国際宇宙ステーション搭載の高エネルギー電子・ガンマ線観測装置(CALET) による測定
10テラ電子ボルト領域でエネルギースペクトル”軟化”を検出
発表のポイント
国際宇宙ステーション搭載の宇宙線電子望遠鏡(CALET)が、10テラ電子ボルト領域で銀河宇宙線の主成分である陽子のエネルギースペクトル軟化を高精度に観測することに成功しました。
これまで、観測の難しさから実験間によるばらつきが大きかったため、精度が高く測定されておらず、スペクトル全体の総合的理解が困難な状況でした。
広範囲でのエネルギー領域でスペクトル構造の高精度観測を達成したことは、超新星残骸での宇宙線加速機構や銀河内での宇宙線伝播機構の解明に重要な貢献となると期待されています。
早稲田大学理工学術院総合研究所主任研究員 小林 兼好(こばやしかずよし)、早稲田大学名誉教授・CALET代表研究者 鳥居 祥二(とりいしょうじ)、シエナ大学教授 Pier S. Marrocchesi、と宇宙航空研究開発機構(JAXA)及び国内他機関、イタリア、米国の国際共同研究グループ(以下、本研究グループ)は、国際宇宙ステーション(ISS)・「きぼう」日本実験棟の船外実験プラットフォームに搭載された宇宙線電子望遠鏡(CALET:高エネルギー電子・ガンマ線観測装置)を用いて、銀河宇宙線の主成分である陽子の10テラ電子ボルト領域で、エネルギースペクトル軟化を高精度に観測しました。
「きぼう」で定常観測を継続するCALET*1は50ギガ電子ボルトから60テラ電子ボルト*2の広いエネルギー領域で、宇宙線陽子スペクトル*3、4の高精度直接観測に成功しました。これまでに発表しているテラ電子ボルト領域に至る漸次的な「スペクトル硬化*5」に続いて、さらに60テラ電子ボルト領域まで観測領域を拡大して、「スペクトルの軟化*6」を新たに測定しました。この結果は、これまでのCALETによる宇宙線諸成分(電子、炭素、水素、鉄、ニッケルなど)の観測*7とともに、銀河宇宙線の加速*8・伝播機構のモデル検証のために重要な情報を提供するものです。
宇宙線は約100年前に発見されて以来、常に物理学の最先端のテーマでした。様々な飛翔体による観測の結果を総合して、「超新星残骸における衝撃波によって加速され、銀河磁場によって拡散的に伝播して銀河外へ漏れ出す」という”標準モデル”による理解が進んでいます。このモデルでは、地球で観測される宇宙線スペクトルの形状は単調な冪(べき)型のスペクトル*9が予測されます。しかし、近年の気球や人工衛星、ISSによる直接観測で、この予測に反する数100ギガ電子ボルトにおけるスペクトルの単一冪からのズレとして、スペクトルの硬化が報告されています。これは”標準モデル”では理解できない結果であり、宇宙線の加速・伝播機構モデルについてパラダイムシフトの必要性を示唆しており、その解釈をめぐって現在活発な研究が繰り広げられています。
このたび本研究グループがCALETを用いて観測したエネルギー領域は、これまで磁気スペクトロメータ(PAMELA、AMS-02)とカロリメータ型検出器(ATIC、CREAM、NUCLEON、DAMPE)の2種類の検出器によって別々にカバーされていました。CALETは宇宙空間から初めて、全領域を単独の検出器として観測することに成功しました。これまでの測定結果では、気球に搭載されたカロリメータ型検出器によるテラ電子ボルト領域の観測結果は、エネルギー決定の難しさもあって比較的大きなばらつきを持っていました。磁気スペクトロメータによる約1テラ電子ボルト以下での高精度測定と比較して、スペクトル全体の総合的理解が困難な状況であったと言えます。一方で、本研究グループによるCALETの測定結果は、この積年の懸案事項を解決し、首尾一貫した実験的描像を描くことを可能にします。信頼性の高い宇宙線陽子スペクトルは、暗黒物質の間接探索や大気および宇宙ニュートリノ、ガンマ線天文学にも使用される重要な基礎データでもあります。
本研究成果は国際学術雑誌『Physical Review Letters』オンライン版に2022年9月1日(木)に掲載されました。また、本論文は同誌のハイライトとして“Editor’s Suggestion”に選ばれています。
論文名称:Observation of Spectral Structures in the Flux of Cosmic-Ray Protons from 50 GeV to 60 TeV with the Calorimetric Electron Telescope on the International Space Station.
