太陰暦
太陰暦とは、月の満ち欠けの周期(朔望月)でひと月を数える暦です。
太陰とは月のことであり、太陰太陽暦と純粋太陰暦という2つの月の暦があります。
太陰太陽暦は、日本では旧暦と呼ばれている暦です。
純粋太陰暦は、主にヒジュラ暦(イスラム暦)を指します。
以下は、1967年における2つの太陰暦の各月を図解したものです。
左が太陰太陽暦、右が純粋太陰暦です。
太陰太陽暦と純粋太陰暦
太陰暦は、1朔望月(約29.5日)でひと月を数えますが、太陰太陽暦と純粋太陰暦の最も大きな違いは閏月を設けるか設けないかになります。
太陰太陽暦は、約3年に1回(19年に7回)閏月を設けて季節とのズレを調整します。
※1967年は、閏月が設けられていない年です。
一方、純粋太陰暦は閏月を設けずに12ヶ月を繰り返していきます。
1太陰年は1太陽年よりも約11日短いため、その分徐々に季節とズレていき約33年経つと同じ季節に戻ります。
※1太陽年=約365.242189日
※1太陰年=約354日(約29.5日×12ヶ月)
ラマダン月はいつ?
ヒジュラ暦の第9月は、ラマダン月(断食月)です。
1967年における2つの太陰暦を見ると、旧暦の11月がヒジュラ暦の第9月にあたることがわかります。
1967年の旧暦11月は、手元の万年暦では「(12月12日)〜1月10日」「12月2日〜12月30日」と記載されています。
しかし、旧暦では29日の小の月と30日の大の月は毎回順序が異なるのに対し、ヒジュラ暦では概ね交互になっています。
また、ヒジュラ暦の1日は日没から始まり、目視により細い三日月を観測することによってラマダンが開始されるため地域によっては1日〜2日程度の誤差が生じる場合もあります。
そのため、両者の日付は完全には一致しないかもしれませんが同じ朔望月であると言えます。
旧暦と和風月名
旧暦の11月は、和風月名では霜月と呼ばれています。
このような呼び名(月の異称)は、明治の改暦以降、新暦(グレゴリオ暦)に対してもそのまま使われるようになりました。
しかし、新暦の11月と旧暦の11月では季節にズレがあります。
上の図の旧暦の月の内側に、おおよそのグレゴリオ暦(太陽暦)の範囲を表示していますので新暦と旧暦のズレを確認してみてください。
ちなみに、グレゴリオ暦の元日は毎年二十四節気の小寒の約5日前から始まります。
暦の上の季節
また、上の図ではグレゴリオ暦の内側に十二支を表示しています。
1967年1月1日〜2月3日(節分)の干支は丙午(ひのえ・うま)で十二支は午、2月4日(立春)〜12月31日の干支は丁未(ひのと・ひつじ)で十二支は未ですが、干支は年だけでなく月、日、時刻にも割り当てられています。
月の十二支は二十四節気の正節から次の正節前日までの範囲を指し、四立(立春・立夏・立秋・立冬)によって四季が分けられています。
よって、暦の上の季節は、寅月卯月辰月が春・巳月午月未月が夏・申月酉月戌月が秋・亥月子月丑月が冬になります。
旧暦の月では、1月2月3月が春・4月5月6月が夏・7月8月9月が秋・10月11月12月が冬になります。
ちなみに、前者を節月、後者を暦月と言います。
太陰暦スライドショー
太陰太陽暦(Lunisolar Calendar)と純粋太陰暦(Lunar Calendar)を図解した画像をスライドショーにしました。
100年分の太陰暦の動きから、ラマダン月が約33年で季節を一巡することがわかります。
これにより、「ムスリム(イスラム教を信仰する人々)は同じ季節のラマダンを人生で2度経験する」もしくは「33年ですべての季節のラマダンを経験する」と言われている理由を視覚的に捉えることができます。
現在、私たちはグレゴリオ暦を使用して暮らしていますが、伝統を受け継ぐ人々によって今なお旧暦に基づいた日付による神事や年中行事などが行われています。
使用する暦によって人々の暮らし方は変わってしまうものですね。
学校では暦を学ぶ機会があまりないためか、暦のことをよく知らないという方が多いですが、少しでもご興味を持っていただいて一緒に学んでいけたら嬉しいです。
暦は他にも様々な種類のものがありますので、いろいろな暦を併用していくのも良いですね。
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