金きむ詮かい(韓かん文あや:김전;1458年ねん—1523年ねん2月がつ13號ごう),字じ仲なか倫りん(중륜)、號ごう懶ものぐさ軒のき(나헌)、能のう人じん(능인)、諡號しごう忠ちゅう貞さだ(충정),係かかり李り氏し朝鮮ちょうせん早期そうき文ぶん臣しん、政治せいじ人じん、儒學じゅがく者しゃ、性せい理學りがく思想家しそうか。1520年ねん2月がつ14號ごう到いた1523年ねん2月がつ13號ごう做李り氏し朝鮮ちょうせん嘅總理そうり。
係かかり權臣けんしん金安かなやす老ろう嘅叔父おじ及朝鮮ちょうせん中ちゅう宗むね做適長女ちょうじょ孝惠たかえ公主こうしゅ嘅夫君くん金きむ禧嘅從祖父そふ、西原にしはら伯はく尹いん元もと衡嘅妻祖父そふ。金きむ悌男嘅曾祖父そふ及朝鮮ちょうせん宣せん祖そ做繼妃ひ仁じん穆きよし王おう后きさき嘅高祖父そふ。佔畢齋とき金きむ宗直むねなお做門人じん之の一いち及士し林りん派は黨是とうぜ早期そうき嘅黨員いん。