周しゅう芝しば沅(1783年ねん—1835年ねん),表おもて字じ榮さかえ坤ひつじさる,號ごう逸いっ坡。江蘇こうそ吳ご江こう人ひと。
乾いぬい隆たかし工こう部ぶ尚なお书周しゅう元もと理り之これ後ご,周しゅう元もと德とく之これ孫まご,周しゅう一いち士し之子ゆきこ。监生出身しゅっしん,入にゅう粟あわ得とく候こう選せん江西えにし按察使し司し知事ちじ。生平おいだいら乐善好こう施ほどこせ。道みち光こう三さん年ねん(1823年ねん)夏なつ雨水あまみず泛滥,首しゅ倡捐银,输粟賑にぎわい饑ひだる,議ぎ叙じょ鹽しお課か司し提つつみ舉。晚年ばんねん患肝病びょう。[1]道みち光こう十じゅう五ご年ねん(1835年ねん)卒そつ。修おさむ订《周あまね氏し家か谱》,其子周しゅう兆ちょう烜輯有ゆう《古こ芬山館かん遺のこ詩し》一いち卷かん。