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Félicia Atkinson - Image Langage  | フェリシア・アトキンソン | ele-king
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Félicia Atkinson

AmbientExperimentalSpoken Word

Félicia Atkinson

Image Langage

Shelter Press

Bandcamp

野田のだつとむ Jul 04,2022 UP

 ブライアン・イーノの「音楽家おんがくか(ノン・ミュージシャン)」というコンセプト、あれは「楽器がっきけないけれど音楽おんがくつくれる」という表現ひょうげんよりも、「だれもがミュージシャンである」という逆説ぎゃくせつてきないいかたのほうが意味いみふかくなる。ジョン・ケージの“4ふん33びょう”ではないが、こえるおとすべてが音楽おんがくであり、われわれはつねに音楽おんがくかこまれているというコンセプトが、音楽おんがくというものの可能かのうせい阻害そがいする制度せいどのいっさいにこうすることでもあるように。そのむかしフェリシア・アトキンソンは、タイニー・ミックス・テープの取材しゅざいこたえて、(ミュージシャンがリスナーにたいして)「いてたのしんでほしい」とうのはちょっと下品げひんでしょう、とった。「そうではなく、リスナーとミュージシャンが一緒いっしょにフォームをつくって、そしてそれをうこと」
 音楽おんがくくという行為こうい創造そうぞうてきなのだから、最初さいしょから一方いっぽう通行つうこうてきあたえられたものをたのしむ(消費しょうひする)だけでは、音楽おんがく可能かのうせい矮小わいしょうしてしまっている、もったいない、アトキンソンにしたら、そういうことなのだろう。だから自分じぶん音楽おんがくがアンビエントとくくられることにも、彼女かのじょなら窮屈きゅうくつかんじているんだろうな。これはバックグラウンド・ミュージックではないし、静的せいてきであることは、かならずしも平穏へいおんさや瞑想めいそう着地ちゃくちするわけではない。しずけさとは力強ちからづよさだ、アトキンソンならう。
 
 それにしてもアトキンソンの学際がくさいてき探究たんきゅうしんとその豊富ほうふ知識ちしき柔軟じゅうなん思考しこうやそのとめどない理屈りくつにはしたくばかりだ。ディレッタントてきってしまいそうだが、彼女かのじょ場合ばあい知識ちしきは、自身じしん芸術げいじゅつてき欲望よくぼう穴埋あなうめするような趣味しゅみてき蓄積ちくせきされたものではない。フランスの、労働ろうどうしゃ階級かいきゅう出身しゅっしんでフェミニストの知識ちしきじんは、どれだけ自由じゆう平等びょうどうで、創造そうぞうてき人生じんせいあゆめるのかという実践じっせんにおける養分ようぶんとして、ジョーン・ディディオンからジル・ドゥルーズ、アンドレ・ブルトンからジャック・ケルアック、ギー・ドゥボールからジェイムズ・ジョイスとう々たくさんの書物しょもつ横断おうだんてきむ。ただまなぶのではなく「逸脱いつだつしてまなぶこと」、そう彼女かのじょう。読書どくしょすることひとつっても創造そうぞうてき行為こういで、だからリスニングにかんしても、集中しゅうちゅうしてくことが唯一ゆいいつただしいリスニングではないとかんがえよう。リスニング行為こういそれ自体じたいにもおもいをめぐらせるのだ。(誤解ごかいされているようだが、彼女かのじょ創作そうさくとASMRが無関係むかんけいであることは、TMTのインタヴューをむとわかる)
 