(1) これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)
近年の目覚ましい発展により明らかになってきた、エックス線やガンマ線を含む宇宙における高エネルギー放射の最終的な理解には、その源となっている荷電宇宙線の理解が必須となります。これは、電波や赤外・可視光等の電磁波スペクトルが主に、黒体輻射に代表される熱的放射を観測しているのに対し、冪型スペクトルによって特徴づけられる非熱的放射の背景には必ず宇宙線の加速と伝播が隠されているためです。
地球に降り注ぐ宇宙線、そのなかでも特に銀河宇宙線を観測するには、大気の希薄な高い高度で直接捉える(直接観測)ことが不可欠です。そのため、国内外で飛翔体を用いた様々な装置が考案され、観測が実施されてきました。この結果、「超新星残骸における衝撃波によって加速され、銀河磁場によって拡散的に伝播して銀河外へ漏れ出す」という”標準モデル”による理解が進んでいます。
さらに2000年代に入ってからは、素粒子実験で開発された粒子検出技術を駆使して、南極周回気球や宇宙機による高精度な観測が実施されています。その結果、陽子を含む主要な原子核成分に対して、”標準モデル”の予測する単純な冪形状からのずれ「スペクトル硬化」が示唆されています。これは宇宙線の加速や伝播機構に新たな仮説を導入した理論モデルの必要性を示唆しており、数多くの理論モデルが提案され、活発な議論が繰り広げられています。宇宙線の主成分である陽子やいくつかの原子核については、CALETの観測でもスペクトルの硬化を既に報告しており、スペクトル硬化の高精度観測に注目が集まっています。
(2) 今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
陽子は宇宙線の主成分であり、宇宙における高エネルギー放射を理解する鍵として、最も詳しく調べられてきました。2010年代にはPAMELA衛星と国際宇宙ステーション搭載AMS-02が共に数百ギガ電子ボルト領域におけるスペクトル硬化を検出しました。高エネルギー側ではカロリメータ型検出器CREAMやATICなどの気球観測結果があり、全体としてスペクトル硬化を示しているのですが、観測の難しさから実験間によるばらつきが大きくなっています。特に重要な高エネルギー側の冪の値に関しては、カロリメータ型検出器がAMS-02の測定値よりもさらに硬い冪を示唆しているものの、磁気スペクトロメータとの整合性をチェックできる低エネルギー側の冪が精度良く測定されておらず、エネルギー測定における系統誤差の可能性が残ってしまっている状態でした。
CALETは広いエネルギー測定範囲と確実な装置較正により、磁気スペクトロメータとカロリメータ型検出器によってカバーされていた領域を単独の検出器として高精度に観測することに成功し、2019年の論文*10でスペクトル硬化を観測しました。その後同じカロリメータ型検出器DAMPEによってこの結果は追認されています。今回の本研究グループによるCALETの観測では、このエネルギー領域を10テラ電子ボルト以上まで拡大し、スペクトルの軟化が急激に起きていることを高精度に検出しています。
(3) 今回の研究で得られた結果及び知見
CALETによって科学観測を開始した2015年10月13日から2021年12月31日までのデータを用いて、測定された陽子のエネルギースペクトルを図1に示しました(赤点)。灰色のバンドはCALETの観測に伴う現時点での系統誤差を含む全誤差です。今回の観測は、CALETの前回の陽子スペクトル観測( https://www.waseda.jp/top/news/64883:2019年5月発表)の後に発表された、青色で示したDAMPE実験とは絶対値も誤差の範囲内で一致しています。
カロリメータによる原子核測定は独自の利点はあるものの難しさも大きく、系統誤差の見積もりも容易ではありません。CALETでは、加速器ビームによる性能検証実験やシミュレーション計算を駆使して詳細な系統誤差の評価を実施しています。
今回のCALETの観測において、50ギガ電子ボルトから60テラ電子ボルトという3桁以上にわたる広いエネルギー領域でスペクトル構造の高精度観測を達成し、あらたに10テラ電子ボルト領域でのスペクトル軟化が急激に起こっていることを検出しました。この結果は、超新星残骸での宇宙線加速機構(特に加速最大エネルギー)や銀河内での宇宙線伝播機構の解明に重要な貢献が期待できる観測結果として注目されています。
(4) 研究の波及効果や社会的影響
宇宙線は星の進化の過程で生成された元素が、特にその最終段階で超新星爆発などにより宇宙空間にばら撒かれ、超新星残骸で生成された衝撃波によって加速されると考えられています。しかし、この衝撃波加速やその後の宇宙空間への拡散などについては、まだまだ不明な部分が多く、その解明には宇宙線諸成分のエネルギースペクトルの高精度観測が不可欠です。
