編集委員 川島健司
サッカーのJリーグは今季日程の約半分を消化。また、今年は欧州選手権や、北中南米の国によるコパ・アメリカも開かれており、サッカーファンは熱戦の連続に睡眠不足が続いているかもしれない。そんなレベルの高い試合を支えている存在が審判だ。Jリーグを担当するプロフェッショナル・レフェリー(PR)が研さんを積むキャンプを取材する機会があったので、奥深いその世界を紹介したい。
「言わなくていいことは言わない」
千葉市美浜区にある日本サッカー協会(JFA)の夢フィールド。ここで1泊2日の日程で6月19、20日に行われたキャンプには、PR16人が参加した。JFAでは外国から審判を招いての交流も盛んに行っており、イングランドから来日中の国際主審ダレン・イングランド氏も加わった。22日のJ1リーグ、東京V―名古屋戦で、東京Vの決勝ゴールにつながる見事なアドバンテージの適用を見せた人物だ。今回は座学と、実際に体を動かしてのトレーニングを行った。テーマは「PRがPRであるために」だ。
座学では最近のJリーグでの試合を題材に、ビデオも見ながら、数人ごとに分かれて意見交換を行う。最初に話し合われたのは、審判団のコミュニケーションをどう取るかだった。約10年前からヘッドセットを使って審判同士が交信できるようになり、ビデオ・アシスタントレフェリー(VAR)も導入されている現在、審判同士の意思疎通は一段と重要になってきている。
あるJ1の試合では、後半開始まもなく、相手のドリブルを止めようと手でシャツを引っ張るプレーがあり、副審が「イエロー(カード)」と声を出した。「警告を出した方がいい」という意味だ。反則であることは明らかで、主審も目前で見ている場面。討論の中で、この時に実際に笛を吹いていた主審から、「やりづらくなった面があった。カードを出しながら、要らなかったかな、と思った」というやや意外な話が出た。
まだ試合終盤ではなく、決定的なゴール前でのシーンでもない。だが、副審から言われて、その意見に引っ張られた面があったと主審は感じたのだろう。その約20分後、今度は逆のチームが相手のシャツを引っ張る反則があったが、このときは主審はカードを出さなかった。当然ファウルされた側は、「さっきはイエローだったじゃないか」と抗議したが、主審は自らの判断で警告しなかったという。
最初の場面、副審は警告すべきだと感じたから発信したのだろうが、最終的な判断をするのはあくまで主審だ。もちろん、主審から見えにくい角度で反則が起き、それが副審からはよく見えたのなら、助言は必要だろう。だが、通信機器が発達したからこそ、「何を伝えるか」と同じくらい、「言わなくていいことは言わない」という判断も重要になることは、討議を聞くまで思いもしなかった。
毅然とした判定ができたわけ
これは副審についての話だったが、こんなふうにこの座学はなかなかシビアだ。主に進行を務めるのは元国際主審の佐藤隆治JFA審判マネジャー(Jリーグ担当)だが、PRの中には、47歳の佐藤さんより年長の現役主審もいる。その主審が笛を吹いた試合も題材となり、別の若い主審から「この場面は警告だと思う」という感想が出され、佐藤さんからも「カードを出すべきだった」と指摘が入る。
昨年度のサッカー登録審判員は4級から1級まで、計27万人以上。1級の中でもプロになれるのは、今年度で19人しかいない。これだけの狭い門を通ってきたPRたちは、誰もが失敗をした経験を持つから、こうした座学でも謙虚に年下の意見も傾聴し、他の審判の体験も共有して、自らのレフェリングに生かそうとしている。PRがそろう月1回程度のこうしたキャンプは貴重な機会だ。
改善点の指摘ばかりではない。あるJ1の試合終盤、同点に追いついたホームチームの選手が、ドリブルでペナルティーエリアに侵入しようとし、DFに倒された場面の映像が流れた。反則があったことは間違いない。問題はエリアの外か中か。一斉にPKを要求するホームの選手たちに迫られながら、山本雄大主審は
毅然
とした態度でエリア外での反則だったと判定、DFには警告を与えた。
佐藤マネジャーはこの一連の山本主審の動きを「いいなあ、と思った」と称賛し、「今までだったら、こうやっていた」とヘッドセットを指で押さえるしぐさをした。主審が「VARに聞いて確認しているから、待ってほしい」と選手に伝えていただろうということだ。だが、それでは自らの判定に自信がないようにもとられかねず、選手が主審を信用しなくなってしまう可能性がある。
この場面をすぐ間近まで走り寄ったうえで正しく判定した山本主審は、「試合の流れが読めていたし、自分の中で判定に自信があった」と振り返った。審判にも精神的に動じない強さが必要であり、それはどんなことが次に起こりそうかという予測能力を高め、いい準備をしていくことで培われるということが理解できた。
つらいメニューもみんながいれば
休憩をはさんで2時間以上行われた座学の後は、約1時間半のトレーニングだ。この日は水曜日で、週末のJリーグの試合へ向けて、かなり強度の高いメニューが組まれたという。主審と副審では求められる運動能力が異なるため、PRたちは、いくつかのグループに分かれて、インターバル走や、サーキットトレーニングなどに汗を流した。
陸上用のトラックや、美しい緑の芝生などが用意され、環境は申し分ない。また、この日は3月に就任したJFAの影山雅永技術委員長も、トレーニングの冒頭に姿を見せ、PRたちにあいさつした。選手強化の責任者である技術委員長だが、佐藤マネジャーによれば、技術と審判は「車にたとえると両輪」だという。
いい選手が育ち、レベルの高いサッカーが展開されるためには、正しい判定が必要であり、スピーディーで激しいサッカーが存在しなければ、審判の質も上がらないからだ。「ある国の審判の水準は、その国のプレーの水準に比例する」とも言われる。こうした異なる部署の関係者が顔を合わせる機会ができるのも、この夢フィールドに実務部門を集中させた利点だろう。
トレーニングを終えたPRに話を聞いた。積極的に周囲に声がけしていた中村太主審は「一人でやるのとは全然質が違う。一人だと苦しいが、ここなら強度が上がる」という。PRになる前は教員、県庁職員だった中村さんは、以前はトレーニングにかけられる時間が短かったという。Jリーグを担当する中でも、PRでない審判は、それぞれの地元で他の仕事をこなしながら孤独なトレーニングを行い、体調を整えている。
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