 彼女かのじょ新作しんさくは、12さいロバート・アシュレーいた彼女かのじょが「こえ」における音楽おんがくてき魅力みりょくについて考察こうさつしていたように……、と、ここまでいたがいったん中断ちゅうだんして、もうすこ彼女かのじょ経歴けいれきいたほうさそうなのでそうする。
 彼女かのじょはいわゆるエリートではないし、幼少ようしょうからクラシックをまなべるような裕福ゆうふくいえだしでもない。経済けいざいりょくはないが文化ぶんかあいする両親りょうしんのもとにまれ、ビョークとキム・ゴードンとキャット・パワーとPJハーヴェイをアイドルとした思春期ししゅんきごしている。90年代ねんだいは『NME』と『The Face』を愛読あいどくし、マッシヴ・アタックとトリッキーのライヴをたくてパリからブリストルにかったのは16さいのときだった(けっこうミーハーである)。高校こうこう卒業そつぎょう学校がっこう音楽おんがくすこまなんではいるそうだが、自分じぶんわなかったとめている。もっとも重要じゅうようなことはジョン・ケージからまなんだと公言こうげんしているが、それは独学どくがく。27さい東京とうきょうの〈Spekk〉からデビューするまでは、演劇えんげき音楽おんがくをやったりしていたそうだ。
 また彼女かのじょは、自分じぶんのスタジオをたないことを主義しゅぎとしている。リルケのようにたびこのみ、たびをしながら創作そうさくしているそうだ。初期しょきはiPhoneやガレージバンドを使つかってつくっていたほどで、Je Suis Le Petit Chevalierなるロック・バンドも同時どうじにやっていたようなひとだったりする。自分じぶん自身じしんを、作曲さっきょくでもポップ・ミュージシャンでもないローリー・アンダーソンや小野おの洋子ようこのようななかあいだてき存在そんざいかさねている。そんな彼女かのじょが12さいでロバート・アシュレーをいたのは、看護かんごだった父親ちちおや趣味しゅみとしていえにシュトックハウゼンやジョン・ケージやアルヴィン・ルシエやコーネリアス・カーデューなんかのレコードにじってそれがあったからだった。
 で、そう、彼女かのじょ大人おとなになってアシュレーをさい発見はっけんし、これまでも自身じしん作品さくひんにおいて「こえ」はさんざん使つかっている。デンシノオトや渡辺わたなべ琢磨たくまのようなむかしからのファンにはもうお馴染なじみの「こえ」だろう。それでもアトキンソンにとっては、ゴダール映画えいが、および『じゅうよんあいだ情事じょうじ』、およびロベール・ブレッソン映画えいがのような「ささやきごえ」を効果こうかてき使つかっている映画えいが作品さくひんからけたインスピレーションを音楽おんがくのなかで全面ぜんめんてき応用おうようすることは、かねてからやりたかったことのひとつだったようで、それがほんさく『Image Langage』になった。
 もうひとつの動機どうきとしては、ゴダール映画えいがにおけるアンナ・カリーナの「ささやきごえ」のように、画像がぞうがなくても「こえ」のみで物語ものがたり構築こうちくできるというコンセプトがあった。このはなし抽象ちゅうしょうすると、以下いかのようになる。インターネット以前いぜんひとていた情報じょうほうげんは、おもにまわりにあった。ほんやレコードはもちろん、いし海辺うみべもそうだった。それらはほんおなじように、ひとがそのページをひらくのをっている。ひびれるのをっている、なにかがあきらかにされるのをっている、ひらかれるのをっている、そういうかんがかたにあると彼女かのじょ説明せつめいしている。たしかにそうかもしれない。そのになれば、「こえ」それ自体じたいからも音楽おんがくこえるのだから。
 
 こう不幸ふこうか、ぼくにはフランス語ふらんすごがさっぱりわからない。すこしだけ英語えいござっているようだが、ぼくのリスニング行為こういにおいては、必然ひつぜんてきに、意味いみ左右さゆうされることのないおととしての「こえ」がきょく構成こうせい要素ようそのひとつとしてそこにある。ほのかな電子でんしおんとサックスが交流こうりゅうする1きょくはインストゥルメンタルだが、“みずうみはなしている”以降いこうからは、ピアノや電子でんしおん断片だんぺんひかえめにえが風景ふうけいのなかで、「こえ」がこえる。リスニングのたびをうながすサウンドと「こえ」のコンビネーションが、自然しぜんのイメージをほのめかすこともあれば、各々おのおの物語ものがたりをふくらませることもあるだろう。表題ひょうだいきょく素晴すばらしくおもえるのは、それがまさに感性かんせい彷徨ほうこうをうながすからで、アメリカの詩人しじんシルヴィア・プラスにささげられたきょくにおける不安定ふあんていさにもぼくは魅力みりょくおぼえる。まあ、ほかのきょくかんしても、いつもとはちがったエクスペリエンス(音楽おんがく体験たいけん)において、だいたい気分きぶんになってしまうのだ。高尚こうしょう主題しゅだいを、それこそアカデミックな実験じっけん音楽おんがくとポップ音楽おんがくとの中間ちゅうかんにまで調整ちょうせいさせてしまえるだけの力量りきりょうがこのひとにはあるし、アトキンスのんだ音響おんきょうにはひとをネガティヴにさせる要素ようそがないので、ぼくはすっかり“たのしんでいる”。あ、ちょっと下品げひんだったかな?
  
 イーノにしろ、アトキンソンにしろ、理屈りくつっぽいひとつく音楽おんがくかならずしも理屈りくつっぽいわけではなく、エクスペリメンタルであることが音楽おんがくむずかしくすることではないわけで、そもそも「実験じっけん」というのは、「結果けっかがどうなるかわからないけれどやってみよう」ということを意味いみしている。リスニング行為こういもまたしかり。それはオウテカがう「れてしまうことにたいする抵抗ていこう」だったり、アトキンソンの音楽おんがくのようにまようことのたのしさであったり、だいたいやってみてもいないのに、たことがない世界せかいようってこと自体じたい無理むりはなしなのだ。音楽おんがくにできることはまだある。

野田のだつとむ