Home > Reviews > Sound Patrol > まだ名前なまえのない、日本にっぽんのポスト・クラウド・ラップの現在地げんざいち
Sound Patrol
春はるが来きた。なにかが一新いっしんされたようなこの感覚かんかくが錯覚さっかくであることはわかりきっていても、やはり嬉うれしいものは嬉うれしい。幸さいわい花粉かふん症しょうに悩なやまされるのは(個人こじん的てきには)まだまだ先さきのことみたいだから、外そとをフラフラしながら街まちの香気こうきや陽ひの光ひかりをのびのびと楽たのしんでいる。 音楽おんがくと結むすびついている自分じぶんの記憶きおくのなかの春はるっぽさは、快晴かいせいの軽かろやかさではなくむしろ曇天どんてんのようにまとわりつく気けだるさだ。どこかに逃にげたいな……という気持きもちでかつて縋すがった音楽おんがくは、春はるには似につかわしくない陰気いんきなものがどちらかといえば多おおかったような気きがする。
日ひが落おちると肌寒はださむくなったり、自身じしんを取とり巻まく環境かんきょうが一変いっぺんしたり、理想りそうと現実げんじつのギャップに気きが滅入めいったり。調子ちょうしが狂くるいやすくなるこの季き節ぶし、普段ふだんなら心地ここちよく感かんじられるはずの陽気ようきをついうっとうしく感かんじてしまうこともあるでしょう。そんな感情かんじょうの移うつろいをケアするための、日本にっぽんのユースによる「ポスト・クラウド・ラップ」とでも形容けいようすべきダルくて美うつくしいトラックをいくつか取とり上あげてみようと思おもいます。
2021年ねん前後ぜんこうにtrash angelsというコレクティヴがSoundCloud上じょうで瞬間しゅんかん的てきに誕生たんじょうし、メンバーであるokudakun、lazydoll、AssToro、Amuxax、vo僕ぼく(vq)、siyuneetの6人にんそれぞれがデジコア──ハイパーポップをトラップ的てきに先鋭せんえい化かさせた、デジタル・ネイティヴ世代せだいのヒップホップ──を日本にっぽんに持もち込こみ、ラップもビートメイクもトータル的てきに担かついつつ、独自どくじのものとしてローカライズさせていった。 2021年ねんというとつい先日せんじつのことのように感かんじられるが、彼かれらユースにとっては3年ねん弱じゃく前まえのことなんかはるか遠とおい昔むかしの話はなしだろう。trash angelsは2022年ねんごろには実質じっしつ的てきに解散かいさんした。そして2024年ねんの年明としあけごろ、SNS上じょうに @tmjclubarchive というアカウントが突如とつじょ現あらわれた。そこにはVlog風ふうのショート動画どうがやなんてことのないセルフィーが、いずれも劣化れっかしたデジタル・データのような質感しつかんでシェアされていた。 そう、このtmjclubこそ当時とうじのtrash angelsに近ちかいメンバーが別べつの形かたちで再さい集結しゅうけつした新あらたなミーム的てきコレクティヴなのだ。突然とつぜん公開こうかいされたミックステープ『#tmjclub vol.1』には上述じょうじゅつしたlazydoll、okudakun、AssToroに加くわえ、日本にっぽんのヨン・リーンとでもいうべき才能さいのうaeoxve、ウェブ・アンダーグラウンドの深奥しんおうに潜ひそむHannibal Anger(=dp)やNumber Collecterといった、同おなじSoundCloudという土地とちに根ねざしつつもけっして前述ぜんじゅつのデジコア的てき表現ひょうげんに当あてはまらない、よりダークでダウナーなラップを披露ひろうしていた面々めんめんが合流ごうりゅう。日本にっぽんにおけるクラウド・ラップの発展はってんと進化しんか、そして今後こんごの深化しんかを感かんじさせる記念きねん碑ひ的てきな必聴ひっちょう盤ばんとして大だい推薦すいせんしたい。ここには未来みらいがある。
SoundCloudで育はぐくまれるユースの才能さいのうには大人おとなが手てを伸のばした瞬間しゅんかんに消きえゆく不安定ふあんていさがあり、その反発はんぱつこそがすべてをアーカイヴできるはずのインターネット上じょうにある種しゅの謎なぞを残のこしている、と僕ぼくは考かんがえている。情報じょうほう過多かたの時代じだいのカウンターとして、だれもがミスフィケーションという演出えんしゅつを選択せんたくしている、ともい換いかえられる。 とくに、前述ぜんじゅつしたtrash angelsでもいくつかのトラックに参加さんかしていたvq(fka vo僕ぼく)はその色いろが強つよく、過去かこ発表はっぴょうしてきた数すう枚まいのEPはいずれも配信はいしんプラットフォームから抹消まっしょうされており、現在げんざい視聴しちょう可能かのうなのはこの2曲きょく入いれの最新さいしんシングル『肌はだ』のみである。 がしかし、彼かれがミスフィケーションしようとしているのはあくまでも自身じしんのパーソナリティのみで、音楽おんがくそれ自体じたいに対たいする作為さくい的てきな演出えんしゅつはまるでない。むしろあまりにイノセントで、あまりに剥むき出だしの純真じゅんしんさをもって音楽おんがくに向むき合あっていて、そこにはヒップホップという文化ぶんかを下した支ささえするキャラクター性せい、つまりはスターであるための虚飾きょしょく的てきな要素ようそを解体かいたいし、ただただ透明とうめいであり続つづけたいという切実せつじつな思おもいが込こめられているように思おもえる。 あえて形容けいようするなら “グリッチ・アコースティック” とでもいうべき不定ふてい形がたなビートに乗のせられる、まっすぐな言葉ことばによる心情しんじょうの吐露とろ。削除さくじょされた過去かこ作さくをここで紹介しょうかいできないことが悔くやしい。原液げんえきのような濃度のうどを持もったこの表現ひょうげん者しゃのことを、より多おおくの人ひとに、痛いたみを抱かかえたあらゆる人ひとに見聞みききしてほしい。
