大竹おおたけ,原はら稱しょう大竹おおたけ圍かこえ,是ぜ臺灣たいわん彰あきら化か縣けん彰あきら化か市し的てき一いち個こ地名ちめい,位い於該市し中部ちゅうぶ偏へん東南とうなん。
台灣たいわん清治きよじ末期まっき至いたり日び治ち初期しょき,大竹おおたけ地區ちく為ため一いち街がい庄しょう,稱しょう為ため「大竹おおたけ圍かこえ庄しょう」,隸屬れいぞく於線せん東ひがし堡。該庄輪廓りんかく南北なんぼく狹長きょうちょう而且南みなみ寬ひろし北きた窄,北きた與あずか阿おもね夷えびす庄しょう、渡船とせん頭あたま庄しょう為ため鄰,東ひがし與あずか番ばん社口やしろぐち庄しょう為ため鄰,南みなみ邊べ為ため快かい官かん庄しょう、橋はし仔こ頭あたま庄しょう,西にし邊べ為ため南みなみ門口かどぐち庄しょう、牛うし稠仔庄しょう[1]。
1901年ねん(日にち治ち明治めいじ三さん十じゅう四よん年ねん)11月,該庄隸屬れいぞく於彰あきら化か廳ちょう。1909年ねん(明治めいじ四よん十じゅう二に年ねん)10月がつ,改あらため隸屬れいぞく於臺たい中ちゅう廳ちょう。1920年ねん(大正たいしょう九きゅう年ねん),該庄改あらため制せい並なみ改名かいめい為ため「大竹おおたけ」大字だいじ,隸屬れいぞく於臺たい中州なかす彰あきら化か郡ぐん大竹おおたけ庄しょう,大字だいじ下か有ゆう「大竹おおたけ」、「安あん溪けい寮りょう」小字こあざ名めい[2]。1933年ねん12月,彰あきら化か街がい合併がっぺい南郭なんかく庄しょう、大竹おおたけ庄しょう,升ます格かく成なり為ため彰あきら化か市し。
戰後せんご彰あきら化か市し隸屬れいぞく於彰あきら化か縣けん,大字だいじ亦また改あらため制せい為ため里さと。
省しょう道どう台だい14線せん(彰あきら南みなみ路ろ二に段だん)為ため彰あきら化か至いたり南みなみ投とう廬いおり山やま的てき幹みき道どう,大だい致以橫よこ向こう經過けいか本ほん地區ちく北部ほくぶ,往西可か前ぜん往中庄子しょうこ接せっ省しょう道どう台だい1線せん,往東轉てん東南とうなん可か前ぜん往芬園えん、草くさ屯たむろ、埔里、廬いおり山やま等地とうち。
縣道けんどう139號ごう(六ろく股また路ろ、大だい彰あきら路ろ)是ぜ新港しんこう至いたり鹿谷しかたに初はつ鄉さと的てき道路どうろ,大だい致以橫よこ向こう經過けいか本ほん地區ちく南部なんぶ邊べ界かい地帶ちたい,往西北きた可か前ぜん往彰化か市區しく、新港しんこう,往東南みなみ可か前ぜん往南投なげ、集あつまり集しゅう、鹿谷しかたに等とう地ち。