無声映画は、タイトル(中間字幕)を入れ替えるだけでさまざまな言語の版を作成できる、際立って国際性なメディウムであった。染色・調色・ステンシルカラーといった無声映画特有の着色は、色変わりごとにスプライス(つなぎ目)が生じるのが難点だったが、タイトル挿入のための編集作業が必要な状況ではさほど障害にならず、豊かに花開いた。着色された各断片とタイトルを組み合わせて上映用プリントを1本ずつ手作業で仕上げるポジ編集のプロセスは、ドイツ語圏においては1920年代前半まで主流だった。
1920年代半ばから後半にかけて、機械現像の導入と扱えるフィルムの長さの伸長により、上映用プリント1巻分をスプライスなしに仕上げることが可能になった。またネガの複製に特化したフィルムの登場で、単一のオリジナルネガから各言語版のネガを複製しても十分な画質が得られるようになった。こうして近代的なネガ編集のシステムが完成すると、これにともなって着色はポストプロダクションのプロセス全体を阻害する要素となり、色変わりの頻度は減少した。単色染色は部分的に残ったが、やがて完全に消滅する。
そしてこのネガ編集こそ、1929年前後に起こったトーキー化の必須条件だった。トーキー化は音声の記録のみに関わる技術革新ではなく、映画フィルムを手工芸品から工業製品へと変貌させる、編集、複製、現像それぞれの領域における数年がかりの歩みがあってこそ、はじめて可能になったのである。
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