以上いじょうのように取とり上あげた、trash angelsに端はしを発はっする日本にっぽんのデジコア・シーンは猛烈もうれつなスピードで動うごきつづけていて、はやくも彼かれ/彼女かのじょたちに影響えいきょうを受うけた次世代じせだいが誕生たんじょうしはじめている。そのひとりが、qquqという日本にっぽんのどこかに潜ひそむ若わかきラッパーだ。 おそらくはゼロ年代ねんだい以降いこうの生うまれだろうと(電子でんしの海うみでの)立たち振ぶる舞まいから推察すいさつできるものの、自身じしんのパーソナリティはほとんど公おおやけにせずSoundCloudへダーク・ウェブ以降いこうの質感しつかんを纏まつわったトラックを粛々しゅくしゅくと投稿とうこうする、という「いま」がありありと現あらわれているスタイルも込こみでフレッシュな才能さいのうだ。クラウド・ラップやヴェイパーウェイヴが下地したじにありつつもデジコアの荒々あらあらしさがブレンドされる初期しょき衝動しょうどう的てきなラフさもあれど、決けっしてアイデアにあぐらをかかず、自分じぶんだけの表現ひょうげんを勝かち取とろうともがいているようにも見みえる。彼かれの孵化ふかがいまは楽たのしみだ。
神奈川かながわ県けん・相模原さがみはらを拠点きょてんとするベッドルーム・ラッパー、松永まつなが拓馬たくまの最新さいしん作さく。2021年ねんにはEP「SAGAMI」をリリースし、2022年ねんには1stアルバム『ちがうなにか』を発表はっぴょうするとともにいまを羽はばたくトランス・カルト〈みんなのきもち〉とリリース・レイヴを敢行かんこうするなどアクティヴに活動かつどうをしていた彼かれが、1年ねん半はんに及およぶ沈黙ちんもくのなか、Miru Shinoda(yahyel)によるプロデュースのもと生うみ出だした力作りきさくだ。 アナログ・シンセサイザーによってゼロから作成さくせいされたトラックには、昨今さっこんの潤沢じゅんたくかつ利便りべん性せいに富とむDAW環境かんきょうでは探さがし当あてることのできないクリティカルな音おとの粒つぶが立たっており、そのすべてがユースのプロパーな表現ひょうげん手法しゅほうとは一線いっせんを画かくしている。リリックには男性だんせい性せいを脱だつ構築こうちくしたかのような新あたらしいスワッグさも漂ただよう特異とくいなバランス感覚かんかくがあり、エレクトロニカ~IDM的てきな領域りょういきへと移行いこうしつつありながらも、やはりバックボーンにはクラウド・ラップ以降いこうの繊細せんさいなヒップホップ・センスが横よこたわっている。ドレイン・ギャングの面々めんめんやヨン・リーンなどを輩出はいしゅつしたストックホルムの〈YEAR0001〉が提示ていじする美学びがくに対たいする、日本にっぽんからの解答かいとうがようやく出でるのかもしれない。まだ始はじまったばかり、これからの話はなしだけれど。
バイオグラフィをチェックしようとした我々われわれを突つき刺さす、プロフィール写真しゃしんの鋭するどい眼光がんこう。「過剰かじょうさ」が共通きょうつう項こうである2020sの新あらたな表現ひょうげんとは異ことなる、プレーンでエッジの効きいた、ソリッドなミニマリズムを感かんじさせるSSW・rowbaiの2年ねん2ヶ月かげつぶりとなるこの作品さくひんを、あえてクラウド・ラップというテーマになぞらえて取とり上あげたい。 前作ぜんさく『Dukkha』では「弱よわさの克服こくふく」をモチーフとしていた彼女かのじょが今回こんかい願ねがったのは「弱よわさの受容じゅよう」とのこと。朴訥ぼくとつとしたフロウから送おくり出だされるリリックには、足たりない、聞きこえない、見みえない、止とまれない……そうしたアンコントローラブルな不能ふのう感かんが随所ずいしょに織おり込こまれつつも、歌うたいたい、誰だれも邪魔じゃまできない、光ひかりが見みたい、ここにいたっていい……そうした自身じしんを鼓舞こぶしながらき手きてをエンパワメントする意志いしが交まじわり、暗くらくも明あかるい、痛いたみに寄より添そったケアとしての表現ひょうげん、慈愛じあいが感かんじられる。トラックはエレクトロニックとアコースティックを折衷せっちゅうした有機ゆうき的てきなデジタル・サウンドでヴァラエティに富とんでおり、まっすぐなポップ・センスで真正面ましょうめんから表現ひょうげんと向むき合あっている切実せつじつな印象いんしょうを作品さくひん全体ぜんたいに与あたえている。それでありながら、歌唱かしょうに振ふり切きることはなくあくまでもフロウとしての歌うたがある。現代げんだいのポップスがラップ・ミュージックといかに強つよく結むすびついているかを改あらためて考かんがえさせられてしまった。
松島まつしま広人ひろと
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