CALET は世界で初めて宇宙機に搭載された宇宙線シャワーを可視化できるカロリメータ型の観測装置です。CALET開発以降では、同種の観測装置である中国のDAMPE と米国のISS-CREAM が打ち上げられているます。カロリメータ型の観測装置に対して、磁石を採用したマグネットスペクトロメータ型のPAMELA とAMS-02 が、電荷の正負の判定による反粒子を含む観測に現在成果を挙げています。カロリメータ型装置は、電荷の正負は判定できないものの、エネルギー測定がテラ電子ボルト以上まで可能です。これに対して、マグネットスペクトロメータ型装置は、テラ電子ボルト領域以下の観測に限られています。このため、両者はお互いの利点を生かして相補的な観測を実施しています。こうしたなかで、CALETはこれまで高精度観測が困難で未開拓な領域であったテラ電子ボルト領域での観測において成果をあげています。
本研究グループによる今回の成果は、宇宙線の主成分である陽子の精密なスペクトル構造を観測しており、10テラ電子ボルト以上でのスペクトルの軟化は、衝撃波加速の限界エネルギーについて新たな知見を与えるだけでなく、新たな加速機構の検証としても重要な発見であると考えています。このように宇宙線の研究は宇宙物理学の大きなテーマであり、宇宙の仕組みを理解する上で重要な貢献をもたらします。さらに、宇宙線は、さまざまな元素を絶え間なく宇宙から地球へもたらしており、宇宙における物質の創成・循環に重要な役割を果たしていると考えられています。従って、その精密な情報を得ることは地球環境の理解にとっても重要であると言えるでしょう。
(5) 今後の課題
スペクトル硬化の現象は陽子だけでなく炭素、酸素に関しては観測されました。ヘリウムにおいても核子あたり数百ギガ電子ボルトの領域にて冪の変化が示唆されています。これまでの宇宙線加速・伝播機構の理論的解釈では、このエネルギー領域での冪の変化を説明することが難しく、新たな加速and/or伝播機構による解明が急がれています。CALETではヘリウムや未発表の重原子核でも、カロリメータ型検出器による高精度な観測結果を今後発表する予定です。
スペクトル硬化の原因として提案されている理論モデルの正否の判定には、ホウ素/炭素比のエネルギー依存性の観測も重要な役割を果たします。炭素や酸素は、星の元素合成過程で生成され、超新星爆発に伴う衝撃波で加速され星間空間に放出される一次成分です。これに対し、ホウ素は一次成分の宇宙線が銀河内を伝播中に星間物質と相互作用してできる二次的な成分です。そのため、ホウ素/炭素比の測定が銀河内伝播の拡散過程を定量的に理解する上で重要になるからです。CALETは既にホウ素/炭素比テラ電子ボルト領域までの観測を実施しており、これまでの観測結果からスペクトル硬化の解明への貢献が可能になると考えられます。
一方、超新星残骸における衝撃波加速は”標準モデル”の中心的仮説であり、電荷に比例した加速限界を予言します。超新星残骸で達成可能な最高エネルギーは典型的に、陽子で60テラ電子ボルトと見積られています。しかしながら、地上にて観測された宇宙線の3ペタ電子ボルト付近でのスペクトルの軟化(スペクトルの形状が足の膝に似ているので、ニー:Kneeと呼ばれている。) が示唆しているのは、超新星残骸での衝撃波加速が限界を迎え、宇宙線組成が電荷に比例して軽原子核からより重原子核へシフトすることによる構造と考えられています。この間接測定によるKneeを、上記の超新星残骸モデルで理解(できるかどうかを含めて)するため、今回の陽子スペクトル軟化の観測は決定的な役割を果たすことができます。
CALETは今後、さらにデータを蓄積し、また高エネルギー側での系統誤差を減らすことにより、重原子核成分(炭素、酸素、鉄など)の10テラ電子ボルト(核子あたり)領域での観測に加えて、100テラ電子ボルトを超えるエネルギー領域の陽子・ヘリウムスペクトルを決定することで、電荷に比例する加速限界の検証を目指します。
(6) 用語解説
1:CALET(高エネルギー電子・ガンマ線観測装置)
- 2015年8月に国際宇宙ステーションに搭載され、同年10月より宇宙線観測を開始した宇宙線電子望遠鏡「CALET」は、日本の宇宙線観測としては初めての本格的な宇宙実験で、すでに7年以上安定的な観測を行っています。高エネルギー電子の高精度観測に最適化されたユニークな装置ですが、確実な電荷決定と広いエネルギー測定範囲により、陽子や原子核成分の観測にも強力な性能を有しています。CALETの主となる検出装置は「カロリメータ」と言い、ここに飛び込んでくる宇宙線を捉えて観測することになります。カロリメータは、図2のように3つの層からできています。
