸命けんめい往復おうふくしたりしてみたが、効果こうかられなかった。

自分じぶんはどうなってしまうのだろう」。8さいのある不安ふあんられてカルテをぬすた。「きんジストロフィー」という病名びょうめいかれていた。図書としょしつき、その病名びょうめい医学いがく事典じてんいてみるとこわいことばかりがならんでいた。

「20さい前後ぜんこうくなるとか、筋力きんりょくがどんどんちていくなどとかれていました。衝撃しょうげきでした」

小学校しょうがっこう高学年こうがくねんになると自力じりきがれなくなり、一人ひとりでトイレにけなくなった。

だんだんできないことがえていくのに、だれ自分じぶん病気びょうきについておしえてくれない。大学だいがく進学しんがくまった高校こうこう卒業そつぎょう直前ちょくぜんの18さいころ、「わたしすじジスなんですよね?本当ほんとうのことをおしえてください」とった。主治医しゅじいはじめてきんジストロフィーについておしえてくれた。

主治医しゅじい最後さいごまで病名びょうめいつたえるつもりはなかったようです。でもわたし自分じぶんからだことなのに、なぜだれってくれないのだろうと疑問ぎもんいていました」

きんジストロフィーは現代げんだい医学いがくではなお方法ほうほうがない。「精神せいしんてきなショックをかんがえて、本人ほんにんにはつたえないほうがいいのだ」というかんがえがまかりとおっていた時代じだい当事とうじしゃだけがカヤのそとだった。

施設しせつたい」大学だいがく進学しんがく念願ねんがん下宿げしゅく生活せいかつ

施設しせつ食事しょくじ消灯しょうとう時間じかんまっていて、どれだけねむくなくても、おなかいていなくても、集団しゅうだん生活せいかつ都合つごうわせなければいけない。トイレの時間じかんまっているから、水分すいぶんをなるべくらないようにして我慢がまんするのがたりまえだった。外出がいしゅつ滅多めったにできなかった。

施設しせつなかでずっとそだって、そと世界せかいへのあこがれがすごくつよかったので『絶対ぜったいここを生活せいかつしていく』という気持きもちがおおきくなっていきました」

施設しせつたい一心いっしん香川かがわけん大学だいがく進学しんがくし、自分じぶん生活せいかつ身近みぢか社会しゃかい福祉ふくし資格しかく目指めざすことにした。先生せんせいすすめられて教員きょういん免許めんきょ目標もくひょうができた。

下宿げしゅくさきにははは祖母そぼ交代こうたいまりみ、大学だいがくでは手探てさぐりであつめたボランティアに介助かいじょたのんだ。

障害しょうがいがあるいもいなかったので、たりばったりでかかわってくれるひとやしていきました。そと生活せいかつでどう介助かいじょけてきていくかの情報じょうほうがまったくなかったのです」

学業がくぎょう友人ゆうじんたちとの交流こうりゅうなど、施設しせつではあじわえなかった自由じゆう謳歌おうかした。

ところが、3年生ねんせいときやまい進行しんこう呼吸こきゅう機能きのう悪化あっかする。よるねむれず、にちちゅうまでひどい頭痛ずつうつづいた。

単位たんい順調じゅんちょうれていたのに、教育きょういく実習じっしゅう国家こっか試験しけん準備じゅんびがままならなくなり、社会しゃかい福祉ふくし教員きょういん免許めんきょることはあきらめざるをなかった。大学だいがくはなんとか卒業そつぎょうし、21さいとき実家じっかもどった。

きゅう目標もくひょうがなくなった喪失そうしつかんちをかけるように、病状びょうじょう進行しんこうした。指先ゆびさき以外いがいうごかなくなり、ほぼベッドにたきりとなった。はなマスクしき人工じんこう呼吸こきゅうつねにつけ、20だいなかごろには日常にちじょう生活せいかつすべてに介助かいじょ必要ひつようになった。

とし家族かぞく介助かいじょ負担ふたんなさけなく、もうわけない」

そのころ公的こうてき介護かいごは1にち5あいだ程度ていどり、のこりの時間じかん介助かいじょ近所きんじょ自営業じえいぎょうのおもちゃいとなんでいた両親りょうしんになっていた。

にちちゅう、びっちり一緒いっしょにいられるわけではないので、ガラケーでわたし連絡れんらくしたら母親ははおやみせからかえってきてわたし介助かいじょをしてくれる、という体制たいせいでした」

