ぜんそくのため76さい急死きゅうしした落語らくごかつらざこばさんをしのび、MBSテレビ(大阪おおさか)が23にち追悼ついとう特番とくばんわらって、おこって、なみだもろかった…ざこばさん、ありがとう!」を放送ほうそう

一門いちもんかつらべいだんかつら南光なんこうかつらしおたいらとともに、同局どうきょく「ちちんぷいぷい」で共演きょうえんしていたタレントなるみ、すみ淳一じゅんいちもとアナウンサーが出演しゅつえんし、ざこばさんの生前せいぜん映像えいぞう高座こうざ姿すがたもオンエアされた。

84ねん放送ほうそう同局どうきょく「あどりぶランド」の模様もよう放送ほうそうされ、ざこばさんは「自分じぶんかおをどうおもうか」とかれ「男前おとこまえやないけど、わるくないとおもってます。このが」などと、喜怒哀楽きどあいらくをよくうつした自身じしん特長とくちょうにあげた。「一番いちばんきなひと」には、実父じっぷ以上いじょうしたった師匠ししょう桂米朝かつらべいちょうさんは「もちろん」としてよこき「横山よこやまやすしさんですかね」とこたえた。裏表うらおもてのなさではある意味いみちかしいめんもある希代きたい芸人げいにんをあげた。

生前せいぜんべいちょうさんが「とにかく、なににも世間せけんりませんからな。なんでもないことに感心かんしんしたり。稽古けいこせえいうたらずっと…」などと、みずからも息子むすこ同様どうようにかわいがったざこばさんへのおもいも放送ほうそうされた。

愚直ぐちょくともえるほどのまっすぐさは、ざこばさんの個性こせいのひとつで、テレビ画面がめんつうじても視聴しちょうしゃつたわり、あいされた。しんうごけばすぐに場面ばめんおおく、特番とくばんでは、「ちちんぷいぷい」からロケやめい場面ばめん放送ほうそうされた。

12ねん2がつ6にち放送ほうそうの「ちちんぷいぷい」では、購入こうにゅうした競走きょうそう「チョーマル」のレースをに、オーストラリアまで。ざこばさんは「(ぜんの)ちょうまる(ちょうまる)を弟子でしにやらずにうまにやった。こんなええ名前なまえ弟子でしにやるかいな」。レースでは最下位さいかい惨敗ざんぱい。「チョーマル、一番いちばんべべ(最後さいご)や」とい、レースには「ありがとうね(と、うまをなで)。なん言葉ことばもないわ。言葉ことばなんか…」とうと、おえつしながら言葉ことばてこなかった。

ざこばさんをあにしたったべいだんは「もちろんよくいていました。ご自身じしん落語らくごされるときにも…」。べいちょうさんがつくった「一文いちぶんふえ」をはじめてきゃくまえ高座こうざにかけたとき逸話いつわかした。

「スリがてくるシーンで『子供こどものころ、おもしてな』というセリフで、ご自身じしん子供こどものころ、おもしてやろね。もう、ブワーッていてもて」

なるみが「時間じかんくばかり?」とくと、べいだんは「そう、くばかり。でも、晩年ばんねん自然体しぜんたいはすごかった」と述懐じゅっかい。ざこばさんから「感情かんじょうれすぎや。もっとニュートラルにやれ」とわれたといい、「でも、実際じっさい、まねできへん」と、高座こうざでの技量ぎりょうにも感服かんぷくしたおもいをかたった。

南光なんこうも「登場とうじょう人物じんぶつ全部ぜんぶ、ざこばさんのものにして、きとしてはいってますしね」とい、べいだんは「にいちゃんの言葉ことばちからつよさ。みみにこびりついています。ざこばたましいわすれません。ざこばにいちゃん、ほんとにありがとう」と、旅立たびだったあにびかけていた。