- 図2の第1の層(CHD)では粒子の電荷を測定し、入射粒子の電荷を測定します。第2の層(IMC)では、主に粒子が飛んできた方向を測定します。そしてもっとも厚みのある第3の層(TASC)で、宇宙線が吸収されて生じる「シャワー」の発達の様子からその宇宙線のエネルギーや種類を特定します。この3つの層から得られる情報を統合することで、その宇宙線についてかなり広範囲に理解することが可能と考えています。特に第三の層の厚さや使われている物質と信号の読み出し方法によって、どれだけ高いエネルギーの粒子まで観測することができるかが決まるのですが、CALETはとりわけここがCALET以前の観測装置に比べて高い性能を持っています。
2:電子ボルト
エネルギーの単位です。1ボルトの電位差を抵抗なしに通過した際に電子が得るエネルギーが1電子ボルトです。ここではその109倍のギガ電子ボルト、1012倍のテラ電子ボルト、1015倍のペタ電子ボルトのエネルギー領域を扱っています。
3:宇宙線
宇宙空間は、何もないように見えますが、じつはとてもたくさんの粒子が飛んでいます。それらは原子よりもさらに小さい陽子や電子などの粒子で、宇宙空間で手をかざしたら一秒間に100個以上が手にあたるほどたくさん飛んでいます。そのような粒子を宇宙線と言います。宇宙線は約100年前に発見されて以来、常に物理学の最先端テーマでした。宇宙線の研究から、陽電子や中間子の発見など、人類の知識を大きく広げる成果があがっています。宇宙線は、太陽や天の川銀河(地球がある銀河系)など宇宙の様々な場所から飛んできます。特に高いエネルギーをもったものは、私たちが暮らす太陽系の外からはるばるやってきています。
4:スペクトル
本稿ではすべてエネルギースペクトルの意味で用いています。横軸をエネルギー、縦軸を流束とした図をエネルギースペクトルと言います。宇宙線スペクトルは冪形状となっていて、その冪の値は大体 -2.7程度ですので、高いエネルギーになるにつれ急激に流束が減少します。
5:スペクトル硬化
冪の絶対値が小さくなる方向のスペクトル変化を表し、エネルギーに対する流束の減少割合が減っていくことを示します。
6:スペクトル軟化
スペクトル硬化とは逆に、冪の絶対値が大きくなる方向のスペクトル変化を表し、エネルギーに対する流束の減少割合が増えていくことを示します。
7:これまでのCALETによる宇宙線諸成分(電子、炭素、水素、鉄、ニッケルなど)の観測
8:宇宙線加速
高エネルギーの宇宙線がどこからきてどのように加速されたのか(=高いエネルギーを得たのか)についてのもっとも有力な説明は、「超新星爆発」です。超新星爆発とは、質量の大きな星がその一生の最後に起こす爆発で、そのとき甚大なエネルギーが放出されます。そのエネルギーによって加速されて地球まで飛んできた粒子が高エネルギーの宇宙線だと考えられていますが、加速されるメカニズムの詳細については、まだわからない点が多く残されています。
9: 冪型スペクトル
変数xに対しする分布関数がxα になる分布を、冪の値がαの冪関数型分布と呼びます。変数をエネルギー(E)にとった場合の流束の分布をエネルギースペクトルと言い、宇宙線スペクトルは冪形状となっていて、E–γで表されます。冪の値はマイナスでγの値は2.7程度であるので、高いエネルギ―になるにつれ急激に流束が減少します。
電波や赤外・可視光等の電磁波スペクトルが主に、黒体輻射に代表される熱的放射を観測しているのに対し、冪型スペクトルによって特徴づけられる非熱的放射の背景には必ず宇宙線の加速と伝播が隠されているためです。
10:2019年の論文
雑誌名:Physical Review Letters 122, 181102, 2019 (Highlighted as Editor’s Suggestion)
論文名:Direct Measurement of the Cosmic-Ray Proton Spectrum from 50 GeV to 10 TeV with the Calorimetric Electron Telescope on the International Space Station
(7) 論文情報
雑誌名:Physical Review Letters 129, 101102, 2022 (Highlighted as Editor’s Suggestion)
論文名:Observation of Spectral Structures in the Flux of Cosmic-Ray Protons from 50 GeV to 60 TeV with the Calorimetric Electron Telescope on the International Space Station
著者名:O. Adriani et al. (CALET Collaboration), Corresponding Authors: K. Kobayashi, P.S. Marrocchesi, and S. Torii
DOI:10.1103/PhysRevLett.129.101102
紙面掲載:Volume 129, Issue 10, 1 September 2022