にちちゅう介助かいじょおもははけ、夜間やかんちちになう。体位たいい変換へんかんは1 にち15かい、たんの吸引きゅういんは1にち20かい以上いじょう夜間やかん排泄はいせつまえから水分すいぶんひかえてなるべく我慢がまんしていたが、どうにもえられなくなったらちち処理しょりしてもらうしかない。生理せいりときもそうだった。

最初さいしょちち処理しょりしてもらうことはになっていたのですが、そういう意識いしきつとつらいとづいて、そうおもわないようにしん麻痺まひさせていました」

家族かぞくによる介助かいじょ遠慮えんりょものだ。

体位たいい交換こうかんとか、みずみたいとか、うで位置いちえてほしいとか希望きぼうがあっても、『いまやすんでいるからたのまないほうがいいかな。つぎがったときについでにたのもう』と遠慮えんりょしてしまっていました」

介助かいじょたのんだとき家族かぞく同士どうしやすさからか両親りょうしんから「また?」とわれるのも、からかった。それでも介助かいじょたのとしては、グッとこらえるしかない。

それにおやも60さいぎてくると、仕事しごとをしながらの介助かいじょ生活せいかつからだこたえる。

つかれている様子ようす垣間見かいまみられることがえていきましたし、『しんどい』とか『こしいたい』『うでいたい』とらすこともありました。それでもわたし介助かいじょたのまざるをない。なさけなく、もうわけない気持きもちになっていました」

「その一方いっぽうで、『でもわたしはこういう病気びょうきまれたのだから、仕方しかたないじゃないの!』と両親りょうしんめるような気持きもちもかんでくる。そういう自分じぶんいやになって、自己じこ嫌悪けんおおちいりました」

24あいだ介護かいご申請しんせい 自治体じちたいから却下きゃっか

父母ちちははとしをとって介護かいご負担ふたんおもくなるなか、このままでは自宅じたくらせない。ヘルパーをやせないか事業じぎょうしょいてみても、「ヘルパーがりないから」とことわられた。

一時いちじ施設しせつもどることもかんがえたが、やはりあの制限せいげんあるらしにはどうしてももどりたくなかった。

施設しせつ絶対ぜったいいやだから、なにべつ方法ほうほうはないかかんがえました。障害しょうがいしゃ自立じりつ支援しえんをしている自立じりつ生活せいかつセンター(CIL)をおもしてためしてみたいとおもい、ネットで調しらはじめました」

自立じりつ生活せいかつセンター・高松たかまつ」に連絡れんらくり、家族かぞく介護かいごたよらないみち模索もさくはじめた。自分じぶんでヘルパーをやとって確保かくほする「自薦じせんヘルパー」という手段しゅだんがあることをった。長時間ちょうじかん見守みまもりを可能かのうとする「重度じゅうど訪問ほうもん介護かいご」という制度せいど使つかえる。

しかし、家族かぞく介護かいごたよらずに生活せいかつするためには、んでいる自治体じちたいに24あいだぶん公的こうてき介護かいご費用ひよう支給しきゅうしてもらう必要ひつようがある。その支給しきゅうがあってはじめて、ヘルパーを派遣はけんしてもらうことができるのだ。

しかし当時とうじ徳島とくしまけんには24あいだぶん獲得かくとくして自立じりつ生活せいかつおくっている重度じゅうど障害しょうがいしゃはいなかった。けんがいへの移住いじゅうかんがえたが、「24あいだ介護かいご空白くうはく地帯ちたいである徳島とくしまで、みちひらいて」と仲間なかまから応援おうえんされた。

まずは、自宅じたくのある徳島とくしまけん美馬みまで、自分じぶんで24あいだ介護かいご申請しんせいしてみたが、「前例ぜんれいがないので」とあっさり却下きゃっかつき60あいだしかみとめられなかった。それでは家族かぞく介護かいごからはなれることはできない。

前例ぜんれいがない徳島とくしまでは行政ぎょうせいとの交渉こうしょう難航なんこうすることがかんがえられた。全国ぜんこくで24あいだ介護かいご交渉こうしょうひろげている「介護かいご保障ほしょうかんがえる弁護士べんごし障害しょうがいしゃかい 全国ぜんこくネット(介護かいご保障ほしょうネット)」の弁護士べんごし紹介しょうかいされ、CILをつうじて全国ぜんこくからカンパをけて弁護べんごだん結成けっせいした。

