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出雲大社のご紹介 | 出雲市

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出雲いずも大社たいしゃ

 日本にっぽん最古さいこ歴史れきししょ古事記こじき』・『日本書紀にほんしょき』によれば、だい国主こくしゅ大神おおがみ(おおくにぬしのおおかみ)のくにゆずりにさいしてつくられた壮大そうだい宮殿きゅうでん出雲いずも大社たいしゃはじまりとつたわります。
 だい国主こくしゅ大神おおがみは、「はちせんほこしん(やちほこのかみ)」「大穴おおあなしん(おおなもちのかみ)」などのおおくの別名べつめいがあり、古来こらい朝廷ちょうてい武家ぶけをはじめおおくの崇敬すうけいあつめてきました。『出雲いずもこく風土記ふどき』には、大国たいこくぬし大神だいじんのために大勢おおぜいかみ々があつまってみやすんづけ(きづ)いたとしるされており、「杵築きつき(きずき)大社たいしゃ」とばれました。
 出雲いずも大社たいしゃは、すくなくとも8世紀せいきにはおおきなしゃてられていたといわれます。平安へいあん時代じだい中頃なかごろ貴族きぞく子供こどもたちが教科書きょうかしょとしてもちいた『くちゆう(くちずさみ)』には、「くもふとし(うんた)、和二かずじ(わに)、京三きょうぞう(きょうさん)」という当時とうじ大型おおがた建造けんぞうぶつしめ記述きじゅつがあり、出雲いずも大社たいしゃもっとおおきく、いで奈良なら大仏殿だいぶつでん、3番目ばんめ京都きょうと大極殿たいきょくでんじゅんであることを意味いみします。しゃでんによれば、出雲いずも大社たいしゃ本殿ほんでんたかさは、最古さいこは32たけやく96m)あり、その16たけやく48m)になったといい、現在げんざいやく24mをはかります。『くちゆう』に登場とうじょうする平安へいあん時代じだい出雲いずも大社たいしゃは、16たけ壮大そうだい建物たてものであったといわれています。
 現在げんざい境内けいだいは、江戸えど時代じだい前期ぜんき寛文ひろふみねん(1667)の造営ぞうえい遷宮せんぐう計画けいかくされたもので、いまもそのとき建物たてものおおのこっています。現在げんざい本殿ほんでんなど瑞垣みずがきないのおしゃは、そのつぎのべとおる元年がんねん(1744)の造営ぞうえい遷宮せんぐうえられたものです。
 遷宮せんぐうは、その文化ぶんか6ねん(1809)、明治めいじ14ねん(1881)、昭和しょうわ28ねん(1953)におこなわれ、その都度つど本殿ほんでんをはじめとするしょ社殿しゃでん修理しゅうりおこなわれてきました。直近ちょっきんでは、平成へいせい20ねんから平成へいせい31ねんにかけて「平成へいせいだい遷宮せんぐう」のしゅ事業じぎょうとしておこなわれ、平成へいせい25ねん5がつ10日とおかには本殿ほんでん遷座せんざさいおこなわれました。
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国宝こくほう 出雲いずも大社たいしゃ本殿ほんでん

 出雲いずも大社たいしゃ本殿ほんでん大社たいしゃづくりばれ、伊勢神宮いせじんぐう神明しんめいづくりとともに神社じんじゃ建築けんちくだい源流げんりゅうです。切妻きりづまつまいれ(きりづまつまいり)で9ほんはしらがたはいし、中央ちゅうおうには直径ちょっけい1mをえるしんはしら(しんのみはしら)がちます。正面しょうめん背面はいめん中央ちゅうおうには棟木むなぎまでびる宇豆ばしら(うずばしら)がち、戸口とぐち中央ちゅうおうつくれないため、ひがしあいだとびら(みとびら)、かい(きざはし=階段かいだん)、かいかくれ(はしかくし=階段かいだんじょう傾斜けいしゃした屋根やね)をもうけています。
 屋根やねひのきがわ葺(ひわだぶき))、屋根やねめんひろ部分ぶぶん一般いっぱんてきながさ76cmのひのき(ひのき)のかわを12mmずつずらしてかさね、たけくぎきますが、出雲いずも大社たいしゃ本殿ほんでんながさ121cmのかわを9mmずつずらしていています。かさなる部分ぶぶんおおくなるため、ひのきがわ葺のあつさは20cmにもなります。また軒先のきさきあつ部分ぶぶんは60~90cmものあつさになっています。
 現在げんざい本殿ほんでんは、のべとおる元年がんねん(1744)の建立こんりゅうで、寛文ひろふみ造営ぞうえい規模きぼ踏襲とうしゅうし、3ねんはん歳月さいげつようして完成かんせいましした。たかさは24m、神社じんじゃ建築けんちくとしては国内こくない最大さいだいきゅうで、昭和しょうわ27ねん(1952)には国宝こくほう指定していされています。
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重文じゅうぶん 摂社せっしゃ 神魂しんこん御子みこ神社じんじゃ(かみむすびみこのかみのやしろ (筑紫つくししゃ つくしのやしろ))

