だけどぼくらはくじけない―井上いのうえひさし歌詞かし集しゅう―

　井上いのうえひさしは言葉ことばの泉いずみである。
　はじめちょろちょろ、中ちゅうぱっぱ、あげくの果はては大だい洪水こうずい。「魔法使まほうつかいの弟子でし」状態じょうたいに至いたる。
　言葉ことばから言葉ことばへの八はち艘そう跳とびで、その跳躍ちょうやくの筋力きんりょくのもとは音おとの響ひびき（つまり韻いん）であり、意味いみの連想れんそうであり、類語るいご連鎖れんさであり、パロディー力りょくだ。留とまるところを知しらない。
　駄洒落だじゃれ、地口じぐち、秀句しゅうく、縁語えんご、みな日本にっぽんの文芸ぶんげいに古代こだいから伝つたわる技法ぎほうだ。六歌仙ろっかせんから戯作げさく者しゃまで、文芸ぶんげい職人しょくにんたちはいわば言葉ことばのジャグラーである。いつでも手ての上うえで言葉ことばのお手玉てだまをしている。
　百人一首ひゃくにんいっしゅ、小式部内侍こしきぶのないしの「大江山おおえやまいく野のの道みちの遠とおざければまだふみも見みず天あまの橋立はしだて」は三さん十じゅう一いち字じのうちの十じゅう五ご字じが地名ちめい、そこに「行いく」と「文ぶん」の掛詞かけことば。超絶ちょうぜつ技巧ぎこうと言いえる。
　この歌うたには背後はいごにエピソードがある。若わかい歌人かじんの母ははは和泉式部いずみしきぶ、歌うたの名手めいしゅとして世よに聞きこえていた。さる歌合うたあわせに出でた娘むすめは母ははの代作だいさくを出だすのではないかと疑うたがわれる。母ははは遠とおい天あまの橋立はしだてにいる。「お母かあさんから手紙てがみは来きましたか」という邪推じゃすいを即興そっきょうで打うち返かえした機知きち。相手あいては返歌へんかもせずに逃にげたと。
　言葉ことばは制度せいどに先行せんこうする。だから言葉ことばは自由じゆうだ。
　伝つて永井ながい荷風かふうの短篇たんぺん「四畳半よじょうはん襖ふすまの下しも張はり」をめぐるワイセツ云々うんぬんの裁判さいばんでひさしさんは丸谷まるや才一さいいちさんに選えらばれて証人しょうにん席せきに立たった。そこで自分じぶんはテレビの時報じほうで「精せい工こう舎しゃの時計とけいが十じゅう二に時じを……」と言いうのを聞きいてすぐ「性交せいこう者しゃ」という言葉ことばを連想れんそうする者ものであると言いった。一事いちじが万事ばんじ。だから本書ほんしょにあるとおり「思おもっただけでは、罪つみじゃない」のだ。官憲かんけんに脳のう内ないの妄想もうそうを取とり締しまる権限けんげんはない。
　うまい言葉ことばは人ひとの頭あたまに住すみ着つく。節ふしがついていると耳みみに住すみ着つく。英語えいごでは耳みみの虫むし（イヤワーム）と言いう。だから「すきすきソング」の歌詞かしを見みたとたんにアッコちゃんがぼくの耳みみに襲来しゅうらいして、たぶんこれから数日すうじつは離はなれないだろう。まこと迷惑めいわくである。
　ひさしさんは、笑わらいのめす、洒落しゃれのめす、茶化ちゃかす、茶ちゃにする。ひさしさんは思おもい詰つめない。悩なやまない。すなわち「泣なくのはいやだ笑わらっちゃおう」の精神せいしん（「ひょっこりひょうたん島とう」のテーマソング）である。笑わらいの連鎖れんさ反応はんのうを使つかって世間せけんを活性かっせい化かする。これが世間せけんであって社会しゃかいではないところが大事だいじ。人間にんげんくさいのだ。
　真面目まじめになっても「吉里吉里きりきり国歌こっか」まで。これは凜々しい。そして東北とうほく方言ほうげんを堂々どうどうと用もちいるところは宮沢みやざわ賢治けんじの流ながれを汲くむもので、その一方いっぽう、『國語こくご元年がんねん』の主人公しゅじんこう南郷なんごう清之きよゆき輔の努力どりょくをひっくり返かえすものだ。
　で、その国歌こっか――

吉よし（ち）里さと（り）吉よし（ち）里さと（り）人ひと（づん）は眼め（まんなご）はァ静せい（すんず）がで
鼻はな（はんな）筋すじ（すづ）と心しん（こんごろ）はァ真まっ直じき（つ）ぐで
顎あご（おとげえ）と志こころざし（こんごろざす）はァ堅けん（かんだ）くて
唇くちびる（くんづびる）と礼れい（れん）儀ぎ（ぎ）はァ厚あつえんだちゃ

吉里吉里きりきり人じんは眼めはァ澄すんで居きょ（え）で
頬ほお（ほ）ぺたと夢ゆめ（ゆんめ）はァ脹（ふぐ）れでで
男おとこ（だ）性せい（ん）器うつわ（べ）と望もち（のんぞ）みはァ大だい（おっ）きくて
女性じょせい器き（べちょこ）と思おもえ（す）慮おもんばか（りょ）はァ練ねれでえんだちゃ

　ふふふ、国歌こっかに「だんべ」と「べちょこ」が出でてくるところがひさしさんの本領ほんりょう。

　パロディーではひさしさんには敵てきわない。それを承知しょうちで自作じさくを披露ひろうしておこう――

わたしがおねむに　なったとき
やさしくねんねん　こもりうた
うたってねかせて　くださった
ほんとにやさしい　おかあさま

おまえがぐずぐず　おきてると
わたしといとしい　おとうさま
たのしいことが　できません
さっさとねなさい　バカむすめ

（いけざわ・なつき　作家さっか）
波なみ　2023年ねん4月がつ号ごうより
単行たんこう本ほん刊行かんこう時じ掲載けいさい