介護かいご保障ほしょうネットの弁護士べんごし支援しえんけ、24あいだ介護かいごみとめられる

2012ねん結成けっせいされた介護かいご保障ほしょうネットは、全国ぜんこく交渉こうしょう実績じっせきがある弁護士べんごしが、当事とうじしゃんでいる地域ちいき弁護士べんごし行政ぎょうせいとの交渉こうしょう必要ひつようなノウハウをつたえバックアップする。そうやって弁護士べんごしそだてながら、全国ぜんこく専門せんもんによる支援しえんひろげてきた団体だんたいだ。

内田うちださんの病気びょうき生活せいかつ介護かいご状況じょうきょうをききとり、医師いし意見いけんしょつくり、家族かぞく介助かいじょだけではいのち危険きけんさえあることを証明しょうめいする書類しょるいつくっていった。

にちちゅう仕事しごとをしながら夜間やかん介護かいご担当たんとうするちちは、2〜3あいだごとに介助かいじょのためにきることになる。

つかれているからか、なかなかきてもらえないこともありました」

にちちゅう一人ひとりでいるときに、たんまってみせにいる両親りょうしんぼうとしても、携帯けいたい電話でんわむねうえからずりち、べなくなったときもあった。

「そのときおや偶然ぐうぜんかえってきてくれてつけてくれたのでたすかりました。そういういのち危機ききなんかいかありました」

いまはなマスクしき人工じんこう呼吸こきゅうきている内田うちださんだが、まんいち呼吸こきゅうこわれてしまった場合ばあい、アラームのおとこえる場所ばしょ両親りょうしんはいない。携帯けいたいすのがおくれれば、窒息ちっそくしてしまう危険きけんつねにある。

そういう問題もんだい行政ぎょうせい説明せつめいする文書ぶんしょ半年はんとしかけてつくってもらった。ふたた弁護士べんごしによって2014ねん1がつに24あいだ介護かいご申請しんせいなおし、交渉こうしょうかえすと翌年よくねんはるみとめられた(つき860あいだ)。

交渉こうしょう実績じっせきがある介護かいご保障ほしょうネットのアドバイスはとてもおおきかったですし、行政ぎょうせい弁護士べんごし証拠しょうこ書類しょるいかためて交渉こうしょうしてきたのであわててみとめたようです」

「これでみちひらけたとおもい、安心あんしんしました。交渉こうしょうまえまわりから『ひと負担ふたんをかけて自立じりつ生活せいかつなんて無理むりだ』とわれていたので、いろいろなひとがサポートしてくれたら行政ぎょうせいもわかってくれるんだ、間違まちがっていなかったんだと感動かんどうしました」

念願ねんがん一人暮ひとりぐらし 必要ひつよう介助かいじょけられる生活せいかつ

ヘルパーを派遣はけんする基盤きばんができたのちは、ハローワークに求人きゅうじんして10ヶ月かげつちかくかけて自分じぶん専用せんようのヘルパーを5にんやとっていった。一人暮ひとりぐらしをするために翌年よくねん徳島とくしまおな資料しりょう申請しんせいなおし、つき858あいだみとめられた。

2016ねん3がつ念願ねんがん一人暮ひとりぐらしのアパートにし、「やっとここまでれた」とホッとした。

実家じっかにいたときとはちがい、外出がいしゅつ自由じゆうだ。

「ごはんもののためにスーパーにくということさえ、実家じっかではできず、されたものをべるというかんじでした。いまは、スーパーできなものをえらんで、自分じぶんきなメニューをつくってもらう。家族かぞく以外いがいひとかけるのもすうねんぶりでした」

両親りょうしん介助かいじょをおねがいするのと、報酬ほうしゅう支払しはらうプロのヘルパーに指示しじするのは、気持きもちがまったちがう。

家族かぞくだとうしろめたさがさきってしまって、すこしでも負担ふたんらそうとか、大変たいへんにならないようにしようとってしまう。もちろん介助かいじょしゃさんにも気遣きづかいますが、うしろめたさはないです。必要ひつようなことを仕事しごととしてたのむだけなので、気持きもちはらくになりました」

