オートマじゃなく自動じどうMT? スバルも日産にっさんもポルシェも挑戦ちょうせんした「オートクラッチ」とは (1/2ページ)

ストレスなくATが使つかえるのは1980年代ねんだい後半こうはんあたりから

 マニュアルミッションを操作そうさするというのはたのしいものだが、ときには面倒めんどうなこともある。その結果けっかがATなのだが、技術ぎじゅつ発達はったつしていない時代じだいではその制御せいぎょ耐久たいきゅうせい完璧かんぺきでなかったし、そもそも多段ただん無理むりで、2そくだったりした。ATが違和感いわかん、そしてストレスなく使つかえるものになってきたのは1980年代ねんだい後半こうはんあたりからだろうか。

 それまではいかに自動じどう変速へんそくするかとのたたかいとっても過言かごんではない。CVTてきなものは戦前せんぜんから試行しこう錯誤さくごされていたし、ATもクラッチとギヤ変速へんそく部分ぶぶんべつ進化しんかしつつ、自動じどうながあいだ模索もさくしていた。ちなみにクラッチの自動じどうについてスムースさはべつとして、間断かんだんをするだけなのでそれほど技術ぎじゅつてきにはむずかしくなく、戦前せんぜんには実用じつようされている。

 このながれは日本にっぽんでもあって、流体りゅうたい使つかったいわゆるトルコンは、岡村おかむら製作所せいさくしょ現在げんざいのオカムラ)が自前じまえ開発かいはつして、自社じしゃせいのミカサというクルマに採用さいようしたのが最初さいしょで、1957ねんのこと。マツダもおなじものをR360クーペに搭載とうさいしている。

 しかし、流体りゅうたい使つかったものは生産せいさん、そして制御せいぎょ当時とうじ技術ぎじゅつではむずかしく、一気いっき普及ふきゅうするにはいたらなかったが、それでもクラッチだけでもなんとか自動じどうしたいということで登場とうじょうしたのがオートクラッチだ。


近藤こんどうあきら KONDO AKIHUMI

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