10月10日(火)の「おとなりさん」(文化放送)のゲストコーナー、「10時のおとなりさん」に半農半歌手のYaeさんが登場!加藤登紀子さんがお母様というYaeさんが、反抗しながらも歌手になった経緯や、半農半歌手という、現在の生活について詳しく伺った。
高橋優「Yaeさんに今いただいたポストカードに『楽しくなけりゃ人生じゃない、楽しくなけりゃ王国じゃない』と書いてあります」
Yae「そうなんです。21年前に他界した父(藤本敏夫さん)が遺した言葉です。やっぱり楽しくなきゃね、人生短いじゃない? だからいかに楽しい、幸せだなと思える時間を作れるか、その時間を過ごせるかっていうのを、私は楽しいを基準に生きて行こうと思って(笑)」
高橋「今スタジオに入って来られて、ライブを見ているかのような。入ってきて5分も経たずに我々2人、Yaeさんに心を掴まれてますが(笑)。まずは歌手を目指されたきっかけは何だったんですか?」
Yae「私はうちの母が歌手業だったこともありまして、毎朝音楽が流れてました。レコードだったんですけど、小学生の時に。うちの母がかける音楽もマニアックで、インドの音楽とかブラジルの音楽とか、アラブの音楽とかなんですよ。で、私は朝それを聴いて学校に行くと、もうアラブの音楽とかがずーっと頭の中流れてて(笑)、洗脳されていくじゃないけど、そのアラブの音楽を大人になって聴いた時に『懐かしいな~』って。その後ワールドミュージックにすごくハマってしまって、19歳の時にイスラエルの音楽をすごい聴きだして、『かっこいい!』と思って。で、色んなワールドミュージックを真似して歌ったりとかしてました! なんかブルガリア・ボイスとか、沖縄の発声とか、真似して遊んでたんですよね」
高橋「じゃあ、ちっちゃい頃から家で流れてる音楽が、体の中に浸透していって……プロのミュージシャンになってやろうって、そういうことではなく、自然とにじんだものが体の中から出てきた、みたいなニュアンスなんですかね?」
Yae「逆にもうね、歌手にだけはなりたくないって思っていたので(笑)」
高橋「ええ~っ!」
Yae「三姉妹の真ん中で次女なんですけど、すっごい反抗期が長くって、今でもちょっと反抗期かっていうぐらい、うちの母が言うことは絶対やらない! みたいな(笑)」
しかし音楽の魅力が忘れられなかったYaeさんは様々な紆余曲折を経験したのち歌手となったのだが……。
坂口愛美アナ「農業は、いつから関わって行ったんですか?」
Yae「農業は、まったくゼロだったんですよね。やる気もないし、よくわからないし。29歳の時に、このままでいいのかなって……都会に住みながら、まだ結婚もしていないし、いいのかな? っていう漠然とした不安がワーッてきて」
高橋「その頃にはもうデビューはされてて、音楽活動はされてる中で……」
Yae「してました。で、その時に私の父が、有機農業運動っていうのをずっとやってきた中で、リアルをちゃんと体現するフィールドとして千葉県鴨川市に『鴨川自然王国』というのを作ってたんですね。棚田が広がった、ずーっと里山の風景。そこに、棚田の休耕地を利用して畑にもしたりとか、カフェを作ったりとか。で、私の父がそれを残してくれたんですけど、そこにふらっと私がフィールドに入って。真夏でめちゃくちゃ暑かったんですよ。で、大豆畑がばーっと広がってて、そこでたまたま仕事をしていた若者がいて、『何か手伝います!』みたいな感じで。で、大豆の草を取ってるんだけど、大豆を取ったりして怒られたりしながら、草取りをしてフッと気付いたら、綺麗な畑がうしろにあって、自分がスッキリしてるんですよね。気持ちも、体もデトックスされたみたいな。これでいいんだなっていうのを凄い気付いたんですね。それが29の時で……」
その時に出会った若者が現在の旦那さんというYaeさん。この後もYaeさんを魅了した農業の素晴らしさについて、また息子さんに関する悩みなどを語ってくれた。気になる方は、radikoのタイムフリーでご確認ください。
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