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設立趣意書 - 日本平和学会ホームページ

設立せつりつ趣意しゅいしょ

 1960年代ねんだい後半こうはんから平和へいわ研究けんきゅう世界せかい各地かくちでの制度せいど傾向けいこうにはいちじるしい進展しんてんられる。しかし日本にっぽんにおいては、いま制度せいどとしての平和へいわ学会がっかい存在そんざいせず、戦後せんご28ねんてわれわれは、おくればせながら日本にっぽん平和へいわ研究けんきゅうちおくれについて自覚じかくせざるをえない状況じょうきょうちいたった。世界せかいでユニークな平和へいわ外交がいこう展開てんかいさるべき日本にっぽん外交がいこううごきの鈍重どんじゅうさの理由りゆうも、ここにひとつの原因げんいん発見はっけんさるべきであろう。これは日本にっぽん国内こくない問題もんだいとしてのみ提起ていきさるべきではない。むしろ、世界せかいてき問題もんだいとして提起ていきさるべきであろう。

 われわれは早急そうきゅうにこのちおくれを克服こくふくし、被爆ひばく体験たいけんざした戦争せんそう被害ひがいしゃとしての立場たちばからの普遍ふへんてき平和へいわ研究けんきゅう制度せいどしようとかんがえている。他方たほう、70年代ねんだい日本にっぽん今後こんごアジアの小国しょうこくたいしては、ふたた加害かがいしゃ立場たちば移行いこうする危険きけんせいをもしめしはじめている。日本にっぽん平和へいわ学会がっかいはあくまで戦争せんそう被害ひがいしゃとしての体験たいけんをすてることなく、将来しょうらい日本にっぽんふたた戦争せんそう加害かがいしゃになるべきでないという価値かちにもとづいた科学かがくてき客観きゃっかんてき平和へいわ研究けんきゅう発展はってんさせようとかんがえている。研究けんきゅう客観きゃっかんてき科学かがくてきであるべきであるが、研究けんきゅう方向ほうこうづけにおいてけっして道徳どうとくてき中立ちゅうりつせいはありえない。

 われわれは行動こうどう科学かがくてきかつ計量けいりょうてき研究けんきゅう方法ほうほう十分じゅうぶん使用しようすることはもちろんであるが、他方たほう伝統でんとうてき歴史れきしてきあるいは哲学てつがくてき方法ほうほう長所ちょうしょもすてることなく育成いくせいしてゆきたい。多様たよう研究けんきゅう方法ほうほう統合とうごうして長期ちょうきてき平和へいわ条件じょうけん確立かくりつするために役立やくだしん科学かがくてき客観きゃっかんてき戦争せんそう平和へいわかんする研究けんきゅう促進そくしん発展はってんさせることがほん学会がっかい設立せつりつしんのねらいである。

 われわれは研究けんきゅう成果せいか現存げんそん制度せいどによって利用りようされることをのぞむ。しかし他方たほう、われわれはけっしてたんなる政策せいさく科学かがくにとどまることに同意どういしない。現存げんそん制度せいどによる知識ちしき悪用あくようたいしてはえざる批判ひはんつづけるいわゆる批判ひはん科学かがくをも発展はってんさせたいとかんがえている。

 

昭和しょうわ48ねん9がつ

 

ちゅう

 ほん設立せつりつ趣意しゅいしょだい2だんにある「アジアの小国しょうこく」について、趣意しゅいしょかれた時点じてん意図いと判明はんめいしないが、現在げんざい観点かんてんからすると誤解ごかいまねきかねず、適切てきせつとはいえない表現ひょうげんであると判断はんだんする。しかし、ほん趣意しゅいしょ歴史れきしてき文言もんごんとしての性格せいかくかんがみて、趣意しゅいしょそのものをあらためるわけにはいかないと判断はんだんし、原文げんぶんのままとして、ほん注記ちゅうきすこととした。日本にっぽん平和へいわ学会がっかいは、日本にっぽん大国たいこくであるとかんがえるわけでも、アジアの国々くにぐに大国たいこく小国しょうこく区分くわけしようとする意図いとがあるわけでもないことをおことわりしておく。

(2004ねん11月6にちだい16理事りじかい