縁切えんきり上等じょうとう！―離婚りこん弁護士べんごし　松岡まつおか紬つむぎの事件じけんファイル―

「離婚りこん」の二に文字もじは重おもい。
　経験けいけんして四半世紀しはんせいきが経たつけれど、未いまだにそう感かんじる。婚姻こんいん歴れきを訊きかれれば（今いまどきそんな不躾ぶしつけな人ひとはそうそういないようでわりといる）、「バツイチです」と答こたえることに何なんの屈託くったくもないが、身みの回まわりで「離婚りこん」という言葉ことばを見聞みききすると、ずん、と気持きもちが重おもくなる。
　本書ほんしょの主人公しゅじんこう・松岡まつおか紬つむぎは、その離婚りこんを専門せんもんとする弁護士べんごしだ。北きた鎌倉かまくらで七なな百ひゃく年ねん以上いじょう続つづく、縁えん切きり寺てらの一いち画かくという離婚りこん事件じけんを扱あつかうにはうってつけの好こう立地りっちに「松岡まつおか法律ほうりつ事務所じむしょ」を構かまえ、依頼人いらいにんを待まち受うけている。
「バツイチ」が既すでに結果けっかになっている状態じょうたいを表あらわす言葉ことばなのに対たいして、「離婚りこん」には現在進行形げんざいしんこうけいの難題なんだい、という印象いんしょうが強つよくある。離婚りこんを考かんがえてる。離婚りこんしたい。離婚りこんしよう。離婚りこんする。離婚りこんしたくない。離婚りこんできない。いずれにしても道みちは険けわしく、気力きりょくも体力たいりょくも削けずられる。紬つむぎはそうした依頼いらい者しゃ各々おのおのの離婚りこんに関かんする相談そうだんにのり、婚姻こんいん歴れきや子供こどもの有無うむ、資産しさんや収入しゅうにゅう、希望きぼう条件じょうけんを聞きき、難題なんだいの最適さいてき解かいを導みちびき出だす。
　とはいえ、齢よわい三さん十じゅうを過すぎた紬つむぎ自身じしんは一いち度ども結婚けっこんしたことがない。相手あいてがいないわけではない。紬つむぎは西洋せいよう人形にんぎょうのような、息いきをのむほどの美人びじんで童顔どうがん。顔かおは整ととのっているが部屋へやの整理せいり整頓せいとんは苦手にがてという弱点じゃくてんはあるものの、ふんわりした雰囲気ふんいきで、なんならモテ飽あきているほどだ。縁えん切きり寺てらとして名高なだかい東あずま衛まもる寺てらの住職じゅうしょくを五ご年ねん前まえに引退いんたいした父ちちの玄げん太郎たろうは、娘むすめがいずれ身寄みよりのない寂さびしい老後ろうごを迎むかえることになったら不憫ふびんだとの親心おやごころからあれこれ口こうを出だすが、本人ほんにんに、まったくその気きがないのだ。
　夫おっとから追おわれている窮地きゅうちを救すくった女性じょせいから、「結婚けっこんしたことのない人ひとに、離婚りこんしたい人ひとの気持きもちが分わかるんですか？」と、僻ひがみとマウント込こみの意地いじ悪わるい質問しつもんをされても、「分わかりますよ」と即答そくとうし、紬つむぎはこう続つづける。「私わたしね、結婚けっこんって意味いみ不明ふめいだと思おもう。だから結婚けっこんをやめる人ひとの手伝てつだいなら、進すすんでやるのよ。みんな結婚けっこん、やめちゃえーって思おもってるから」。結婚けっこんはしていない。今後こんごもする予定よていはない。そこに迷まよいも揺ゆるぎもないのである。
