内容説明
「本は人生をすっかり変えてしまう。この事実を、ほかのどんな現代哲学よりもはっきりと証明してみせたのが、1950年代から60年代にかけて世界じゅうに広まった実存主義だった」
1933年、パリ・モンパルナスのカフェで3人の若者、 ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、レイモン・アロンが、 あんずのカクテルを前に、現象学について熱く語り合っていた。 ここから生まれた新しい思想「実存主義」は、 やがて世界中に広がり、第二次大戦後の学生運動、公民権運動へとつながっていく――
ハイデッガー、フッサール、ヤスパース、アーレント、メルロ=ポンティ、レヴィナス、カミュ、ジュネ……哲学と伝記を織り交ぜたストーリー・テリングで世界を魅了した傑作ノンフィクション。
27か国で刊行! ニューヨーク・タイムズ「今年の10冊」(2016年)
「哲学者」たちが、生を突きとおしたひとりの人間となって立ち上がってくる。かれらは、書き、喧嘩し、考え、酔っ払い、ダンスし、生きていた。
世界も自分も、どちらも手放さない思考はいかにして可能なのか。
―――永井玲衣
<本書より>
実存主義を脇へ追いやった華やかな思想たちも、すでにそれ自体がひどく古び、衰退してしまった。21世紀の関心事は、もはや20世紀後半の関心事と同じではない。もしかしたら、現代のわたしたちは新しい哲学を探しているのかもしれない。
それならば、試しに実存主義者たちを再訪してみてはどうだろう。
わたしたちはいつのまにか、際限なく監視され、管理され、個人情報を握られ、あらゆる消費財を与えられ、それでいて本心を語ったり、秩序を乱したりすることはいやがられ、人種や性や宗教やイデオロギーによる衝突が終わりにならない現状をつねに思い知らされている。(略)だからこそ、自由を論じたサルトルの著作を読むとき、あるいは抑圧の巧妙な仕組みを論じたボーヴォワール、不安を論じたキェルケゴール、反抗を論じたカミュ、科学技術を論じたハイデッガー、認知科学を論じたメルロ=ポンティを読むとき、最新の話題を読んでいるように感じることがあるのだ。
人種や階級のせいで迫害されている人たちや、植民地主義と闘う人たちにとって、実存主義は文字どおり視点を変えてくれるものだった。というのも、サルトルはどんな状況であれ、もっとも虐げられている人やもっとも苦しんでいる人からどう見えるかで判断せよと主張したからだ。
抽象的なことをいくら考えても難題を解決することはできない。わたしたちは実人生に即して考えるべきであり、最後にはみずからの存在すべてを背負って選択しなければならない。
フランスでは、ガブリエル・マルセルがジャン=ポール・サルトルを攻撃し、サルトルはアルベール・カミュと仲たがいし、カミュはメルロ=ポンティと仲たがいし、メルロ=ポンティはサルトルと仲たがいした。そしてハンガリー出身の知識人アーサー・ケストラーは全員と仲たがいし、路上でカミュを殴った。
哲学は人生のなかに置かれてこそおもしろくなり、同様に、ひとりひとりの人生経験は、哲学的に見ることでさらにおもしろいものになるとわたしは思っている。
目次
第1章 ねえあなた、実存主義ってなんておぞましいのかしら!
第2章 事象そのものへ
第3章 メスキルヒの魔法使い
第4章 世人(ひと)、良心の呼び声
第5章 ニワザクラを噛みく
第6章 自分の原稿を食べるなんてまっぴらだ
第7章 占領と解放
第8章 荒廃
第9章 人生の研究
第10章 ダンスをする哲学者
第11章 かくも深き対立
第12章 もっとも恵まれない者の目で
第13章 あのすばらしき現象学
第14章 いわく言いがたい輝き