 本殿ほんでん西側にしがわにあり、多紀たきうりいのち(たぎりひめのみこと)がまつられています。神話しんわでは、このかみてんあきら大神おおがみ(あまてらすおおみかみ)ともと盞嗚みこと(すさのおのみこと)がちかいをてたときにまれたといわれています。福岡ふくおかけん宗像むなかた大社たいしゃまつられているかみであることから、筑紫つくししゃともばれています。
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重文じゅうぶん 摂社せっしゃ 大神おおがみだいきさき神社じんじゃ(おおかみおおきさきのかみのやしろ(むこうしゃ みむかいのやしろ))

 本殿ほんでん東側ひがしがわにあるしゃで、大国たいこくぬし大神だいじんのおきさきである須勢うりいのち(すせりひめのみこと)がまつられています。大国たいこくぬし大神だいじんくにづくりをたすけられた女神めがみです。


重文じゅうぶん 摂社せっしゃ 神魂しんこん伊能いのうともうり神社じんじゃ(かみむすびいのちひめのかみのやしろ(てんまえしゃ あまさきのやしろ))

 むこうしゃ東側ひがしがわならんでおり、蚶貝うりいのち(きさがいひめのみこと)とはまぐりかいうりいのち(うむがいひめのみこと)のはしらかみまつられています。
 このはしらかみ大国たいこくぬし大神おおがみあにかみたちからひどいあつかいをけ、だい火傷かしょうをされたときに治療ちりょうをしてたすけた女神めがみです。

 以上いじょうさんしゃは、わきみやさんしゃばれ、すべてかたちおおきさがおなじです。社殿しゃでん形式けいしき本殿ほんでんていますが、正面しょうめんの宇豆ばしらがなく、とびらかいかいかくれ社殿しゃでん中央ちゅうおうにあるのが特徴とくちょうです。いずれものべとおる元年がんねん(1744)の造営ぞうえいてられたものです。
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重文じゅうぶん 摂社せっしゃ もん神社じんじゃ(みかどのかみのやしろ)(東西とうざい2むね

 本殿ほんでんまえ東西とうざい相対あいたいしてしゃあります。これは本殿ほんでん門番もんばんやくとしてなか災禍さいか(さいか)・けがれ(けがれ)がはいらないようにまもかみであり、ひがしには宇治うじしん西にしにはひさし美神びしんまつられています。
 この社殿しゃでんは、本殿ほんでんとうことなりえんまわっておらず、社殿しゃでんからつづ屋根やねかいおおっています。
 

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重文じゅうぶん 楼門ろうもん(ろうもん)

 本殿ほんでんまえはちそくもんとのあいだにあるこのもんは、組物くみもの多用たようし、はちそくもんとともにゆたかな装飾そうしょくせい特徴とくちょう建物たてものです。たかやく7.3m。
 楼門ろうもんとはした部分ぶぶん屋根やねのないかいづくりのもんのことで、寛文ひろふみ7ねん(1667)の造営ぞうえい遷宮せんぐうてられたものをのべとおる造営ぞうえい(1744)のさい移築いちくしたものとかんがえられます。
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 重文じゅうぶん はちそくもん(やつあしもん)

