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「上塩冶築山古墳出土品」 重要文化財へ | 出雲市

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上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん出土しゅつどひん重要じゅうよう文化財ぶんかざい

 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん出土しゅつどひんは、2018(平成へいせい30)ねん3がつ9にち開催かいさいされたくに文化ぶんか審議しんぎかいで「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に指定していするよう文部もんぶ科学かがく大臣だいじん答申とうしんされ、同年どうねん10がつ31にち官報かんぽう告示こくじにより正式せいしき指定していされました。
 

1 重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい名称めいしょう
 島根しまねけん上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん出土しゅつどひん(しまねけんかみえんやつきやまこふんしゅつどひん)
 
2 指定していいたるまでの経緯けいい
 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふんは、1887(明治めいじ20)ねん土地とち所有しょゆうしゃにより石室いしむろけられ、豊富ほうふ副葬品ふくそうひん出土しゅつどしました。古墳こふんは1924(大正たいしょう13)ねんくに史跡しせき指定していされています。発見はっけんしゃした保管ほかんされていた出土しゅつどひんおおくは、1959(昭和しょうわ34)ねん出雲いずも所蔵しょぞうひんとなり、1961(昭和しょうわ36)ねんには島根しまねけん指定してい文化財ぶんかざいとなりました。
 1985(昭和しょうわ60)~ 2007(平成へいせい19)ねんにかけて、出雲いずも実施じっしした墳丘ふんきゅう発掘はっくつ調査ちょうさ規模きぼがほぼ確定かくていし、墳丘ふんきゅうならべられていた須恵すえ(すえき)や円筒えんとう埴輪はにわ(えんとうはにわ)もおお出土しゅつどしました。
 2015(平成へいせい27)ねんから出雲いずも所蔵しょぞうひん整理せいり研究けんきゅうおこなってきました。

3 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん概要がいよう
 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふんは、島根しまねけん出雲いずも上塩冶かみえんやまち所在しょざいし、出雲平野いずもへいや南部なんぶほぼ中央ちゅうおうほろ高地こうちじょうつくられた古墳こふん時代じだい後期こうき後半こうはん(6 世紀せいきだい4 四半期しはんき)のえんふんです。直径ちょっけいやく46 mで、山陰さんいん地方ちほうでは最長さいちょうとなる全長ぜんちょう14.6 mの切石きりいし横穴よこあなしき石室いしむろゆうし、玄室げんしつないには大小だいしょうふたつの抜式(くりぬきしき)いえがた石棺せっかんかれています。墳丘ふんきゅう石室いしむろ石棺せっかんは、いずれも当時とうじ出雲いずも西部せいぶでは最高さいこう規模きぼです。それは、山陰さんいん地方ちほう範囲はんいひろげてもわりません。
 おも出土しゅつどひんは、金銅かなどうかんむり(こんどうかん)、きむそうぎん耳環みみわ(きんそうぎんじかん)、金銀きんぎんそう大刀たちてつがたなてつ鏃(てつぞく)、てつほこ金銀きんぎんそうぎんそう馬具ばぐどうすず(どうれい)、大形おおがたがたな鹿角かつのそうがたなてつおの(てっぷ)、かぎじょう(かぎじょう)てつ製品せいひんたまるい須恵すえ子持こもちつぼ円筒えんとう埴輪はにわなどです。とりわけ、金銀きんぎんかがやかんむり大刀たち馬具ばぐたか金工きんこう技術ぎじゅつつくられた優品ゆうひんで、保存ほぞん状態じょうたい良好りょうこうです。
 これらのことから上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふんだい石棺せっかん被葬ひそうしゃ出雲いずも西部せいぶ領域りょういきとした「だい首長しゅちょう」であり、かつ山陰さんいん地方ちほうにおいても突出とっしゅつした勢力せいりょくっていた人物じんぶつ推定すいていできます。それに人物じんぶつしょう石棺せっかん埋葬まいそうされたのでしょう。
 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふんは、墳丘ふんきゅう石室いしむろ石棺せっかん出土しゅつどひんがそれぞれ良好りょうこう残存ざんそんしています。このようにだい規模きぼ古墳こふん実態じったいあらわ古墳こふんは、ちゅう四国しこく地方ちほうでもれいがなく、また、出雲いずも大和やまと関係かんけいさぐ資料しりょうとしてもきわめて学術がくじゅつてき価値かちたか古墳こふんといえます。

