何千と群れた人間の
聲
を聞いたか!こゝは内海の静かな造船港だ――――林芙美子「放浪記・続放浪記」(1933年、改造社版)
1925年8月×日、自分を捨てた「島の男」を訪ねて林芙美子は瀬戸内海の因島にやって来る。男が勤める造船所は目下、ストライキ中で、工員の家族と思われる「子供を連れたお上さんやお婆さん」と前後して山の小道を上る。眼下のドックでは「黒
蟻
のやうな職工の群が、ワンワン
唸
つてゐる」。
目を上げると「海は、銀の粉を吹いて、
縺
れた樹の色が、シンセンな匂ひをクンクンさせてゐた」。
上った山道の先にあるのが荒神社。その背後に因島公園があり、芙美子の文学碑が立つ。刻まれているのは冒頭の「何千と群れた人間の
聲
を聞いたか! こゝは内海の静かな造船港だ」の詩だ。自伝的小説「放浪記」には自作の詩が多数載っている。
見下ろした造船所は大阪に本社がある大企業、大阪鉄工所。後に日立傘下の日立造船因島工場となり、現在はボイラーやディーゼルエンジンを製造する子会社アイメックスの工場だ。工場は姿を変えたが、その向こうに広がる海の輝き、周囲の木々の色は今も同じ。
男はこの島の出身。明治大学へ進んだ男を追って芙美子は上京、
同棲
するが、家族に結婚を反対され、男は1人帰郷、造船所に就職した。
東京に取り残された芙美子は詩や童話を書きながら職を転々とする。露天商、セルロイド工場の工員、カフェの女給……。
こうした内容の「十八歳頃から、二十二三歳頃までの日記」から文章を抜き出して「放浪記」と「続放浪記」は編まれた。
再会した男にすがろうとする芙美子だが、男にはすでに妻子がいた。
荒神社に上る石段に腰掛けて2人が話し込んでいたという目撃談が残る。石段近くで理髪店を営む村井賢司さん(77)が教えてくれた。「昔、造船所の人から聞いた話じゃがね」
「おのみち林芙美子顕彰会」の吉岡俊世さん(69)は「物書きとして生きていく欲が出て、見返したいとの思いが湧いたのでは」と、因島に来た芙美子の心の内を想像する。
東京に帰るため船に乗った芙美子の財布は5、6枚の10円札で膨らんでいた。男の兄の家でもらったのだ。その訳は? 手切れ金のように読めるが、実際は本を出すための援助だったという。
◇
林芙美子
(はやし・ふみこ)
1903~51年。福岡県門司市(現北九州市門司区)生まれ。本名フミコ。実父が家に芸者を住まわせ、母は義父となる男性と九州各地で行商。16年、一家で尾道に。22年に女学校を卒業、恋人の岡野軍一を追って東京へ。翌年の婚約解消後、俳優や詩人と同棲、26年から画学生の手塚緑敏と暮らす。28年、雑誌「女人芸術」に「秋が来たんだ―放浪記」を掲載。30年、「放浪記」「続放浪記」刊行。47年、「放浪記」第三部連載開始。他に「晩菊」「浮雲」など。51年、心臓マヒで死去。
文・森恭彦
写真・鷹見安浩
海賊船「村上水軍」の根城
戦前から戦後にかけて造船業で栄えた因島だが、戦国時代まで遡ると、船は船でも村上海賊、あるいは村上水軍と呼ばれた海賊の船が根城にした島だった。
村上海賊は因島村上家、能島村上家、来島村上家の3家に分かれ、平時には水先案内や海上警固、運輸に従事。ひとたび戦になれば
手榴弾
のような
焙烙火矢
を放って敵水軍を撃破した。毛利氏に味方して織田信長の水軍と大阪湾で戦ったこともある。
彼らの船を知りたくて、村上海賊の城をイメージした資料館「因島水軍城」を訪ねた。スタッフの大谷裕子さん(63)が「小回りがきく小早は全長約11メートル。主力の大阿武船は26メートルほど」と模型の前で説明してくれた。
因島村上家の信仰地で、五百羅漢の石像が並ぶ白滝山(標高227メートル)に登ってみた。眼下に瀬戸内海を行き来する船や、しまなみ海道を伝って島から島へ渡る自動車が小さく見える。
しまなみ海道は島々を橋で結ぶ約60キロの海の道。サイクリングも盛んだ。
豊臣秀吉の海賊停止令(1588年)の後、因島村上家は長州毛利家の家臣となる。その太平の世に因島から全国に名をはせたのが囲碁の本因坊秀策(1829~62年)だ。
マンガ「ヒカルの碁」にも登場する秀策は史上最強ともいわれる棋士だ。
島内には本因坊秀策囲碁記念館が設けられている。館長の木村修二さん(73)が館に隣接して再現された秀策の生家を案内してくれた。「囲碁の対局や茶会に使ってもらうことも可能で、2016年には本因坊戦も行われたのですよ」
試しに島で会った旅行者に尋ねてみた。林芙美子の「放浪記」を読んだ人はゼロだったが、「ヒカルの碁」や和田竜の小説「村上海賊の娘」、そのマンガ本の読者が「現地に来られて感激」と感想を話してくれた。
●ルート 東京から福山まで新幹線で3時間半。福山駅前から因島・土生港前までバスで1時間10分。
●問い合わせ 因島観光協会=(電)0845・26・6111、因島水軍城=(電)0845・24・0936、本因坊秀策囲碁記念館=(電)0845・24・3715
[味]8本足「八方の敵食らう」ゲン担ぎ
その昔、村上海賊(水軍)は出陣の前夜、浜辺で鍋を囲んで酒盛りをした。
鍋の中身はタコが必須。その他、手に入る魚介類と海藻など。タコは8本足なので八方の敵を食らうというゲン担ぎだったとか。
この「水軍鍋」をホテルいんのしま((電)0845・22・4661)で食べられる=写真=。
しょうゆベースの
出汁
はやや濃いめ。煮立ったところにタコの他、エビ、カニ、ハマグリ、タイ、アナゴ、そして料理長の
稲角
尚也さん(55)によれば「瀬戸内海の小魚も必ず」ということでホゴメバル(カサゴ)をダイコン、サトイモとともに一気に投入、特注のかぶとの形のふたをする。
「豪快につくるのがコツ」と稲角料理長。注文は2人前から。1人分5500円。要予約。
ひとこと…見逃したベストセラー
作家仲間の平林たい子によれば、林芙美子は「放浪記」の原稿を最初、読売新聞に持ち込んだ。文化部の引き出しで眠っていたそれを世に出したのは記者と親しい作家の三上
於菟吉
。妻で劇作家の長谷川時雨が主宰する雑誌「女人芸術」に連載させた。わが先輩記者は残念ながら後の大ベストセラーを見逃したわけだ。