 拝殿はいでん北側きたがわ本殿ほんでん正面しょうめん石段いしだんがるとはちそくもんがあります。一般いっぱん参拝さんぱいでは、正月しょうがつさんにち特別とくべつなことがないかぎりこのさきくことができません。
 このもん寛文ひろふみねん(1667)の造営ぞうえいさい建立こんりゅうされ、もん内部ないぶ鴨居かもい部分ぶぶん上部じょうぶ蟇股かえるまた(かえるまた)や欄間らんま(らんま)などには、流水りゅうすい基調きちょうとしたなか紅葉こうようさくらとりなど花鳥風月かちょうふうげつ彫刻ちょうこくりばめられています。はしらには木目もくめうつくしいケヤキざいもちいるなど、境内けいだいなかでもゆたかな装飾そうしょくもんです。
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重文じゅうぶん かんさいろう(かんさいろう)およ廻廊かいろう(かいろう)・西にし廻廊かいろう

 はちそくもん両側りょうがわには廻廊かいろうつづき、東側ひがしがわには途中とちゅうかいてとなるかんさいろうきます。かんさいろうかいには、たたみきの部屋へやしつあり、朝廷ちょうてい幕府ばくふはん要人ようじん南側みなみがわ境内けいだい拝殿はいでん西側にしがわ)にあった舞台ぶたいのぞめるようになっています。そのこともあって、使つかわれている材料ざいりょう非常ひじょう良質りょうしつです。屋根やね入母屋いりもやづくり(いりもやづくり)で、廻廊かいろうふくめてすべてがひのきがわ葺です。

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重文じゅうぶん 神饌しんせんしょ(しんせんじょ)(東西とうざい2むね

 楼門ろうもんをくぐった玉垣たまがきないりょうわきにある、神様かみさまへのおそなもの神饌しんせん)を準備じゅんびするための建物たてものです。そのため、出入口でいりぐち本殿ほんでんがわ北側きたがわ)にいています。寛文ひろふみ造営ぞうえいてられましたが、のべとおる造営ぞうえいはしら外側そとがわ表面ひょうめんうすけずり、移築いちくされました。境内けいだいには、このような建物たてもの会所かいしょなどいくつかのこっています。
 ひがし神饌しんせんしょ屋根やねは、ひのきがわ葺のしたわりばんによる下地したじ屋根やね土居どい葺(どいぶき))がほどこしてあり、じゅう構造こうぞう屋根やねになっています。

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重文じゅうぶん 玉垣たまがき(たまがき)・瑞垣みずがき(みずがき)

 本殿ほんでんかこだいいち垣根かきね玉垣たまがきです。寛文ひろふみ造営ぞうえいてられたもので、一周いっしゅう延長えんちょう160mあります。ヒノキざい使つかわれており、構造こうぞうとう複雑ふくざつ丁寧ていねいつくかたがなされています。
 玉垣たまがき外側そとがわまわ瑞垣みずがき一周いっしゅう延長えんちょう229mあり、「文化ぶんかねん(1808)」の墨書ぼくしょ確認かくにんされています。おもにスギざいつくられ、風化ふうかえる廻廊かいろうはしら風化ふうかすくない瑞垣みずがきはしらわれています。このことから、瑞垣みずがき文化ぶんか造営ぞうえいてられたものであることがかりました。

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重文じゅうぶん 摂社せっしゃ 鵞社(そがのやしろ)

 盞嗚みことまつられており、地元じもとではしたしみをめて「もと鵞さん」ばれています。てんあきら大神だいじんおとうとしんで、神話しんわはち岐大へび(やまたのおろち)退治たいじ」で有名ゆうめいかみです。
 のべとおる造営ぞうえいてられたさいに、このときえられた本殿ほんでんむこうしゃもん神社じんじゃなどの寛文ひろふみ造営ぞうえい使つかわれていた部材ぶざい一部いちぶもちいています。修理しゅうりちゅうに、「のべとおるねん(1745)ろくがつ」などの造営ぞうえい年月としつき神門ごうどぐん大工だいくたずさわっていたことがかる墨書ぼくしょつかっています。

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重文じゅうぶん 摂社せっしゃ しゃ(うじのやしろ)(南北なんぼく2むね