4 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん出土しゅつどひん概要がいよう
 石室いしむろない出土しゅつどひんは215 てんあり、そのうちの197 てん墳丘ふんきゅうから出土しゅつどした円筒えんとう埴輪はにわ須恵すえ出雲いずも所蔵しょぞうひんです。これらのなかとく重要じゅうような140 てんほん指定してい88 てん52 てん)が重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい対象たいしょうひんです。
 出土しゅつどひんには金属きんぞく製品せいひんたま製品せいひんがあり、つぎのような特徴とくちょうがあります。

(1)金属きんぞく製品せいひん

 特筆とくひつすべきは、かんむり馬具ばぐるい武器ぶき武具ぶぐるいなどの種類しゅるい豊富ほうふ金属きんぞく製品せいひんで、そののこそん状態じょうたいさには見張みはるものがあります。かんむり金銅かなどうせいで、格子こうしじょうれつてんぶんほどこされた帯状おびじょう金具かなぐ中央ちゅうおうに、左右さゆう一本いっぽんずつのえだをもつけん菱形ひしがたたてかざりがつきます。たてかざり帯金おびがねひもじつけられています。かたち技法ぎほう特殊とくしゅで、列島れっとうさんかんがえられますが、類例るいれいのないきわめてめずらしい一品いっぴんです。大刀たちは、金銀きんぎんそうこしらえ(こしら)えをともなえんあたま大刀たちもじかんあたま(ねじりかんとう)大刀たちがあります。とくえんあたま大刀たち直後ちょくご時代じだい多数たすう生産せいさんされる国産こくさん装飾そうしょく大刀たち初期しょき資料しりょうとなるものであり、装飾そうしょく大刀たち系譜けいふ変遷へんせんあきらかにするうえでも注目ちゅうもくされています。馬具ばぐには、金銀きんぎんそうぎんそう一式いっしき構成こうせいされる2セットがあります。このうち金銀きんぎんそう一式いっしきは、くつわ(くつわ)やくら(くら)、あぶみ(あぶみ)だけでなく、面繋おもがい(おもがい)やむねつなぎ(むながい)、しりつなぎ(しりがい)をかざくもたま(うず)、つじ金具かなぐあんず(ぎょうよう)などのかざり金具かなぐそろい、一部いちぶにはつなぎ革帯かわおび痕跡こんせき良好りょうこうのこっています。ぎんそう馬具ばぐつじ金具かなぐにもおなじく繫の革帯かわおび良好りょうこうのこります。これらは古墳こふん時代じだいかざり(しょくば)の実態じったい具体ぐたいてき復元ふくげんしうる貴重きちょう資料しりょうです。このほか武器ぶき武具ぶぐるいにはてつほこてつ鏃、うつぼ(ゆぎ)金具かなぐがあり、なかでも9ほん以上いじょう出土しゅつどしたてつほこは、どう時期じき列島れっとうでは傑出けっしゅつしたかずです。
   
(2)たま
 装身具そうしんぐたまにはいしせいとガラスせいがあり、ガラスせいたまにはかんだま1 てん小玉こだま78 てんがあります。今回こんかい自然しぜん科学かがく分析ぶんせきおこない、ガラス小玉こだま材質ざいしつ製作せいさく技法ぎほうから7種類しゅるいけることができました。とくつつほう変則へんそくてきばしほうつくられたものは、類例るいれい奈良ならけん牧野まきの古墳こふん飛鳥寺あすかでらとうこころいしずえなど)から古墳こふん時代じだい後期こうきまつ(6世紀せいきまつ~7世紀せいき初頭しょとう)につくられたことがあきらかになりました。これは、上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん出土しゅつどひんなかもっとあたらしい時期じき出土しゅつどひんになります。これらのガラス小玉こだましょう石棺せっかんから出土しゅつどしているのでおいそう副葬品ふくそうひんのひとつと推定すいていされます。


(3)製品せいひん
 墳丘ふんきゅうから出土しゅつどした須恵すえ子持こもちつぼ円筒えんとう埴輪はにわは、全国ぜんこくてきにも特殊とくしゅ形態けいたいで、出雲いずも伯耆ほうき西部せいぶ地域ちいきのみでみられる特徴とくちょうをもっています。このことから、出雲いずも伯耆ほうき西部せいぶ地域ちいき首長しゅちょうあいだむすびつきがつよかったことをしめしています。







 上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん被葬ひそうしゃは、出雲いずも東部とうぶおよ伯耆ほうき西部せいぶ地域ちいき首長しゅちょう連携れんけいしながら出雲いずも西部せいぶ地域ちいき支配しはいしていたとかんがえられます。そして、このネットワークを基盤きばんとして、大和やまととの関係かんけいせいっていたのでしょう。
 これらのことを、上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん種類しゅるい豊富ほうふ出土しゅつどひんおしえてくれます。

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上塩冶かみえんや築山つきやま古墳こふん

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