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一般社団法人 日本エレベーター協会|昇降機百科|エレベーターの歴史・変遷

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エレベーター、エスカレーターをもっと知っていただくために

エレベーターの歴史れきし変遷へんせん

紀元前きげんぜん3世紀せいき古代こだいローマ時代じだいまれたエレベータは、19世紀せいき産業さんぎょう革命かくめい劇的げきてき技術ぎじゅつ進化しんかげました。重要じゅうよう社会しゃかいインフラとなったいまも、安全あんぜん快適かいてき、そしてより高速こうそくにたゆまぬ技術ぎじゅつ革新かくしんつづけられています。

歴史れきし

紀元前きげんぜん236ねん/エレベーターの起源きげん

滑車かっしゃとロープを使つかってろしをしたことをエレベーターの起源きげんとするなら、それは紀元前きげんぜん古代こだいローマ時代じだいにまでさかのぼるといいます。考案こうあんしゃは、浮力ふりょく発見はっけん正確せいかく円周えんしゅうりつもとめたことで有名ゆうめいなアルキメデス(紀元前きげんぜん287ねんごろ〜212ねん)。紀元前きげんぜん236ねんのこととしるされています。動力どうりょくはもちろん人力じんりきで、用途ようと荷物にもつようでした。

1835ねん動力どうりょく登場とうじょう

アルキメデス以来いらい手動しゅどうしき人力じんりき)エレベーターはひと搭乗とうじょう目的もくてきにしたものをふくめ、おおくの考案こうあんがあったとおもわれますが、人力じんりき以外いがい動力どうりょく導入どうにゅうされるまでには、じつに2せんねん以上いじょうものときながれが必要ひつようでした。
電力でんりょく記号きごう「W(ワット)」にそののこすジェームス・ワットが1769ねん発明はつめい(*)した蒸気じょうき機関きかんは、1835ねん、ついにエレベーターの動力どうりょくとしても登場とうじょうしたのです。蒸気じょうき機関きかんをきっかけとした産業さんぎょう革命かくめいなか一変いっぺんしたように、このとし以来いらい、エレベーターは飛躍ひやくてき進化しんかをとげることになります。しかし残念ざんねんなことに、それらのエレベーターは、構造こうぞうじょう危険きけんとなりあわせだったことも事実じじつなのです。

(*) 蒸気じょうき機関きかん理論りろんは1650ねんごろ発表はっぴょうされたが実用じつよういきのものではなく、ワットが革新かくしんてき改良かいりょうくわ実用じつようした。

1852ねん安全あんぜん装置そうち登場とうじょう

クリスタルパレス博覧はくらんかいで、安全あんぜん装置そうちきエレベーターの公開こうかい実演じつえんをするE・G・オーチス

蒸気じょうき機関きかん登場とうじょう以来いらい、エレベーター史上しじょう特筆とくひつすべきことは、E・G・オーチスによる「非常ひじょうとめ装置そうち」の発明はつめいでしょう。ロープがれたり、はずれたりする落下らっか事故じこがあることから人員じんいん輸送ゆそうようとしてはてきしていなかったエレベーターに、ついに安全あんぜん装置そうちがとりつけられたのです。
1852ねん発明はつめいされた安全あんぜん装置そうちは、2ねんの1854ねん、ニューヨークのクリスタルパレス博覧はくらんかいでセンセーショナルなデビューをかざります。会場かいじょう設置せっちされたエレベーターにオーチスみずからがみ、あつまったおおくのひとまえでロープをらせることで、その安全あんぜんせい実証じっしょうしたのです。

1903ねん近代きんだいエレベーターの原点げんてん

最新さいしんのエレベーターにも採用さいようされているカウンターウエイト方式ほうしき

安全あんぜん装置そうち発明はつめいいで特筆とくひつすべきことは、カウンターウエイト方式ほうしき登場とうじょうでしょう。「つりあいおもり」とやくされるこの方式ほうしきは、井戸いどのつるべとおな原理げんりで、エレベーターのかごとロープでむすばれた反対はんたいがわにおもりをるすことで、かごを効率こうりつよく昇降しょうこうさせるものです。
カウンターウエイト方式ほうしき登場とうじょうは、ふたつの革新かくしんをもたらしました。ひとつは高層こうそうビルへの設置せっち可能かのうにしたこと。換言かんげんするなら、この方式ほうしきのエレベーターの登場とうじょう高層こうそうビルの建築けんちく可能かのうになったともえます。そしてもうひとつは安全あんぜん性能せいのう飛躍ひやくてき向上こうじょうです。カウンターウエイト方式ほうしき登場とうじょうで、最上階さいじょうかいまたは最下さいかかいとおぎてしまう事故じこ激減げきげんすることになったのです。


