周しゅう元もと王おう(?—前まえ469年ねん),姓せい姬ひめ,名めい仁ひとし,中國ちゅうごく東あずま周あまね君主くんしゅ,在位ざいい8年ねん,為ため周しゅう敬たかし王おう之子ゆきこ。[1]
周しゅう元もと王おう四よん年ねん(前ぜん473年ねん),越えつ王おう句く踐滅めつ吳ご。[2]句く踐隨後ご北上ほくじょう遷都せんと琅琊,與あずか齊ひとし國こく、晉すすむ國こく等とう諸侯しょこう會かい盟めい於徐じょ州しゅう(今いま山東さんとう滕縣南みなみ),「越えつ兵へい橫行おうこう於江、淮東,諸侯しょこう畢賀,號ごう稱しょう霸王」,周しゅう元もと王おう正式せいしき承認しょうにん句く踐為霸主。