自分じぶんきるために必要ひつよう手助てだすけをたのむのに、うしろめたさをかんじる生活せいかつ

生活せいかつのすべてでそんなおもいをしていたので、自分じぶんでも感覚かんかく麻痺まひさせていたのだとおもいます。高校こうこうぐらいまではなるべく負担ふたんをかけないように我慢がまんするのが、きていくためにらく方法ほうほうでした。でもからだはどんどん不自由ふじゆうになるので、必要ひつようなことはうようにはなったのですが、それをこころよおもわないひともいました」

いまはヘルパーとは対等たいとう関係かんけいきずけている。もちろん、ヘルパーを自分じぶんやとって研修けんしゅうなども責任せきにんっておこないま方法ほうほう大変たいへんでもある。障害しょうがいのあるすべてのひとおなじやりかたができるともおもえない。

「それでもおきゃくさんとしてサービスをけるよりも、自分じぶん運営うんえいするいま体制たいせいほうわたしにはっています。この方法ほうほうわないひとも、苦労くろうせずに介護かいごけられるようになってほしいです」

介助かいじょけてきるのにうしろめたさをかんじさせる社会しゃかいがおかしい

自立じりつ生活せいかつ実現じつげんするために苦労くろうした内田うちださんは、施設しせつ親元おやもとおなじようななやみをかかえているひと自立じりつ支援しえんをする「自立じりつ生活せいかつセンターとくしま」を2018ねん6がつつくった。

自分じぶん自立じりつするときにすごく大変たいへんだったので、のちつづひとにそういうおもいをさせたくない。いろいろな情報じょうほうつたえたり、相談そうだんにのったりしています。自立じりつ生活せいかつについての講演こうえんおこなっています」

これまで15にん自立じりつ就学しゅうがく相談そうだんにのり、3にん自立じりつ支援しえんおこなってきた。脳性のうせい麻痺まひ男性だんせい一人ひとり、グループホームから一人暮ひとりぐらしにぎつけた。

健常けんじょうしゃなら、20さいぎて親元おやもとからはなれて、自分じぶんえらんだ場所ばしょ一人暮ひとりぐらしをすることはたりまえのことだ。

「でも障害しょうがいがある自分じぶん自立じりつしようとしたときは、『自分勝手じぶんがってだ』とわれます。自分じぶんきていきたいというだけで『自分勝手じぶんがって』とわれてしまうのはどうしてなのでしょう。 そうおもわせる社会しゃかいはおかしいし、えていきたいのです」

支援しえんをした脳性のうせいまひの男性だんせい行政ぎょうせいに「なぜグループホームではダメなんですか?」とわれたこともある。

内田うちださんが相談そうだんけた当事とうじしゃなかには「あなたは社会しゃかいてき活動かつどうをしていないのに、自立じりつ生活せいかつもとめるのはどうなんだ」とわれたひともいる。

わたし記事きじんで、自立じりつ生活せいかつもとめるようになったひとなんですが、わたしのような社会しゃかいてき活動かつどうをしていないじゃないかとわれたそうです。障害しょうがいしゃは、なに特別とくべつなことをやっていないと自立じりつ生活せいかつみとめないなんておかしいです」

わたしたちにとって介助かいじょけるというのは最低限さいていげんのセーフティネットです。みなさんが電気でんきやガスや水道すいどう使つかうのとおなじインフラのようなものなのに、すごく特別とくべつかぎられたひとしか利用りようできないもののようにわれる現状げんじょうがあります」

社会しゃかいてき意義いぎのある活動かつどうをしていなかったら、「みず」がめないなんておかしい。障害しょうがいしゃ自立じりつ生活せいかつするための24あいだ介護かいご歯止はどめをかける社会しゃかいに、内田うちださんはこううったえる。

障害しょうがいしゃ介助かいじょけてきることに社会しゃかいうしろめたさをかんじさせているのは、すごく問題もんだいです。それをえていきたいとおもっています」


介護かいご保障ほしょうかんがえる弁護士べんごし障害しょうがいしゃかい 全国ぜんこくネット(介護かいご保障ほしょうネット)」は11月23にち午後ごご130ふんから、設立せつりつ10周年しゅうねんのオンラインシンポジウム開催かいさいする。

台湾たいわん韓国かんこく事例じれい紹介しょうかいされ、介護かいご保障ほしょうネットの支援しえんけた当事とうじしゃからのメッセージとして、内田うちださんも出演しゅつえんする。無料むりょう