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侍讀 - 维基百科,自由的百科全书

侍讀じどく中國ちゅうごく古代こだいしょくかん名稱めいしょう

沿革えんかく

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北朝ほくちょう

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南北なんぼくあさきたたかしはじめしつらえ侍讀じどくずいさむらい皇帝こうてい讀經どきょうあずまたかしきたひとし沿置。西にしたかししつらえため王公おうこう屬官ぞっかんきたあまね沿置,なみため太子たいし屬官ぞっかん

南朝なんちょうひとししつらえ侍讀じどくため宗室そうしつ諸王しょおう屬官ぞっかんりょうしつらえため太子たいし王公おうこう屬官ぞっかんてのひらしるべ讀經どきょうみな常設じょうせつ[1]

からあさ

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からあさひらきもと初年しょねん選擇せんたくせい文辭ぶんじこう書法しょほうてき學者がくしゃたかしにん侍讀じどく,於十王じゅうおうたく教導きょうどう諸王しょおう[1]

宋朝そうちょう

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きたそうおけ侍讀じどくせん授有學術がくじゅつ學士がくし侍從じじゅう職責しょくせきためけいむしろ太子たいし進講しんこう及顧といけいげんゆたかあらためせいていためせいななひん[1]

明朝みょうちょう

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明朝みょうちょうひろしたけじゅうはちねん(1385ねん)於翰林院かんりんいんおけ侍讀じどく2いんそく翰林院かんりんいん侍讀じどく,秩したがえひんてのひらこう讀經どきょうひん秩及職掌しょくしょうあずか侍講じこうあいどうただしくらいざい侍講じこうまえ永樂えいらく年間ねんかんとく侍讀じどく侍講じこうにゅう文淵ぶんえんかく參與さんよよう政務せいむしょうためかくしん」,ただしぞく內閣しょくかん,也不あずかそうごと官員かんいんみぞ通關つうかんせつ[1][2]

清朝せいちょう

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翰林院かんりんいん侍讀じどく

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清朝せいちょう沿置翰林院かんりんいん侍讀じどく內閣侍讀じどく學士がくし出缺しゅっけつ翰林院かんりんいん侍讀じどくゆうそう資格しかく

順治じゅんじ元年がんねん(1644ねんていためせいろくひんおけ2いんみなためかんかけじゅうねん(1658ねん增置ぞうちかんかけ1にんきょう3いんかんきゅうねん(1670ねん增置ぞうち滿まんかけ3にんきょう6いん雍正さんねん(1725ねん),あらためひん秩為したがえひんいぬいたかしじゅうねん(1785ねん),たっげん滿まんかけ1にんていため滿まん2いんかん3いんひかりいとぐちじゅうきゅうねん(1903ねんかく增置ぞうち1にんていため滿まん3いんかん4いんしょうためせいひんせんみつる元年がんねん(1909ねんあらためひん秩為したがえよんひん

翰林院かんりんいん侍讀じどくため翰林かんりん詹事せんかけゆかり翰林院かんりんいんおさむせん編修へんしゅう檢討けんとう詹事左右さゆうなかまこと左右さゆうさんぜんます例外れいがい於翰詹不じきますてん,以部いん進士しんし出身しゅっしんつかさいんますようしょうためそとはん翰林かんりん」。

翰林院かんりんいん侍讀じどく職掌しょくしょうきょうじょ典籍てんせき纂修、撰述せんじゅつおこりなずらえしゅくぶん祭文さいぶんさつぶん碑文ひぶんとうなみ於經むしろ值勤ずいさむらいせんみなみ書房しょぼうせんたかしなお書房しょぼう教習きょうしゅう,纂修實錄じつろくふみこころざしたかしひさげ調ちょうかん、纂修かんきょうおさむ官等かんとう職位しょくい[1][3][4]

內閣侍讀じどく

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順治じゅんじねん(1645ねん創設そうせつ侍讀じどく內閣屬官ぞっかんそく內閣侍讀じどくはつていためよんひんこうあらためせいろくひんおけ滿まんしゅうかけ11いんこうむかけ2にんかんぐんかけ2にんかんかけ2にんきょう17いん滿まんしゅう侍讀じどく其中5にん處理しょり清文せいぶん、6にんけんきよし漢文かんぶん

かんきゅうねん(1670ねん增設ぞうせつこうむかけ2にんかんぐんかけ2にんたっ撤漢かけ2にんていためそうとも19いんさんじゅうはちねん(1699ねんたっげん滿まんしゅうかけ清文せいぶん1人ひとりきよし漢文かんぶん2にんずいそくまたかく增置ぞうち1にんてい清文せいぶんきよし漢文かんぶんかく5にん。雍正よんねん(1726ねんふくおけかんかけ2にんじょうせいども21いんいたり清末きよすえ

內閣侍讀じどく職掌しょくしょう校勘こうかんだいそう本章ほんしょうけんかくつくろえくじひょうなずらえ事務じむ侍讀じどく學士がくし出缺しゅっけつ,內閣侍讀じどくまたゆうそう資格しかく。內閣侍讀じどく出缺しゅっけつゆかり內閣中書ちゅうしょ、內閣典籍てんせき中書ちゅうしょ中書ちゅうしょいん主事しゅじそう[1][3][4]

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 りょむねりょくへん,《中國ちゅうごく歷代れきだい官制かんせいだい辭典じてん(修訂しゅうていばん)》(北京ぺきん商務しょうむしるししょかん,2015ねん1がつ),ぺーじ563。
  2. ^ ちょう廷玉ひとしたてまつ敕修,《あかり》,かんななじゅうさんこころざしよんじゅうきゅうしょくかん翰林院かんりんいん
  3. ^ 3.0 3.1 しゅきむはじめちょうしょざいへん,《きよしだい典章てんしょう制度せいど辭典じてん》,(北京ぺきん中國ちゅうごく人民じんみん大學だいがく出版しゅっぱんしゃ,2011ねん7がつ國家こっか清史きよし編纂へんさん委員いいんかい工具こうぐしょくさむらかん),ぺーじ385。
  4. ^ 4.0 4.1 ちょうなんじたつみとうおさむ,《清史きよし稿こう》,かんいちひゃくじゅうこころざしきゅうじゅうしょくかん翰林院かんりんいん