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三宅一生さん「ピカドンデザイナー」と呼ばれたくなかった…生前に明かした被爆体験 : 読売新聞
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三宅みやけ一生かずおさん「ピカドンデザイナー」とばれたくなかった…生前せいぜんかした被爆ひばく体験たいけん

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 世界せかいてきファッションデザイナーの三宅みやけ一生かずおさんが8がつにちくなった。84さいだった。三宅みやけさんは被爆ひばく70ねんむかえた2015ねん自身じしん被爆ひばく体験たいけん読売新聞よみうりしんぶんかたっていた。そのインタビューをさいろくする。

原爆げんばくはなしはしないとめていました

 原爆げんばくはなしはしないとめていました。「ピカドンデザイナー」なんてばれたくなかった。原爆げんばくをいいわけにしたらなさけないとおもったから。なつには、読売新聞よみうりしんぶん取材しゅざいことわりました。

「人に喜びをもたらす服を届けたい」と話していた三宅さん(2010年)
ひとよろこびをもたらすふくとどけたい」とはなしていた三宅みやけさん(2010ねん)

 でもいまぼくみたいな被爆ひばく症状しょうじょうもある人間にんげんはなしたら、すこしはなかちがってくるのかもしれない。

 広島ひろしま原爆げんばく投下とうかされた70ねんまえの8がつにちぼく小学しょうがく年生ねんせいでした。朝礼ちょうれいわって教室きょうしつはいったら突然とつぜん、ドーンときた。衝撃しょうげきれたまどガラスの破片はへんあたまさって。びっくりしてね。

 ははのいる自宅じたくばく心地ごこちから2・3キロ。「うちにきたい」と疎開そかいさきいえひとったら、かんパンをたくさんたせてくれた。ひとりでははさがしにかいました。はは半身はんしんにやけどをっていました。

 高校こうこうときとおった平和へいわ大橋おおはし欄干らんかんはイサム・ノグチさんのデザインでした。これがデザインなんだ。自分じぶん才能さいのうがあるかわからないけど、やってみよう。ちからをもらいました

平和へいわ大橋おおはし」に感銘かんめい、デザインかいみちびかれ

 あのぼく広島ひろしまとなり府中ふちゅうまち疎開そかいしていました。そののうちに、ははさがしにひとりで市内しないへとかいました。人々ひとびとがおりかさなってけ、みずもと小川おがわあつまっている。半身はんしん負傷ふしょうしたははえたのは、翌日よくじつ治療ちりょうけている場所ばしょいて、いにきました。

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3241916 0 ライフ 2022/08/09 18:07:00 2022/08/10 17:21:15 2022/08/10 17:21:15 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/08/20220809-OYT1I50126-T.jpg?type=thumbnail

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