 本殿ほんでん西にしにあり、ひがしめんして南北なんぼくならふたつのしゃで、北側きたがわにはてんいのち(あめのほひのみこと)、南側みなみがわには国造くにのみやつこ出雲いずもしんみやむかい(いずものおみみやむき)をまつしゃです。てんいのち国造くにのみやつこみやむかいてんいのち17せいまごといわれ、はじめての出雲いずもせいたまわったとつたえられています。
 修理しゅうりちゅう、このしゃ屋根やねから「東側ひがしがわむこう」「東門ひがしもんしん」と墨書ぼくしょされた材料ざいりょうつかり、のべとおる造営ぞうえい瑞垣みずがきない社殿しゃでん材料ざいりょうさい利用りようしていることが判明はんめいしました。
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重文じゅうぶん 末社まっしゃ がましゃ(かまのやしろ)

 このしゃには、食物しょくもつまもかみの宇迦たましいしん(うかのみたまのかみ)がまつられています。
 このあたりの北山きたやま山地さんちを宇迦やまびますが「宇迦」とは穀物こくもつ意味いみする古語こごといわれており、古代こだいじんにとって食物しょくもつ神聖しんせいする意味いみふくまれているかもしれません。
 がましゃ修理しゅうりちゅう瑞垣みずがきない建物たてものにしかない材料ざいりょうがたくさんつかり、のべとおる修理しゅうりさいさい利用りようしていることがかりました。
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重文じゅうぶん 末社まっしゃ じゅうきゅうしゃ(じゅうくしゃ)(東西とうざい2むね

 瑞垣みずがきそと本殿ほんでん左右さゆう相対あいたいしてこのしゃがあり、それぞれじゅうきゅう部屋へやつらなっています。
 旧暦きゅうれきの10がつ出雲いずも大社たいしゃ神在かみありさい期間きかん全国ぜんこくかみ宿泊しゅくはくされる、出雲いずも大社たいしゃならではのめずらしいおしゃで、この期間きかんのみすべてのとびらひらかれます。
 修理しゅうりちゅうつかったむねさつから文化ぶんか6ねん(1809)にてられたものであることが判明はんめいしました。また、おおくの部材ぶざいにモミの使つかわれていますが、建材けんざいにモミの使用しようされることはめずらしく、出雲いずも大社たいしゃ境内けいだいでもこのじゅうきゅうしゃ2むねしかられません。
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重文じゅうぶん 会所かいしょ(かいしょ)

 会所かいしょあらかき外側そとがわ参道さんどう東側ひがしがわにあります。寛文ひろふみ造営ぞうえいいまかみ祜殿(しんこでん)の位置いちてられていましたが、昭和しょうわ18ねん(1943)に現在地げんざいち移築いちくされたものです。会所かいしょは、神職しんしょく神事しんじまえきよめたり、大名だいみょうなど格別かくべつ参詣さんけいしゃへの接待せったい連歌れんがもよおしをおこなったりと、様々さまざま用途ようと使つかわれていました。
 平成へいせい修理しゅうりによって、寛文ひろふみ造営ぞうえい姿すがた復原ふくげんし、屋根やねどう板葺いたぶきだったものを元々もともとぐりざいのこけら葺にえました。
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 重文じゅうぶん どう鳥居とりい(どうとりい)

 出雲いずも大社たいしゃあら垣内かきうち拝殿はいでんまえ神域しんいきしめどう鳥居とりいは、毛利もうり輝元てるもとまご毛利もうりつなひろによって寛文ひろふみ6ねん(1666)に寄進きしんされたものです。毛利もうりはん鋳物いもの(いもじ)により長州ちょうしゅう阿武あぶぐん(あぶぐん 現在げんざい山口やまぐちけんはぎ)で鋳造ちゅうぞうされたものとつたえられ、どうせい鳥居とりいとしては、くにではもっとふるいものといわれています。
 修理しゅうりともなっておこなわれた足元あしもと発掘はっくつ調査ちょうさにより、地表ちひょうえるおおきないし以外いがい大小だいしょうたくさんのいしかためられていることがあきらかになりました。
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