(セ・リーグ、巨人8-5阪神、7回戦、3勝3敗1分、3日、東京D)東京ドームに到着した29歳・邨田直人&23歳・中屋友那のトラ番ダブルエースはグラウンドを見てビックリ。練習している巨人の選手が全員、背番号3のTシャツ姿だったのだ。
「長嶋さんの日というのは、分かるんですが、阪神選手があいさつに行っても、相手が誰なのか分からなくて…」
邨田は思わぬ〝試練〟に苦笑いだった。
長嶋茂雄DAY。偉大なるミスタージャイアンツをたたえる日の相手として、阪神以上にふさわしいチームはない。伝統の一戦を繰り広げてきたライバルだから。
ただ、長嶋さんの栄光の日々は、同時に阪神がここ一番で苦しめられ続けた歴史でもある。
天覧試合のサヨナラホームランに始まり、V9時代は村山実&江夏豊というダブルエースが決死の覚悟で挑み、数々の名勝負を繰り広げながらも、最後の最後は長嶋さんが立ちはだかってしまうのだ。
時は流れて1992年秋。監督復帰した長嶋さんはドラフト会議で4球団競合の末、熱狂的虎党・松井秀喜の指名権を獲得する。
先にくじを引いたダイエー、中日は外し、残るは2枚。当時の阪神監督・中村勝広は「下」を引いてしまう。前日、高知から東京への移動は天候不順で新幹線が名古屋駅でストップ。編成会議に間に合わないアクシデントに見舞われていた。
「下(地上)で移動するからですよ。上(飛行機)だったらあんな災難に遭わなかったのに」
長旅を同行したトラ番記者から冷やかされていた。なのに、中村監督は「下」に手を伸ばし、松井は巨人に、いや長嶋さんに持っていかれる。