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Claire Rousay - Sentiment | クレア・ラウジー | ele-king
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Claire Rousay

AmbientExperimental

Claire Rousay

Sentiment

Thrill Jockey / HEADZ

Amazon

デンシノオト May 14,2024 UP

 気鋭きえいのアンビエント・アーティスト、クレア・ラウジーによる新作しんさくアルバム『sentiment』は、ラウジーのキャリアにとってきわめて重要じゅうよう作品さくひんとなるだけではなく、2024ねんのインディ・ロックとエクスペリメタル・ミュージックにおいても重要じゅうようきわまりないアルバムだ。
 この『sentiment』には、音楽おんがくとジャンルのかべをしなやかにえようとする意志いしがある。すくなくもわたしには、この2024ねんにおいて、インディ・ロックとエクスペリメンタル・ミュージックがこういったかたちでつながるとはおもってもみなかった(時代じだいは90年代ねんだいではないので……)。リリースは名門めいもん〈Thrill Jockey〉からというのも示唆しさてきである。レーベルがわからラウジーにアプローチをかけてきたようだが、レーベルの慧眼けいがんうなるしかない。

 ほんさく『sentiment』において、アンビエント・アーティストのクレア・ラウジーは、シンガーソングライターとして、きょくつくり、き、そしてうたっている。こえはオートチューンで加工かこうされているが、そのことによってかえってラウジーのパーソナルなめんかんじるようにもなっている。いわば生々なまなましさが抑制よくせいされることで、そのひと本質ほんしつがより表出ひょうしゅつした、というべきか。
 じっさいとてもパーソナルなアルバムだとおもう。『sentiment』には「孤独こどく、ノスタルジア、感傷かんしょう罪悪ざいあくかん」という感情かんじょうめられているという。しんいたみやくるしさを吐露とろしつつ、しかしそれらが自己じこへのセラピーになるようにうたわれている。
 しかし大切たいせつなことは、けっして人生じんせいへの否定ひていせいとどまってはいないてんだ。そこにはこのつら世界せかいを、わたしわたしとしてきていくというしなやかな意志いしがあるようにかんじられたてんである。なにより、ラウジーがつくしたメロディやサウンドからは前向まえむきなちからかんじるのだ。世界せかいちている「おと」への信頼しんらいもある。音楽おんがくあいし、音楽おんがくへの探究たんきゅうしんと、おとすことへのよろこびにちている。
 なにより大切たいせつなことは、「うたすこと」への気負きおいがないてんにある。すくなくともおと不自然ふしぜんさはない。これまでも盟友めいゆうモア・イーズとのともさくでポップなボーカルトラックをつくってきたラウジーだが、自身じしんのソロアルバムでボーカルきょくをメインに展開てんかいするのははつだった。にもかかわらず「うたうことと/うたわないこと」の境界きょうかいせんなど最初さいしょからなかったようのように、ある必然ひつぜんせいをもって、ごく自然しぜんうたはじめ、うたっているのである。
 もちろんこれまでどおりの環境かんきょう録音ろくおん楽器がっきおと主体しゅたいとしてアンビエントきょくもある。このアルバムはヴォーカルきょく半数はんすう以上いじょうめるが、アンビエント・トラックとの境界きょうかいせん曖昧あいまいだ。アルバムをとおしていているとまった違和感いわかんなく、きょくきょくつながっていくのである。ほんさく『sentiment』においてラウジーは、音楽おんがくはばひろがったというより、より自由じゆうになったというべきかもしれない。わかくしてこの境地きょうちいたったとはクレア・ラウジーとは、いったいどういう音楽家おんがくかなのだろう。

 ラウジーは、かつて打楽器だがっき奏者そうしゃとして活動かつどうしていた(岡村おかむら詩野しのによるクレア・ラウジーのインタヴュー参考さんこうにさせていただきました。本当ほんとう素晴すばらしいインタヴューです)。マスロックがきで、そこからスロウコアを発見はっけんし、やがてシカゴのロブ・マズレク(!)といになり、そこからトータスなどへさかのぼっていていったという。90年代ねんだい中盤ちゅうばん米国べいこくのオルタナティブなロックを時代じだい遡行そこうするように「発見はっけん」していったのだ。
 もちろん〈American Dreams〉や〈Ecstatic〉、〈Shelter Press〉などからアルバムをリリースしているラウジーは、アンビエント/エクスペリメンタル関係かんけいのアーティストとの交流こうりゅうさかんである。2024ねんもリサ・ラーケンフェルトの『Suite For the Drains』にリミックスで参加さんかしている。
 なによりラウジーは、自身じしん音楽おんがく見出みいだすためにボーカルレスのアンビエントサウンドを見出みいだしたということが興味深きょうみぶかい。もっとも本人ほんにん自分じぶんつくしたサウンドをアンビエントとはおもっていなかったようだが、ぎゃくにいえばラウジーにおいておと音楽おんがく差異さい優劣ゆうれつがなく、自由じゆう音楽おんがくそうつくしてきたことの証左しょうさになっているようにおもう。
 その意味いみで、「うたう」ことになったのは、ラウジーよ音楽おんがく遍歴へんれきかんがえると当然とうぜんのことだったはずだ。音楽おんがく音響おんきょううたは、ずっとラウジーのなかに「リスニング経験けいけん」としてあったのだから(かつてジム・オルークがうたしたことをおもすし、その意味いみでリスナーがた音楽家おんがくかであるといえる。ロブ・マズレクやトータスなどのシカゴの音楽家おんがくかたちとの共通きょうつうてんもそこにあるのかもしれない)。
 なによりそのきょくさにおどろいた。スロウコアというよりは、どこかビートルズてきなブリティッシュフォークにもちかいメロディだが、そのように時代じだい歴史れきし枠組わくぐみにとらわれないのもいま時代じだいならではの感性かんせいなのだろう。そもそもクレア・ラウジーにとって、おとこえ環境かんきょうおんもすべてが同列どうれつであって、そこに優劣ゆうれつはない。歴史れきしですらもフラットであり優劣ゆうれつがないはずだ。なによりうたこえ環境かんきょうおんも、同列どうれつ存在そんざいとしてひびいているのだ。
 