　五ご話わが収おさめられた物語ものがたりは、そんな紬つむぎだけでなく、「松岡まつおか法律ほうりつ事務所じむしょ」のメンバーの視点してんからも綴つづられていく。第だい一いち話わの依頼人いらいにんで後のちに事務じむ員いんとして働はたらき始はじめる小山田おやまだ聡美さとみ。実家じっかが東あずま衛まもる寺てらの近所きんじょで紬つむぎの幼馴染おさななじみでもある事務所じむしょ専属せんぞくの探偵たんてい・出雲いずも啓介けいすけ。娘むすめの紬つむぎには甘あま々で、口くちも手ても金かねも出だすものの十じゅう数すう年ねん前まえに離婚りこんした傷きずが今いまも癒いえずにいる松岡まつおか玄げん太郎たろう。依頼いらい者しゃたちの最適さいてき解かいを導みちびき出だす過程かていで浮うかび上あがるちょっとした違和感いわかんを、啓介けいすけの調査ちょうさと紬つむぎの閃ひらめきで明あきらかにしていく謎なぞ解ときの要素ようそも痛快つうかいだが、もちろん「離婚りこん」問題もんだいの知識ちしきも深ふかまる。難題なんだいの傾向けいこうと対策たいさくを学まなべるのは心強こころづよい。
　第だい四よん話わで「離婚りこんしたいんです」と紬つむぎに切きり出だすのは、精子せいし提供ていきょうを受うけて産うんだ十じゅう一いち歳さいの娘むすめがいる女性じょせいだ。同性どうせい婚こんで法律ほうりつ上じょうは入籍にゅうせきできていないため、一般いっぱん的てきな「離婚りこん」とは、諸しょ条件じょうけんが異ことなるという現実げんじつに、そうだったのか、と多おおくの読者どくしゃが唸うなるだろう。最終さいしゅう話ばなしでは、聡美さとみの元夫もとお・亮介りょうすけの問題もんだいが再ふたたび持もちあがり、養育よういく費ひに関かんする生々なまなましくシビアな数字すうじが提示ていじされる。良質りょうしつなお仕事しごと小説しょうせつならではの「知しる喜よろこびと楽たのしさ」もたっぷり味あじわえることは確約かくやくだ。
　加くわえてそうしたノウハウやデータ情報じょうほう以上いじょうに、心しんにぶっ刺ささる描写びょうしゃや台詞せりふが随所ずいしょにあるからたまらない。家事かじや育児いくじの手伝てつだいを頼たのむと、「じゃあお前まえは、俺おれの仕事しごとを手伝てつだってくれるわけ？」と言いう聡美さとみの夫おっと。その亮介りょうすけが、「ねえ、スプーン」と口くちにする場面ばめんの〈亮介りょうすけは、落おとしたスプーンを拾ひろえと言いっている。新あたらしいスプーンを用意よういしろと言いっている。それも聡美さとみの仕事しごとだと〉と続つづく描写びょうしゃ。女性じょせい弁護士べんごしである紬つむぎのもとへ離婚りこん相談そうだんに訪おとずれるのは圧倒的あっとうてきに女性じょせいが多おおい理由りゆうを〈女性じょせいを「先生せんせい」として敬うやまい、その「先生せんせい」から指図さしずされるのも居心地いごこちが悪わるい。相手あいてが若わかい女性じょせいならなおさらだ〉と多おおくの男おとこは感かんじるからだという啓介けいすけの考察こうさつ。駆かけ落おちし家かを出でて行いった元もと妻つまの時とき希子のりこが、現在げんざい飼かっているという金魚きんぎょの画像がぞうを紬つむぎから見みせられて、どんな感慨かんがいを抱いだけばいいのか困惑こんわくしながら玄げん太郎たろうが口くちにする「ひらひらしてるな」という言葉ことば。
　依頼人いらいにんにも紬つむぎにも、啓介けいすけにも玄げん太郎たろうにも、過去かこがあり傷きずがある。婚姻こんいん関係かんけいだけでなく、様々さまざまな関係かんけい性せいについても考かんがえずにはいられなくなるし、たとえ離婚りこんとは無縁むえんだと思おもっていても、思おもわぬところで自分じぶんと重かさなり、頭あたまを掻かきむしりたくなることもありそうだ。絡からみ合あう縁えんを都合つごうよく断たち切きる難むずかしさは、大人おとなになれば、たぶん誰だれもが知しっている。
　でも、それでも。「離婚りこん」の重おもさはきっと少すこしだけ軽かるくなる。「明日あした」のために、「今いま」読よまれたい物語ものがたりだ。

（ふじた・かをり　書評しょひょう家か）
波なみ　2023年ねん7月がつ号ごうより
単行たんこう本ほん刊行かんこう時じ掲載けいさい