編集委員 吉田清久
政治記者だったころ、ライバル紙の記者が送別会の席でこう話し、他部署に異動した。
「政治家の取材は、微分積分の世界。私は苦手。だから、自ら志望して政治取材から離れる」
手ごわい記者で何度か特ダネを抜かれた。彼にとって政治取材とは「政治家の話す言葉の微妙な変化から、政治の動き、政治家の思惑をつかむことに尽きる」という。「なるほど」と思い当たることがあった。
「社さ新党」の特ダネ、テレビ発言がきっかけ
村山政権時代の1995年7月30日、武村正義蔵相(新党さきがけ代表)がテレビの報道番組で今後の政局について聞かれた。
武村氏はポーカーフェースで答えた。
「日本の将来の針路について(社会、さきがけ両党が)おおむね一致しているという前提で、真剣な話し合いをさせていただきたい」
テレビ画面を見ていてその瞬間「何かある――」。そう直感した。
当時、自民、さきがけ、社会党の自社さ連立政権が発足から2年目に入り、運営方針を巡って社さ両党と自民党の確執が表面化していた。加えて村山首相が率いる社会党は直前の参院選で大惨敗。そのタイミングでの武村発言だった。
「おおむね一致している」という表現にひっかかった。それまで新党さきがけは社会党との新党に及び腰だったからだ。村山富市首相の動静を調べると、同月27日前に村山、武村両氏が首相公邸で会っていた。
日曜日だったが、武村氏に電話したところ「ハト派リベラル新党結成を目指すことで村山首相(社会党委員長)とおおむね一致」したことを、その日あっさり認めたのである。
「この話、テレビでちょろっとしゃべったのに誰も聞きにこないんや。きょうは日曜日だからかな」(武村氏)
受話器の向こうの声は高揚していた。
それまでさきがけとの合流に否定的だった社会党のある幹部も「新党をにらんだ具体的なものしたい」と漏らした。こちらは参院選惨敗を受けやむなしと思ったのか、淡々としていた。
「新党結成 首相・蔵相が一致」の記事はスクープとして翌日の朝刊1面を大きく飾った。