 アルバムにはぜん10きょく収録しゅうろくされている。〈HEADZ〉からリリースされた日本にっぽんばんCDにさらに追加ついかちょうしゃくアンビエントとうたぶつきょくが2きょく収録しゅうろくされた。構成こうせいとしてはオートチェンジャーで変換へんかんされたラウジーの歌声うたごえとギターとエレクトロニクスによるモダン・フォークといったおもむきのヴォーカルきょくが6きょく、ポエトリー・リーディング、環境かんきょうおん、ギター、電子でんしおんなどがかさなるインストのアンビエントきょくが4きょくおさめられている。
 アルバムは男性だんせいこえでラウジーの朗読ろうどくする“4PM”でまくける。こえ環境かんきょうおん交錯こうさくし、さながら映画えいがの1シーンのようなサウンドだ。朗読ろうどくは〈Students Of Decay〉や〈Longform Editions〉などから作品さくひんをリリースするサウンドアーティストのTheodore Cale Schafer。さきにビートルズてきいたがほんさくのコーダにらされるループするストリングスはビートルズの“good night”を弦楽げんがくおもわせるものがあった。
 2きょく“Head”、3きょく“It Could Be Anything”、4きょく“Asking For It”がボーカルきょくである。どのきょくもソングライティングがすぐれている。“Head”はほんさく代表だいひょうするボーカルきょくといえるが、その唐突とうとつ幕切まくぎれがみみつ。また“It Could Be Anything”などは構成こうせい、アレンジもかなりられた楽曲がっきょくである。ラウジーが影響えいきょうけたスロウコアというより、どこかフランク・オーシャンの『Blonde』(2016)をエクスペリメンタル・ミュージック経由けいゆでモダン・フォークとして仕上しあげたような印象いんしょう楽曲がっきょくだ。
 5きょくはヴァイオリンとチェロの硬質こうしつひびきがかさなるモダンクラシカルな楽曲がっきょくである。楽曲がっきょくわりにかうにしたがい、つるえ、ラウジーのギターがこえてくる。やがてそれすらえてかすかな環境かんきょうおんのみになる。見事みごと構成こうせいだ。
 6きょく“Lover's Spit Plays in the Background”はぜんきょくのムードをぎつつ、ギター、つる、そしてボーカルがおと空間くうかんかびがってくるアレンジが素晴すばらしい。ギターはラウジーが演奏えんそうしているがじつあじわいぶか演奏えんそうだ。まだはじめてまもないらしいがさすがというほかない。
 7きょく“Sycamore Skylight”はふたたびインストのアンビエントきょくである。キーボードのおとに、環境かんきょうおんしずかにレイヤーされ、とりこえひとこえこえてくる。そこに持続じぞくおんはじめ、音響おんきょう次第しだい変化へんかさせていく。ふたたこえてくるギターのアルペジオ。おだやかにして繊細せんさいなサウンドである。
 8きょく“Sycamore Skylight”でふたたびボーカルきょくだが、ぜんきょくのムードをグラデーションのようにシームレスにいでいる。9きょく“Please 5 More Minutes”は環境かんきょう録音ろくおんによるきょく。アルバム最終さいしゅうきょくである10きょく“ILY2”でボーカルきょくもどる。ギターのアルペジオとコーラスとアンビエントなシンセサイザーによるサウンドカードの交錯こうさく見事みごときょくである。このきょくには インディ・フォークのハンド・ハビッツが参加さんかしている。
 オリジナルはここで終了しゅうりょうするが、日本にっぽんばんCDにはさらにボーナストラックが2きょく収録しゅうろくされている。11きょくちょうしゃくのアンビエントきょく、12きょくはシンプルなボーカルきょく。この2きょくがまた上質じょうしつきょくなのだ。いかにもボートラといった不自然ふしぜんさはなく、まるでアルバムの最後さいごのピースのように違和感いわかんなくおさまっている。オリジナルばんいたほうもぜひともいてほしい楽曲がっきょくである。
 個人こじんてきもっとになったきょくは7きょく“Sycamore Skylight”だった。インストのアンビエントきょくだが、ヴァイオリンやエレクトロニクスとのかさねあいが絶妙ぜつみょうであり、クレア・ラウジーがこん実現じつげんしたいサウンドにかんじたからである。おだやかなちゅうゆめのようなおととでもいうべきか。ヴァイオリンはマリ・モーリス(Mari Maurice)で、これまでもラウジーの楽曲がっきょく参加さんかしている。また、マリ・モーリスは、モア・イーズのアルバムに参加さんかしている。
 これまでの経歴けいれきやアルバムの参加さんかメンバーをかんがえると、ラウジーの音楽おんがくはコミュニティと密接みっせつ関係かんけいがあることがかってくる。そこでき、そこで音楽おんがく演奏えんそうし、音楽おんがくつくること。ラウジーにとって、「アルバム」は、まさにそののとおり、人生じんせい記録きろくであり、人生じんせいあかしのようなものかもしれない。

 なにはともあれ2024ねん、インディ、フォーク、エクスペリメンタルなアンビエントをつなぐ重要じゅうようなアルバムである。なによりだれいても心地ここちよく、真摯しんしうつくしいアルバムである。おおくのひとみみ感性かんせいれてほしい作品さくひんだ。

デンシノオト