変遷へんせん

1842ねん水戸みと偕楽えん

偕楽えん好文よしふみてい」のエレベーター

1842ねん天保てんぽう13ねん)に水戸みと藩主はんしゅ徳川とくがわひとしあきらによって水戸みと偕楽えん休憩きゅうけいしょ好文よしふみてい」に設置せっちされた、食事しょくじなどをはこちいさな運搬うんぱん日本にっぽんはつのエレベーターとされています。
すでにヨーロッパでは蒸気じょうき機関きかん利用りようはじまっていましたが、日本にっぽんはつのエレベーターは手動しゅどうでした。しかし構造こうぞうは「つるべしき」で、欧米おうべいでは1903ねんになって登場とうじょうした「カウンターウエイト方式ほうしき」に先行せんこうしていたとえなくもありません。

1890ねん日本にっぽんはつ電動でんどうしきエレベーター

浅草あさくさ凌雲りょううんかく
1890ねん11月完成かんせい

日本にっぽんはつ電動でんどうしきエレベーターは1890ねん明治めいじ23ねん)11がつ10日とおか完成かんせいした12かいての展望てんぼうだい凌雲りょううんかく(りょううんかく)」に設置せっちされました。しかしエレベーターの知識ちしきとぼしかった当時とうじ監督かんとく官庁かんちょうに「危険きけん」と判断はんだんされ、一般いっぱん利用りようはほどなく終了しゅうりょうしてしまうのです。また残念ざんねんなことに、歴史れきしてき建造けんぞうぶつでもある凌雲りょううんかくはその、1923ねん関東大震災かんとうだいしんさいおおきな被害ひがい解体かいたいされてしまいました。
11月10にちを「エレベーターの」と制定せいていされた由来ゆらいは、この凌雲りょううんかく(りょううんかく)にあります。

1933ねん当時とうじのモダニズム最前線さいぜんせん高級こうきゅうかんのあるエレベーター)

1933ねん昭和しょうわ8ねん)に、東京とうきょう日本橋にほんばし高島屋たかしまや設置せっちされたエレベーター。しんちゅうとガラスで造作ぞうさくされたとびら高級こうきゅうかんをかもししています。

1960年代ねんだい高度こうど成長せいちょうのエレベーター

東京とうきょうタワー 1958ねん12月完成かんせい
霞ヶ関かすみがせきビル 1968ねん4がつ完成かんせい

東京とうきょうオリンピックが開催かいさいされた1964ねん昭和しょうわ39ねん)。そのとし前後ぜんごして日本にっぽん全体ぜんたいがエポックメイキングのるつぼとしていた時代じだい、エレベーター産業さんぎょう例外れいがいではありませんでした。建築けんちく基準きじゅんほうやJISの制定せいていにより、またエレクトロニクス技術ぎじゅつ導入どうにゅうにより、製品せいひん規格きかくともな均質きんしつ安全あんぜん性能せいのう大幅おおはば向上こうじょう実現じつげんしたのです。
このころから、新形しんがたエスカレーターや乗用じょうようエレベーター、物流ぶつりゅう倉庫そうこなどの荷物にもつようエレベーター、病院びょういん寝台しんだいようエレベーターなど、設置せっち台数だいすう急速きゅうそく拡大かくだい、またマンションの建設けんせつ加速かそくするなど、すべての建物たてものへのエレベーターの標準ひょうじゅんすすみました。

1978ねん/ギネスブック掲載けいさい高速こうそくエレベーター

池袋いけぶくろサンシャイン60
1978ねん4がつ完成かんせい

70年代ねんだいはいると、すでに日常にちじょう生活せいかつなか浸透しんとうしていたエレベーターは、ハードめんはもちろんソフトめんでの安全あんぜん対策たいさく火災かさい地震じしん管制かんせいコントロール、予防よぼう・メンテナンス体制たいせい強化きょうかされるようになってきました。そして1978ねん昭和しょうわ53ねん)、世界せかい最高さいこうそくほこぶんそく600mの乗用じょうようエレベーターが池袋いけぶくろサンシャイン60に完成かんせい。そのスピードは「ギネスブック」にも掲載けいさいされたほどです。
そして今日きょういたるまでのすうおおくの技術ぎじゅつ革新かくしんかさねによって、より安全あんぜんで、より快適かいてきで、より高速こうそくで、さらに環境かんきょう配慮はいりょしたエレベーターが次々つぎつぎされてきました。

1993ねん国内こくない最速さいそくエレベーターの登場とうじょう

1993ねんてられた「横浜よこはまランドマークタワー」のエレベーターは、当時とうじ世界せかい最速さいそくぶんそく750m)で運行うんこうしていました。しかし、2004ねん完成かんせいした、台湾たいわん台北たいぺいの「TAIPEI 101」はぶんそく1010mで運行うんこうし、世界せかい最速さいそくとなりました。
※TAIPEI 101に設置せっちされた世界せかい最速さいそくエレベーターは日本にっぽん技術ぎじゅつ生産せいさんされています。

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